◆Sacred spear



 「本当に今年も行かれないのでございますか?」

いつもの格好の上からコートを着込んだウォルターは、使用人である彼をわざわざエントランスまで送りに来た主人を振り返り尋ねた。

「ああ、ここで祈りを捧げるよ。」

「・・・そうでございますか。」

彼は困ったように小さく息を吐き、「では行って参ります」と手に持っていた帽子を被って扉を開けた。
外には昼の間に珍しく降った雪が幾ばくか積もっている。 たいした積雪ではなかったが、もともと温暖な気候の地なので雪用のタイヤを履かせている乗用車が無い。彼は近くとは言い難い教会へ徒歩で向かった。
ウォルターを送り出したインテグラは、リビングに行く途中でイザベラに声を掛ける。早々とウォルターを追い出してしまった為に飲みそこねていた紅茶を煎れてもらう為だ。

「お前はミサには行かなくても良いのか?」

「はい、お屋敷に立派な礼拝堂が御座いますし、それに、」

「それに?」

「ウォルター様の代わりにインテグラ様にお茶を煎れて差し上げられるのは私だけで御座いましょう?」

イザベラは嬉しそうに破顔する。
幼い頃より慣れ親しんでいるウォルターの紅茶がインテグラにとってベストであるのは間違いない。そして今の所、そのウォルターから合格点を出されているのはイザベラだけなのだ。
自宅で不味いお茶を飲みたくないのは本音ではあるので、外出を強くは勧めず素直に頼む事にした。

「では、ウォルターのスペシャルブレンドを頼む。」

「かしこまりました。」

笑顔で答えたイザベラが厨房に消えると、インテグラは今度こそリビングへと向かった。間もなくしてソファセットで寛ぐインテグラの前にティーセットが運ばれてくる。
イザベラはジャンピングが終わったサーバーの内蓋を丁寧に下ろし、温めてあったカップに注ぐ。茶葉はウォルターが手ずからインテグラの為に配合したスペシャルブレンド。
テーブルにカップとお茶請けのスコーンを置いたイザベラが脇に控えたのを見届けて、インテグラはカップを手に取る。湯気と共に立ち上る馥郁たる香りを鼻で吸い込んで、ゆっくりと口から吐き出される息で揺れる琥珀色の表面をなぞった。それからひと口ふくんで少しずつ喉に流す。
ウォルター直伝の技で煎れられたお茶は味も香りも素晴らしいものだった。

「美味い。」

「有難う御座います。」

「下がっても良いぞ。せっかくのイヴにすまないな。」

「いいえ。ではお言葉に甘えて下がらせて頂きますけど、いつでもお呼び下さいね。」

きっと彼女は部屋になど下がらないのだろうが、これ以上の詮索は野暮と言うものだろう。
一礼して辞したイザベラを見送り、紅茶をもう一口飲んでカップを置いたインテグラは、溜め息まじりに独りごちた。

「私は下僕には恵まれないが使用人には恵まれてるな。」

「聞こえてるぞ。」

唐突な、インテグラ以外の声。

「聞こえるように言ったんだ。」

今さら驚きはしない。
壁から出てきたのか床から生えてきたのか、彼女の下僕は視界の外から登場して、正面のソファにどっかりと腰を下ろして長い足を組む。その態度を尊大と言わずして何と言うのか。
暫しの沈黙。
ふとインテグラは前から訪ねてみたい事があったのを思い出した。

「アーカード。」

名を呼ばれた下僕は無言のまま聞き返すように、サングラスの上の眉を器用に片方だけ上げた。

「お前、私の事をどれくらい知ってる?」

インテグラの問いにアーカードは少し考え、口を開く。

「インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング。19ХХ年X月X日生まれ。13歳で父を亡くし、自分を殺そうとした叔父を殺してヘルシング当主の座と“サー”の称号を継承。 好きな食べ物はビーフシチューとマロングラッセ、生理はきっかり28日周期。スリーサイズは上から・・・」

「うわーーーーーっ!もういいっ!!」

ペラペラとアーカードの口から出てくる自分のプロフィールに唖然としていたインテグラだったが、途中で慌ててアーカードの言葉を遮った。

「なっ・・・何で?」

「当たり前だ。」

「私はお前の事をほとんど知らない。」

「それはお前が私に興味が無いからだろう。」

その言葉は甚だ心外だ。

「興味が無い?そんな筈は無いだろう。」

「言い方を変えよう。ゴミ処理係である私にしか興味が無いからだ。」

反論しようとしてその材料を探したが、言葉が見付からずに目を伏せる。
違うと言いたいのに。

「ああ、まだあった。」

言葉を探していたインテグラは、思い出したように言葉を続けたアーカードに改めて視線を向ける。

「雷が怖い事。それから私と関係を持ってから決して教会には行かない事も。」

インテグラの顔色が変わる。

「恐ろしいか?インテグラ、神の不興が。」

嘲るように言われていたら怒ったかもしれない。しかしアーカードの表情にいつもの様な酷薄な笑みは無かった。
雷は大天使ミカエルが罪人に向けて放つ鎗なのだと、小さい頃に連れられていった教会の牧師が話していた。だから、恐ろしい。
自分は撃たれてもおかしくない大罪人だから。

「怖いな。」

女王のため国教のため神のためと大義名分をいくら振りかざしても、所詮は呪われた反キリストの化け物を使役する身だ。神はきっとお許しにはならないだろう。
それでも・・・その行動にいくらか辟易しているものの・・・この男を疎ましく思えない自分の事の方がもっと怖い。
それどころか。
インテグラは思考を無理やりに止めた。最後の答えへの扉を開く事を本能が無意識に拒絶したからだ。その感情を認めてしまったら主人では居られなくなる。
インテグラが黙り込み、男が沈黙してしんと静まりかえると、遠くから子供たちの歌う聖歌が聞こえてくる。
今宵は聖夜。誰もが皆、教会や家族の居る家で敬虔な祈りを捧げている事だろう。そんな夜を化物と過ごしている。その事に何の違和感も抱いていない自分。
男は当たり前のように今夜もインテグラの傍に居る。きっとこれからも。

「また降りだしたな。」

アーカードの言葉に窓の方へと視線を移す。外を白いものが舞い降りていた。
静かな時間が流れていく。このまま今夜は平穏であれば良いのに。
―――――主よ、私は愚かです。
インテグラは自嘲気味に微笑み、何を考えているのか無表情のまま舞い散る雪を眺めている男へと言ってみる。

「一緒に礼拝でもするか?」

「冗談はよせ、寒気がする。」

体温など無い化け物のそんな言葉に笑う。ひょっとして冗談のつもりなのか。
これもきっと、神の思し召しなのだ。
そう考えることで、自分の中で決着をつける。
この男と共にあろう。いつの日か、この身に鉄槌が下るまで。





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