◆Blossom


「おはよう、主。」

「おはよう、従僕。」

日暮れ後に起き出して来た下僕の挨拶を受け取り、インテグラは机の上を片付け始める。
普段なら挨拶に返事は返しても下僕の存在を無視して仕事に勤める仕事中毒の主人のその行動を、下僕は少々訝しげな表情で眺めた。

「少し庭に出ないか。」

これは珍しい。主人の方から散歩の誘いとは。
小躍りする内心を億尾にも出さず、ほとんど表情を変えないまま、下僕は優雅に腰を折った。

「御意のままに。」

庭に出たインテグラは、散歩と言うには些か速めの歩調でレンガが敷かれた小道を歩く。 どうやら目的地があるらしい。
ふと、主人の後を歩いていたアーカードは、彼女の金糸をなびかせている風に乗って、頬を掠めて飛び去ったものに気付き、視線だけで振り返った。
雪?いやこんな時期に雪など降るはずが無い。
だが歩を進めるにしたがって舞い落ちる白く小さいものはその数を増していく。

「きれいだろう?」

やっと足を止めたインテグラが振り向いて言う。その先には闇にぼんやりと浮かんだ白い木。 いや、白いのは満開の花のせいだ。そこから雪のように小さな花びらが二人の上に降り注ぐ。

「アーモンドの木だ。母が郷里から持って来たらしい。」

その木を眺めるインテグラの表情は、愛おしさとも憐憫とも取れる複雑なものだった。

「・・・お前、母に会ったことあるんだよな。」

「ああ・・・」

多分。とは付け加えなかった。

「どんな人だった?」

これまた珍しいことに主人はどうやら里心がついているらしい。

「さあな、憶えていない。」

「そうか。」

インテグラは手の平を上にして胸の前まで上げる。その中に花びらがふわりと入った。

「お前にとって我々はこの花びらと同じ、ただ散って消えるだけ。この一枚一枚を心に留めておけと言う方が、無理な事かもしれないな。」

そう言って、手の平の上に増えていく花びらを眺め、そっと握り締める。

「私が死んだらお前は私を忘れて、また次の主人に仕えるんだな。」

「インテグラ。」

「それで良い、忘れてくれ。」

どんな思いでインテグラがそう言ったのかは分からない。
花びらを眺めるために俯かれた顔は、すぐに真っ直ぐと上げられた。その表情はいつもの傲岸不遜な魔女の顔。

「さて、仕事に戻るか。お前はどうする?」

「もう少しここに居る。」

「そうか。」

簡潔に言ってインテグラは踵を返し、屋敷の方へともと来た小道を戻っていく。その背を見送りながらアーカードは薄く笑みを浮かべた。

「置いて行くのはいつもお前たちの方なのだよ。私はいつも置き去りだ。」

この花は散ってしまってもまた来年咲くのだろう。その次も、その次の年も。
インテグラがこの世を去った後も咲くだろうか。
この花を見る度に今夜の光景を思い出しそうで、アーカードは苦い想いを胸に抱くのだった。




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