◆組曲―gigue―


 鑑識班を含む調査部隊の隊長であるグエンダから連絡が入ったのは、シュバリエを配属してから1週間ほど経った朝の事だった。丁度インテグラが朝食を終えて執務室に入ったタイミングでの内線電話。昨夜もあった捕り物の後始末でインテグラや実働部隊よりも遅くまで起きていたであろう彼女の声に、真っ先に頭に浮かんだのはその配属したての新入りの事だった。

『ハイ、ボス。今いいかい?』

「ああ、随分と早いな。何があった?」

『時間あるなら一寸こっちに来てくれると有り難いんだけど。』

インテグラよりも仕事の虫のグエンダは研究室のある別棟に住み着いて久しく、ほとんどそこから出てこない。インテグラとのやりとりも、こうやって内線でやるか部下を通してだ。来いと言うのは珍しい。苦情ならば電話で言えば済む事だから、何か重要な用事なのだろう。だからと言ってインテグラを呼びつけるのは彼女くらいのものだが。

「部屋か?それとも研究室?」

『研究室だ。』

「分かった。」

電話を切ってすぐさま執事を呼び出して席を外す旨を告げると、インテグラは演習塔と屋敷を挟んで反対側にある研究棟を目指した。
グエンダは今となってはもう数少ない、父の代から居る局員だ。浮いた噂も無く20年余をヘルシング機関で働いている。父が好意を抱いているから結婚しないのだなどと、昔メイドたちが噂しているのを聞いた事もあった。随分な年の差だからそれは無いだろうが。
研究棟の廊下はしんと静まり返っていた。昨夜・・・今朝と言うべきか・・・帰り損ねた局員は仮眠室でまだ眠っているのだろうし、実働部隊よりも遅くまで働く研究員はそもそも出勤時間も遅いからまだ来ていないのだろう。
研究室のドアを一応ノックして、返事を待たずに開ける。
パソコンの前で作業をする隊員の横に立ったグエンダがインテグラに向けて手を挙げた。
50歳を目前とするとは思えない、染みひとつ無い綺麗な肌は寝不足のためか血色が悪くなっていたが、幾分か白髪の混ざり始めたブルネットが一筋の乱れも無く綺麗に結われているのが何とも彼女らしい。
そのグエンダの隣に目を移せば、パソコンを操作していたシュバリエがぺこりと頭を下げた。

「何かやらかしたか?」

「うん?何の事だ?」

主語の無いインテグラの質問に聞き返したグエンダが、すぐに合点が行った様で「ああ」言葉を続ける。

「やらかすどころか、こっちがしてやられたさ。まあ聞いてやっておくれよ。」

グエンダの言葉の意味が分からないまま、勧めるように引かれたシュバリエの隣の椅子に腰を下ろす。

「ほら、説明おし。」

グエンダに背中を叩かれたシュバリエが困ったように彼女とインテグラを見比べて、どちらも助け舟を出してくれそうに無いのを確認すると意を決したように話し始めた。
鑑識班に配属されてから彼は仕事を憶える為、ここ数年の資料を閲覧していたそうだ。そこで度々同じものが現場に残されていた事に気付いたらしい。説明と共に渡された資料に添付された現場の写真画像を見せられても、インテグラにはそこに何かあるかのは分からない。拡大されたものを見てやっと、何かあるなといった程度だ。

「何か小さな機械のようなものだと思ったんです。それで実働部隊長に現場で気を付けておいてもらうようにお願いしていたんですが・・・」

「昨夜さっそくビンゴだったってわけさ。」

説明しろと言いながらシュバリエの言葉尻を捕まえて、グエンダが親指と人差し指で挟んだ基盤のようなものをインテグラに示す。狙い通りに昨夜の現場で見付かった代物とやらがそれらしい。

「多分、発信器だと思います。誰かが何かをモニタリングしてたのではないかと。」

自信無さげなシュバリエが、それでもはっきりと言う。

「モニタリング?」

機関の仕事の現場に残されていたのなら、吸血鬼か被害者のどちらかが誰かによって観察されていたと言う事になるが。

「実働部隊は何と?」

「吸血鬼に付随していたものと思われる。と。」

「どのくらいの頻度で現場に?」

「僕が遡った資料は直近からほぼ5年分ですが、残された資料画像で確認できたもので少なくとも11件は。」

「・・・多いな。」

資料で確認できなかったとしても、記録として残されていた画像に映り込んでいなかったか、若しくは吸血鬼ごと木っ端微塵に破壊されて残されていなかったという事も考えられる。それにシュバリエの『あるかもしれない』が実際に現場に残されていた以上、誰かの意図が関わっているのは明白だ。

「全くこんな違和感あるものに今まで誰も気付かなかったなんて、節穴だったわ。」

グエンダが腕組みして肩を竦める。
20年・・・出向かなくなっては久しいだろうが・・・現場を見てきたグエンダが気付かなかった遺留物に、来てたった1週間の新人が気付いた。それで「してやられた」という訳か。しかしこいつは。

「大事だろう?」

そう言ってグエンダがインテグラの顔を覗き込む。

「ああ、大事だ。」

繁殖能力を持たない吸血鬼。主を消しても滅びない屍食鬼。そして吸血鬼を誰かが観察していると言う可能性。符号は揃いつつある。
吸血鬼を研究する目的として考えられるのが大筋で二つ。不死の研究か、もしくは運用の為だ。前者なら泳がせて人を襲わせるという観察の仕方には合点がいかない。後者なら、吸血鬼を利用しようとする目的など、自分が言うのも何だが誰かを害す為としか考えられないから整合性はある。
誰かが吸血鬼を使って何かをしようとしている。それは勝手だが英国民に害なす以上はインテグラの敵だ。

「よく気付いてくれたなシュバリエ。グエンダ、その機械の出所は調べられそうか?」

「うん、大学や企業の研究所は当たってみるけど、軍関係の研究所はそっちのコネを使ったほうが早いと思うよ。」

「軍の方は承知した。・・・企業・大学関連は海外から先に調べてもらっていいか?」

「海外?何か根拠でも?」

「いや・・・」

とんでもなく膨大になるだろうと思われる調べものを『何となく』の勘で頼んではやはり悪いだろうか。
言葉を濁したインテグラの逡巡を悟ってか、グエンダが苦笑しておどけたふうに溜め息を吐く。

「分かったよ。うちの職場は無茶が当たり前だからね。」

「頼む。あとシュバリエを借りていっていいか?」

「OK.功に対する労いのデートでチュウしてやっても良いけど、早めに返しとくれ。」

「ちょっ!やめて下さいミス・グエンダ。今度こそ殺されます!!」

インテグラとグエンダの会話に慌てた風なシュバリエが割って入った。
冗談を言っている場合ではないのだが。

「返せるかどうかはこいつの働き次第だ。行くぞシュバリエ。」

言い置いて、研究室を出るべく踵を返す。背後をシュバリエの焦り声が追って来た。

「ど、どちらに?」

「大英図書館だ。」




 凄まじい速さでパソコンのモニターを通り過ぎていく資料画像をインテグラは呆気に取られつつ眺めた。
―――――成程、戦闘能力以外なら・・・ね。
大英図書館の地下書庫。ここは英国の言わば表に出せない資料の保管所だ。ヘルシング機関の行った仕事の資料もここに保管されている。古いものは紙媒体だが、ここ20年辺りのものはデジタル化されていた。
要するに、本部よりもマシな記録が残っているのである。
データと言えど磨り減ってしまうのではないかと思うほどの、そんな速さで移り変わるモニター画面を凝視しているのは実働部隊適正無しの烙印を押されたシュバリエだ。インテグラの目にはもう何が映ってるかさえも確認できない資料を恐ろしい速さで閲覧し、そしてどうやら記憶しているらしい。
人には何かしらの才能があるものだ。
10分も経っただろうか、画面から目を離したシュバリエが椅子の背に凭れて伸びをした。

「終わったのか?」

「はい。」

本部で見た5年分を差し引いても15年分。それをものの10分で閲覧し終えるとは。

「どうだった?」

「頻繁にではありませんが、最初の方からありました。」

「最初?20年前から?」

「はい。」

身震いした。背筋に冷や水を浴びせられたような気分だ。
インテグラがヘルシングを継ぐ前からずっと、気付かぬままに何者かと戦っていたと言う事か。
父は知っていたのだろうか。
20年、ひょっとしたらそれ以上の長きに渡って関わってきたと考えると、断定する材料には乏しいが個人よりも組織と考えたほうが合理的だろう。
バチカン?いや、有り得ない。
奴らにとって異教徒が吸血鬼の餌食になるのはどうでも良い事だろうが、神殺しのユダでさえも『吸血鬼を飼う』という禁忌は犯すまい。

「あの、僕の所感を言わせて頂いても?」

シュバリエがおずおずと手を挙げる。

「言ってみろ。」

そもそもこの敵の存在に最初に気付いたのは彼だ。何か新しい発見でもあったのかもしれない。

「僕の認識では吸血鬼と言うのはとても自尊心の高い種族だと。」

「それで?」

「例えば何らかの利害が一致して協力関係を結ぶとして、相手に主導権を握らせるでしょうか?」

「・・・そいつは、耳の痛い話だな。」

確かにあいつは狩りをしたいから仕事をやるだけで、自分の言う事を聞いてるわけでは無い。

「あ・・・いいえ、ボスとロワの事は例外として、あの機械を仕込まれていた吸血鬼たちの話です。」

グエンダの真似をしてかインテグラの事をボスと呼んだシュバリエが、慌てるように手を振って続けた。

「協力関係にある相手がもし人間だったとして、その・・・餌として認識している相手に自分の行動を監視されるような事を吸血鬼が許すでしょうか。」

確かに協力関係にあるとは言え、あるからこそ手の内を曝したくないと思うものではないのか。

「でも、協力関係ではなくそれが自分より上位の魔物だったら話は別です。」

他の化け物を従えることの出来る魔物は少ない。しかも夜族の王とも言われる吸血鬼を従える魔物など。
シュバリエの言葉を噛み砕きながら考え、そしてはっとする。

「始祖か。」

「とは、考えられませんか。」

「考えられなくは無いが・・・」

力ある始祖を中心とした眷属による組織。可能性として無くは無いが、まだ何か足りない。釈然としない。
何匹、ひいては何十匹と仲間を量産できる程の吸血鬼に生み出された眷族が、何故繁殖しない。
それに。

「何か?」

インテグラの、否定を前提とする呟きにシュバリエが聞き返す。

「いや、心に留めておこう。戻ろうか。」

促すように言って、司書を呼ぶために壁の電話機に手を掛ける。
そもそも従属たる吸血鬼を主人である吸血鬼が監視するのに機械などが必要だろうか。
否だ。多分そんなものは要らない。
もし全ての背後に居るのが吸血鬼ならば真っ当な・・・と言う表現はおかしいかもしれないが・・・吸血鬼ではない。しかし確かに黒幕が人間だと考え難いのも事実なのだ。
司書が開けてくれたエレベーターに乗って地上階に上がり、迎えの車を呼んで「一服しよう」とシュバリエに声を掛けカフェに入る。彼は黙ってインテグラに付いて来た。考え事の邪魔をしない思慮もちゃんとあるようだ。紅茶とカフェオレを頼んでやって、空いてる席に2人で腰を下ろす。
ヒトでなく、吸血鬼の超常的な能力を持たずに吸血鬼の始祖たりえるモノとはいったい何だ。

「ボス?」

訝しげなシュバリエの声に、自分が立ち上がっていたことに気付く。いつの間にかテーブルの上に置かれていた紅茶が、カップの中でゆらゆらと波紋を描いていた。

「ああ、すまん。迎えはまだかな。」

「もう少し掛かると思います。」

ひょっとしたらシュバリエの仕事が速すぎて、送ってきた車がまだ屋敷に帰り着いてすらいなかったのかもしれない。こんなに早く済むのなら帰すのではなかったと思っても後の祭りだ。
その後の待つのみの10分は、どうしようもなくインテグラを懊悩させる事となった。



 「お帰りなさいませ。」

エントランスで執事が恭しく腰を折りインテグラを出迎える。

「グエンダから話は?」

「お聞きしております。」

部下たちが有能なのは大変喜ばしい事だ。おかげでインテグラは面倒な説明をすべてすっ飛ばすことが出来る。
グエンダの言う『インテグラのコネ』の方ばかりは、面倒でもインテグラがやらなければならないが。

「円卓招集の手配を頼む。」

「承知いたしました。」

簡素な言葉での短い会話を追え、もう一度執事が腰を折って仕事に向かう。
手持ち無沙汰のていのシュバリエをさっさと戻って働けと追い立てて、インテグラはその足で地下へと赴くと、未だ惰眠を貪っているであろう囚人の居る最奥の牢獄で、寝床である棺をノックした。

「アーカード、ちょっと聞きたい事があるんだ。」

反応は、無し。
もう一度ノックしてから数秒待って、インテグラは聞かせるための溜め息を吐く。

「分かった、チョークを持ってくる。」

途端に開いた棺の中から、やれ大儀そうに男が躯を起こした。呼吸があれば溜め息でも吐きそうな風情だ。

「何かね主。」

不機嫌さを隠さないその態度に、いつも自分はどれだけ人の安眠の邪魔をしてくれてると思うとむっとしたが、それは抑えて用件に入る。

「吸血鬼と人の間に出来た子には繁殖が可能だと思うか?」

「なんだ、そんなに私と子作りしたかったのならそう言えば・・・」

言いながら男がインテグラの頭に手を添えて唇を重ねてこようとするので、その額に銃口を押し当てる。

「寝言は寝て言え阿呆。」

インテグラの笑顔での返答に男は鼻白んだように洒脱に眉を上げてみせ、降参だとでも言うように両手を肩の前に挙げた。

「分からん。試したことが無いと言っただろう。」

「私は『思うか?』と聞いたんだぞ。」

「思わんな。」

「いや、だからな・・・え?」

今回もどうせ数段階の手順が必要だと考えていた男の答えが、即答と言う早さで返ってきた事に驚いた。

「・・・繁殖が出来るとは思わない。つまり繁殖は出来ないと思うんだな?」

「Yes,sir.」

男がそう応えてインテグラの確認を肯定する。
アーカードの予想が間違っているという可能性も加味した上での、仮定によって成り立つ仮説ではあるが、未知の吸血鬼が人間の生殖細胞を使って眷属を増やしているのだとしたら・・・逆という場合もあるだろうが・・・繁殖能力の無い吸血鬼たちも、それを見張る為の機械の必要性も何となく合点が行く。

「そうか、邪魔したな。」

用は済んだとばかりに立ち上がったインテグラの手を男が掴む。

「私が起きなかったらどんな嫌がらせをするつもりだったか聞いておこうか。」

チョークの脅しは割と効いていたらしい。今度からシガーケースにチョークも常備しておく事にしよう。

「そんなの、秘密に決まっているだろう。」

また次の機会に使うためにも手の内を明かしてなるものか。対策を講じられては意味が無い。
離せと言外に睨み付けると、男は気分を害した風でもなく珍しく素直に手を放す。こちらの用事は済んだので後は二度寝するなり何なりすればいい。インテグラはさっさと踵を返して歩き出し、思考の海へとタイブする。
敵の目的はいったい何なのだろう。永遠の命の希求か人を害するためという事は想像に難くないが、何年も何年も出来損ないをモニタリングする事が吸血鬼の不死身の探求に繋がるとは思えないし、また虐殺道具として使うならもっと繁殖させてばら撒けばいい。どちらの目的にせよ効率が悪いこと甚だしいとしか思えない。
―――――まさか、何か実験でもしているのか?
いや、あくまで全て仮定の話だ。仮説を基礎とした推論など何の意味も持たない。確かなのは『吸血鬼を見ている誰かが居る』ただその一点のみなのである。
その意味の無い仮説の種を拾い集める為に叩き起こされた従僕には迷惑な話だろうが、いつも迷惑を掛けられている側としては痛む胸も無い。
―――――あとはグエンダの調査と円卓頼りか・・・
不確かな推論までを披露するつもりは無いが、協力を得るためにはある程度の情報開示は必要だろう。
英国と英国民に害なす輩を撃退し殲滅する。その仕事自体に何ら変わるところは無いが、元を断つ事が最も肝要なのもまた事実。屍食鬼を始末するのはそれが目的ではなく大元である吸血鬼を叩く事こそが本意だ。屍食鬼の代わりに吸血鬼を寄越している何者かが居るとするのなら、そいつを標的とするのは当然の帰結であろう。
ほとんど無意識のままに執務室に辿り着き、黒檀のデスクの相棒であるレザーのチェアに腰掛ける。そこでようやく浮上して意識をデスク上の書類に向けられた視線へと乗せると、既に円卓で使う為であろうレジュメが用意されていた。

「僭越ながらお作り致しておきました。図書館の方で何か新しい情報はございましたでしょうか。」

執事の声に視線を上方修正。ドアからここまで歩いてくる時に視界の隅に入った覚えがあるから驚きは無い。

「何者か、が20年以上も前から暗躍していたかもしれない。それくらいだな。」

「20年以上、でございますか。」

「ひょっとしたらもっとかもしれないが。何か心当たりは無いか?」

「いえ、特には。」

「そうか。」

それもそうだ。気付いていれば執事が警告を発してくれただろうし、父にしても何か。いや、父はうっかり言い忘れていても、又は言う必要なしと判断していたとしても不思議ではない。
何しろアーカードの事などこれっぽっちも教えていかなかった人だ。

「いつ集まれそうだ?」

「ご多忙の方々ですが丁度空きがございましたようで、明後日にはお集まり戴けると。」

主語の無いインテグラの言葉に執事は躊躇すらせず返事を返す。
そうか。と頷き、手に取ったレジュメに目を通し始める。兎にも角にも情報が絶対的に足りない。今は円卓の御仁らの協力を仰ぐしかあるまい。
それにしてもこの胸騒ぎは何だろう。円卓の招集に気が進まないといった、そんな幼稚な感情のせいなどでは無いと思いたい。
漠然と気を重くする何かを未知の敵に対する警戒心ゆえと片を付け、インテグラは頭を切り替え日常業務に勤しむ事にした。





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