◆導入―introduction―


資料によると最初の被害者が出たのが2週間前。
それから十日で被害は拡大。容疑者に職務質問に向かった警官は帰らず、その後派遣された警官隊も音信を絶ち、何とか自分達の手だけで事を収めようと考えていた地方警察署の幹部は、ここに至ってようやくこの案件が自分達の手に負えない事を悟ってヤードへ支援を求めた。
外出先で知らせを受けたインテグラは迎えに来た車の中で資料を捲りながら眉を顰めた。
村民と警官たちはきっと今ごろ全員屍食鬼になってしまっているだろう。果たして無事な者が居るかどうか。
もし居たとしても救出作戦よりも早急に親玉を叩くのが急務だ。
屋敷へはあと少し、先ほどから繋げたままの携帯で屋敷に居る執事に訊ねる。

「ウォルター、ヘリの用意は?」

『出来ております。既にあちらに向かわせております実動部隊の方はどうなさいますか?』

「今さら部隊を投入しても遅いだろうが・・・そうだな、村の周辺の封鎖を警察に任せるのも心もとない。実働部隊はそちらに。親玉の始末は、アーカードにやらせる。」

『了解いたしました。』

まだ日暮れまで少しある。一旦帰ってあの男を叩き起こさねばなるまい。
車がエントランス前に停まりきる前にドアを開けて飛び降り、すぐさま地下の最奥の部屋に向かう。

「仕事だ従僕。」

大きな黒い棺を叩き声を掛けると、軋みすら立てずに蓋が開き中から男が起き上がる。
玲瓏たる白皙の中で鮮血色の瞳がインテグラを一瞥し、柳眉の間に皺が刻まれた。

「まだ日暮れ前だぞ主。」

散々人の安眠の邪魔をしている分際でどの口が言うかと思ったが今は時間が惜しい。どうせ夕日くらいで消し飛びはしないのだから、四の五の言わずに飛んで行けと言いたいところではあるが。

「私も行くから影の中で寝ていていい。」

「ほう、お優しい事だ。」

「いいからさっさとしろ。」

苛々と言い放つと、男は棺から出てきてインテグラの目前に立った。明かりは廊下から挿し込む照明の光のみで影は薄いながらも長い。影を踏むのにこんなにも近付く必要は無い。
自分より20センチほど上にある相貌を仰ぎ見て睨み付けた。仕事をないがしろにしようと言うのならこちらにも考えがある。だが男はふんと鼻で笑って、大人しくインテグラの影に溶け込んだ。相変わらずそれは見た目も感触も気色が悪い。
すぐに踵を返してヘリポートへと向かうインテグラに、途中からウォルターが合流した。

「お嬢様、どうやら地元警察は武装した警官隊を再び投入した模様です。」

「何だと?待機の支持は出したのだろう?」

「勿論でございます。」

「糞っ!!」

莫迦な管理職のせいで無くてもいい被害者が増えること。これほど忌々しい事と言ったら無い。

「ウォルターはここで中継を頼む。私は向こうに行って莫迦共を少し捻ってくる。」

「了解いたしました。」

立ち止まって腰を折った執事を置いて屋上に出ると、すでにエンジンの掛かったヘリが待っていた。乗り込みながらジェスチャーで「行け」とパイロットに指示してヘッドフォンを付ける。チェーダース村まで約1時間と言ったところだがヘリが降りれる場所があるかどうか。陸路を取っている実働部隊の到着はさらにもう少し遅れるだろうが、それでも日が暮れる頃までには現場に着けるだろう。
―――――牧師に化けるとは、全く忌々しい糞ミディアンめ。
化け物にも腹が立つが人間にも腹が立つ。下っ端は知らなくても、例えド田舎の山村警備隊だろうと、トップは知っていた筈なのだ。国教に仇なす化け物と、それを駆逐するヘルシングの存在を。

『お嬢様、現地の対策本部は村の学校に置かれているようでございます。』

ヘッドフォンに通信が入る。ヘリの音は完全には遮断できないが、執事の落ち着いた声はよく聞こえた。

「それは重畳、奴らの鼻先に降りてやるといい。」

学校ならある程度の広さの平地があるだろう。パイロットにも聞こえるように言って窓の外を見る。傾いて赤みを帯びた太陽の代わりに、うっすらと赤みを帯びた月が東の空から上がるところだった。



 右往左往している人々を蹴散らすようにして、インテグラの乗ったヘリが学校の中庭らしき芝生の上に着陸した。どうせそこいらに居るのは哀れな村民ではないのだから遠慮する気もない。
ヘリから降り立つとすぐに内勤警官と思われる男が走り寄ってきた。

「ヘルシング卿でいらっしゃいますか?」

「いかにも。」

「こちらに・・・」

男が先に立って案内する前に、幾つかあるテントの中で目星を付けたそれに向かい、挨拶もなしに出入口の幕を跳ね上げた。中では村の警察幹部らしい男たちが雁首をそろえて思案に、と言うよりも途方に暮れている。

「ヘルシング卿をお連れしました。」

数歩あとから慌ててテントに入ってきた男の言葉に、その視線が一斉にインテグラへと注がれる。

「あ、貴女がヘルシングの・・・」

「一体、あの村で何が起こっているのですか。」

警察の階級制度が染み付いてはいても、やはり若年の女に敬語を使うのには組織幹部として違和感があるのか、どうにも微妙なイントネーションで男たちが訪ねた。こいつらの凡庸ぷりは致し方ないとして、最も捻りあげたい莫迦者は警察署の椅子に今ものうのうと座っているのだろう。だがそのトップへの処罰はインテグラの範疇では無い。然るべき機関から然るべき処分が下される筈だ。

「簡潔に説明すると、あの村に吸血鬼が入り込み村民らを襲い、襲われた者たちは吸血鬼の僕として生ける屍・・・我々が屍食鬼と呼ぶものになって警官隊を襲っている。と、こんなところでしょうな。」

「吸血鬼?屍食鬼?まさか、そんなものは物語の中の・・・」

「貴方がたは知らなかったでしょうが、これが真実であり今起こっている現実です。署長を通じて待機をお願いしていた筈です。早急に村内に投入した武装隊と村を包囲している警官たちを撤退させて頂きたい。」

「いや、それがすでに連絡がつかない状態で・・・」

怒りも突き抜けると笑顔になるらしい。魔女の微笑みは田舎者たちを凍りつかせるには十分だった。

「ここからは我々の仕事です。貴方がたは、ぜひ、大人しく、ここで、お待ちください。」

子供にでも言うように極力優しく言って聞かせたが、余計に彼らは震え上がった事だろう。
インテグラはすぐにテントから出て手近な雑木林に入った。

「アーカード、行け。」

影が盛り上がり、大柄な男が浮かび上がる。

「ここから北東に700メートル程のところに件の牧師が居た教会があるらしい。が、そこに居るかどうかは分からん。探索して抹消しろ。見敵必殺だ従僕。」

「認識した、我が主。」

にいと笑って、男はゆらりと木立の奥に入って行く。男の機嫌が良さそうだったのがインテグラに一抹の不安を抱かせた。空を見上げれば、黄昏を過ぎて存在をいや増した緋色の月。
―――――満月か、嫌なタイミングだ。
月、すなわち狂気。それはヒトよりもバケモノに顕著に作用する。

「ああ、良い夜だ。」

遠くから男の声が聞こえた気がした。
渋面を刻みつつ踵を返した時に一台の装甲車が校庭内に入ってくる。停まったそれから実働部隊長が降りて来てインテグラに走り寄った。

「局長、街道の封鎖と包囲網が完了しました。既に各隊、屍食鬼と接触しているようです。まだ日が落ちたばかりだと言うのに、多いですな。」

然もあらん。

「村1個分に莫迦共が割り増ししてくれたからな。」

親玉はたった1匹でも屍食鬼は鼠算式に増えていく。通常攻撃で動きを止められないという、ただそれだけの事が人間にとって脅威になる。

「包囲網に接触した屍食鬼のみ始末しろ。深入りはしなくていい。・・・遠からず片が付く。」

自分の体質は屍食鬼にも効果があるのか。試してみたい気がしないでも無かったが、今回は余計な事をしている場合ではない。
―――――何事も無ければいいが・・・
それはもう、予感でしかなかった。

「あの・・・」

考え込むインテグラに声を掛けて来たのは最初に会った内勤警官だった。

「テントをひとつ空けましたので宜しければ。」

当り散らしたつもりは無いが、苛々していた自分を省みて出来るだけ優しく返答する。彼らは知らなかったのだから仕方がないのだ。

「有り難う。だが、すぐに片付くと思う。」

「親友が、出動しているのです。」

何を求めて彼がそう言ったのかはインテグラには分からない。

「日も暮れて屍食鬼共も木偶なりに活発になる。残念だが村内で生存できる確率は非常に低い。」

きっともう生者など居ないと言ってやれば良かっただろうか。だが一縷の望みを持っているのはインテグラとて同じだ。
殺しても死なない者を確認した時点で署長あたりがすぐにヤードか機関に連絡してくれれば、あるいは彼の友人は命を落とさずに済んだかもしれない。だが、そんなたらればの話になど意味はない。

「そうですか・・・」

肩を落とし去る彼のような人間をもう何人も見てきた。人は愚かだ、自分も含めて。
父はきっと、こんな思いを自分よりもずっと沢山してきたのかもしれない。
そんな考え事を遮るように、俄かにざわめいた警察関係者や機関の隊員たちに、インテグラは怪訝に思いつつ人々の視線の先に目を凝らす。大柄な人影が少しずつ大きくなってくるのが見えたが、今さら隊員たちがアーカードの帰還にざわつくのもおかしい。
いや、確かにあの影の形はおかしくはないか。

「生存者か!?」

実働部隊長の声に応じて、聞きなれた低い声が答える。

「いや、こう見えても死人だ。」

愕然とした。化け物を退治に行ったはずの奴がなぜ動く死人を抱いて戻ってくる。
駆け寄ってみれば、アーカードに抱かれた娘は確かに人としての持ち物では無い禍々しい赤い光を宿した瞳で、落ち着き無くきょろきょろと辺りを見回していた。その瞳には意志というものが見て取れて、彼女がただの木偶でないという事が分かる。

「任務完了だ、我が主。」

何が任務完了だ。化け物は最終的に減っては居ないではないか。
言いたい事は山ほどあったが、ここで問答するわけにもいかない。

「帰投する。」

低い声でそれだけ言ってヘリへと向かい、面倒な事後処理を執事に頼むためにヘッドフォンを付けて回線を開く。
撤収の支持を出していたのかやや時間をとってから応答した執事に、ヤードへの経過報告と今回の責任者への然るべき処罰を依頼するように指示してから、あの娘の事を話した。吸血鬼の被害者である村民も警官たちも、吸血鬼の抹殺と共に霧散した筈だから彼女もその中の一人として処理されるだろう。死者として処理されるのか失踪者として処理されるのかは機関の管轄外だ。だからと言って不都合が無いわけではない。
通信を切り、既に後方で見えなくなった村に思いを馳せる。村民すべてが忽然と姿を消したような村に今後住み着く者も居ないだろう。あんな田舎ではスラム化しようも無いから、あの村が地図上から消えて無くなるのも時間の問題でしかない。
いったいどれほどの犠牲者が出たのか。
中天近くまで昇った月は今や白く煌々と屋敷の屋上のヘリポートを照らしていた。
パイロットを労う様に肩をひとつ叩いてからヘリを降り、そのまま執務室と向かう。乗り込むときと同じように途中で合流した執事と共に執務室へと入った。

「あの二人は?」

腹立ちまぎれに置いてきてしまったが、吸血鬼を2人残して自分だけさっさと帰ってくるなどやってはいけなかった。自分で思っているよりも頭に血が上っていたのかもしれない。

「アーカード様は存じませんが、婦警殿の方は卒倒されたようで機関の車でこちらに向かっております。」

「卒倒・・・」

化け物、それも最上級の化け物たる吸血鬼が卒倒などするとは初めて聞いた。
いや、突っ込みどころはそこだけではない。

「婦警、と言ったか?」

「はい、左様で。」

「あそこに投入されていたという事は武装警官なのか?あれが?」

「そのようでございますな。」

「身元は?」

「調べておきました。」

流石に仕事が早い執事に渡された資料に素早く目を通す。
セラス・ヴィクトリア。
4歳の時に家族と死別してからは天涯孤独。以降を施設で育つ。
死別の原因となった事件のあらましを見てインテグラは眉を顰めた。この被害者の名前と住所をどこかで見なかったか。
ずれてもいない眼鏡を指で押し上げて、そのまま額をトントンと指でノックするように叩く。17・8年も前の事だから、その時の新聞報道をインテグラが記憶していたとは思えない。もっと近い過去だ。
本の頁を捲る様に記憶を辿る。
―――――ヴィクトリア・・・S、T、U、V・・・違うな、地名か・・・
現場となった地名に焦点を絞って考えているうちに、しばらく前に図書館で見た資料の一部が頭に浮かんできて、我知らず息を呑んだ。

「ウォルター、あの娘、いや、あの娘の家族と言うべきか、以前うちで片付けた吸血鬼の被害者だ。」

「何と。」

化け物の始末後の事は機関の仕事ではないが、大概は『危険な為やむなく射殺された凶悪な殺人犯』として処理される。あの娘の家族を殺した吸血鬼も、そういった強盗殺人犯として法的には処理されたのだろう。彼女はそれを信じて警官になったのではないかと、容易に想像がつく。
家族を吸血鬼に殺された上に、せっかく助かった自分も吸血鬼に襲われるとは何と運のない娘だろう。しかも、いま現在も一概に助かったとは言えない状況だ。これが、例のカルマとか言うものなのだろうか。
何にせよ頭の痛い話だ。

「とりあえず地下に・・・」

言いかけてやめた。この執事の事だ、抜かりはないだろう。
その執事は「失礼を」と言って着けていたイアホンを押さえる様にして耳を傾けた。

「お嬢様、実働部隊が戻ったようでございます。婦警殿は地下に用意した部屋に運ばせますので、わたくしも様子を見に行って参ります。」

屋敷のものが招き入れないと吸血鬼は入ることが出来ない。
この館の場合インテグラでなくても執事や召使い達でも可能だろう。

「まだ寝たままか?」

「そのようで。では行って参ります。」

言って執事は腰を折り、部屋を辞す。
なりたてとは言え卒倒したまま1時間以上も眠りこけているとは、いったいどんな吸血女だ。それとも親となる吸血鬼が規格外だからこういう事になるのか。その規格外の事を思い出して沸々と怒りが込み上げてくる。そこに折悪しく男が壁から現れた。

「着いた様だな。新しい下僕の顔でも見に行くか主。」

しれしれとそんな事を言う従僕に、苛立ち紛れに近付いて行って思い切り頬をはたいた。もちろん男の顔は微動だにしない。

「いきなり何をする。」

「何をだと?貴様いったい自分が何をしでかしたのか分かっているのか!?」

「命令通りゴミは始末したはずだ。」

「一匹駆除して一匹増やしたらプラマイゼロだろう!!誰も眷属を増やせなどと命令していない!!」

「何を怒っている、私の下僕ならお前の下僕も同じだろう。駆除する魔物とそうでない魔物を選別する事を、お前は選択したと思っていたが?」

言葉に詰まる。アーカードも含めて利用できるなら例え化け物でも利用すると、そう決めた。決めはしたが。

「・・・使い物になるのならな。」

そう応えるしかないのが腹立たしい。
この男の事だ、決してインテグラの為にそうした訳ではない。気紛れか興味、あるいは面白がってるだけに違いないのだ。

「それは仕込み次第だろう。新しい部下に会いに行くのかね、行かないのかね?」

眉間に皺を刻んだまま、インテグラはドアへと向かった。背中に男の含み哂う気配を感じて思わず振り返ると既にそこは無人で、誰も聞いていない事を幸いに舌打ちする。
急ぎ足で地下へと降りていけば、長い廊下の途中でドアの開け放たれた部屋の方がどうも騒がしい。
どうやら目覚めたようだ。
入り口の前まで来ると中に居た執事がインテグラに気付いて軽く腰を折る。床を通り抜けてきたのであろう男はすでにそこに居て、ベッドの上で半身を起こした娘は、ちょっとした恐慌状態ではあったが萎縮した様子ではなかった。案外図太い性格なのかもしれない。
ベッドに歩み寄ると、娘は少し驚いた様子でこちらを見た。

「セラス・ヴィクトリア、今自分の置かれている状況が把握できるか。」

「あの、死んだところまでは憶えています。」

「ここは王立国境騎士団、通称ヘルシング機関。女王、ひいては英国国民に害なす妖物魔物の類を殲滅する機関だ。お前は吸血鬼の起こした事件に武装警官として投入され、そしてこいつのせいで動く屍になった。」

禍々しい赤い巨躯を指差して視線をやると、娘もそちらの方を見る。

「私のせいでとは心外だ。」

「煩い、顛末は知らんが要するにそうだろうが。」

「私は選択肢を示したまで、選ぶのはいつも人間だ主。」

にんまりと微笑んで男は言う。所詮、人間の逡巡などこの化け物にとっては退屈しのぎの娯楽なのだ。

「私、死んでる・・・んですよね?」

娘が言う。現場で散々酷い目にあったのだろう、化け物の存在自体は受け入れているようだ。受け入れざるを得ないと言った方が正しいのかも知れない。

「昼の日の光の下を歩くことも人らしい食事を取ることも出来ない代わりに、老化することも無く人並みはずれた能力を持つ吸血鬼に成っているはずだ。」

インテグラの横から執事が手鏡を差し出し、娘はそれを受け取ると鏡面を覗いて絶句する。

「慣れれば映るようになる。」

暢気にも聞こえる男の言葉は、彼女にとっては何の慰めにもならないだろう。
何も知らずに仕事に行って化け物に追い回され、挙句に自分も化け物にされてしまったわけなのだから。

「お前にはうちで働いてもらう。」

「他に選択肢は・・・」

「今すぐこの世から消えたいというのなら拒否してもいい。」

非情な様だが自分の子飼いの吸血鬼が増やした眷属を、野に放つことなどインテグラに出来ようはずが無い。

「・・・分かりました。」

しょんぼりと応えた娘は、どうやら消える方の選択肢を選ぶ気は無いようだ。
この若さだ、この世に未練がある事は理解できるが、この先の永劫と思われる夜を本当にこの娘は理解しているのだろうか。アーカードはこの娘が選択したのだと言ったが、自らが背負わされるものを分かった上で選択できたとは到底思えない。

「私の下で働く限りは衣食住には責任を持つ。宜しく頼むぞ。」

娘はインテグラをじっと見て俄かにうっすら笑みを浮かべ、ぴょこんと頭を下げた。

「はい、宜しくお願いします。」

鏡に映らない事と瞳の色を覗けば至って普通な、それどころか人好きのする顔立ちだ。それとも、それが吸血鬼というものなのだろうか。生前の彼女を知らないインテグラには分からない。

「ウォルター、後は頼む。」

言って、従僕に目配せして部屋を出た。
地上へ出る階段とは反対側、一番奥の部屋に入ってしばらくするとそこの住人が現れる。

「どうした主。」

「お前、あの娘に何かしたのか?」

「何かとは?」

「従順すぎやしないか?」

成り立てとは言え吸血鬼だ、人間に無条件に従うのには違和感しか感じない。

「それとも主持ちはあんなものなのか?」

「人と言わず主以外には従わぬものだが、お前こそ魔術でも使ったのではないか。」

「馬鹿な、お前ら化け物がほいほい使う妖力と違って術には準備と道具が要る。ただでさえイレギュラーな出来事なのに、そんな暇あったはずがないだろう。」

無駄とは思いつつも嫌味のひとつだって言いたくなる。

「では刷り込まれたのだろうよ。」

「インプリンティング?」

「生まれたばかりの時に良い匂いのするものが『私の傍にいれば大丈夫だ』と教えればそうなるだろうよ。」

「良い匂いって・・・お前たちにとって食いもんの匂いって事だろう?」

「母親と言うのはしょせん安全を保障してくれる食料でしか無い。」

身も蓋も無い言い方だが、真理と言えなくも無いのか。

「契約の必要は?」

「半人前の内はやっても無駄だ。」

「つまりお前の命令が優先されるって事か。」

アーカードの言う刷り込み効果とやらも眉唾ものであるし、安全牌とは言い難いが暫くは様子を見るほかあるまい。

「吸血鬼の娘を持った気分はどうかねインテグラ。」

「お前をぶち殺してあの娘と契約するのもありだな。と、いま考えていた。」

少なくとも、今以上に睡眠時間を削られることは無くなるだろう。

「あの娘が存外に役に立つようだったら本気で考慮するぞ。せいぜい仕事に励め従僕。」

貼り付けた笑顔で男に向かって言ってやり、化け物の塒から出る。
可笑しそうに喉で鳴らす男の声が、歩き出す背後で聞こえた。





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