◆この世は我らの主とそのメシアのものとなった


 「ジャック、ジャーック!!」

ヘルシング邸の庭にインテグラの声が響き渡る。

「なぁに?母さま。」

ひょっこりと木の上から逆さまにぶら下がった少年を見つけて、インテグラは眉間に皺を寄せた。 艶やかな黒髪がさらさらと顔の下で揺れている。

「何?じゃないだろう。夕食の時間にはちゃんと席に着いているようにといつもあれほど。」

「はーい、ごめんなさーい。」

言いながら少年は地上から3メートルほどの高さにある枝からふわりと舞い降り、インテグラの元へ歩み寄ると50センチほど上にある彼女の顔を見上げて口を尖らせた。

「普通のご飯の方は美味しいんだけどさ、輸血用の血はもう飽きたよ。」

「贅沢を言うな。ほら、行くぞ」

インテグラは少年を促して歩き出す。
見た目は年の頃12〜3といったところだが、実は彼はその半分ほどしか生きていない。
駆け寄ってインテグラの手を握ってきた少年が、小走りで付いて来るのに気付いてインテグラは少し歩調を緩める。

「ねえ、母さま。僕このままどんどん成長していっちゃうのかな?」

そう問われて、インテグラは眉尻を下げた。
正直なところ彼女にも全く分からないのだ。不死者と生者の混血という因果な生い立ちのこの少年が、いったいどのように成長するのか。そもそも逆に成長が非常に遅いだろうと想像してたというのに、受胎期間は普通の人間の胎児とほとんど変わらなかったし、いざ生まれてみればこうである。
インテグラの膨大な知識の中にも、伝説の中の存在であるダンピールに関して事実と認定できるほどの記述は思い当たらない。それを言ってしまえば吸血鬼とて同じ事で、フィクションの中に真実が無いとは限らない。
伝説の中のダンピールの記述で言えば、吸血鬼を殺す能力を有する事と、人の生を失うと吸血鬼になってしまうという事。それから、

「多分、ある程度大きくなれば止まるとは思うんだが・・・すまない、憶測でしか何も言えないんだ。」

「僕と同じ子って居ないの?」

「分からない。居たのかも知れないし、居ないのかもしれない。」

確実な事は、この少年がその伝説の中の混血児だという事だけ。
屋敷に入りインテグラとジャックはダイニングへと向かう。食卓の傍に控えた執事が絶妙のタイミングで引いてくれた椅子に座ってインテグラは執事に問い掛けた。

「アーカードは?」

「・・・まだのようでございますな。」

僅かに眉間に皺を寄せて執事は答え、

「ご用意させて頂いても宜しゅうございますか?」

とインテグラに尋ね返す。

「いや、もう少しだけ待ってくれ。」

いつもと同じ問答を繰り返し、インテグラは小さく溜め息をつく。
『家族で食事を摂る事』を約束事として提示したのはインテグラの方なのだ、先に食べ始めていては具合が悪い。

「おはよう、インテグラ。」

夕暮れ時に朝の挨拶をしながら壁から現れた夜の住人に、インテグラは顰め面を向けた。

「アーカード、ドアから入って来いと何度言ったら分かるんだ。」

「それは失礼。急いだほうが良いかと思ってね。」

「お嬢様。」

「うん、頼む。」

インテグラの頷きに、執事は料理を運ぶために調理場へと向かう。執事が扉をくぐるとアーカードはインテグラに静かに歩み寄った。

「インテグラ。」

男の呼び掛けにインテグラは不承不承と言ったていで瞳を閉じて顔を僅かに仰がせる。
「家族は食卓を共にしなければならない」と言ったインテグラの主張にアーカードは 「では妻は夫と朝の挨拶をするべきだ」と訳の分からない事を主張してきた。 結局丸め込まれたインテグラはアーカードがちゃんと食卓へ来る交換条件に挨拶=キスを義務付けられてしまったのである。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん・・・んーっ!!」

しばらく我慢していたインテグラは、もがきながらアーカードの胸を叩き始める。 それでやっと離れた男を突き飛ばすように腕の中から逃れた。

「こっ・・・これは挨拶じゃ無いだろう!!」

荒い呼吸をしながらの抗議にアーカードは片方の眉尻を上げたが反論はしなかった。
お前が素直に口付けさせるので歯止めが利かないのだなどと言ったら、では挨拶のキスはやめるとインテグラが言い出しかねないからだ。

「はいはい父さま、母さまがカワイイからってベロチューしてないでさっさと席に座ったほうが良いよ?」

「ベッ、ベロ・・・ジャック!!」

息子の言葉遣いを窘めようとするインテグラに、ジャックは涼しい顔で指を挿す。

「ウォルターがすごい形相で見てるけど?」

思わずダイニングと厨房の出入り口に目を向けたインテグラの視線の先で、執事が咳払いをしながらワゴンを押してくる。

「ジャック様、すごい形相とは些か人聞きが悪うございますな。」

「えぇ〜、だって本当にすごく怖い顔してたよ〜。」

「ジャック!!」

「・・・はい、ごめんなさい母さま。」

インテグラの叱責に首を縮めたジャックの向かい側に、もともとの元凶が座り、食卓に皿が並べられていく。
インテグラとジャックの前には前菜の盛られた皿が、アーカードの前には赤黒い液体の入った皿が。申し訳程度のその量を見てアーカードは眉を顰めた。

「ウォルター、私には一皿で良いと言ったはずだが。」

「そうはいきません、体裁といったものがございますので。」

「ふん、これだからジョンブルは。」

これから少しずつ食餌の入った皿が何枚も来ると思うと些かげんなりするが、従順・・・ 一瞬ではあるが・・・なインテグラへの代償だと思えば致し方無い。

「ジャック、手を合わせなさい。」

インテグラに言われてジャックが手を合わせる。

「神と大地と女王陛下に感謝いたします。AMEN.」

「AMEN.」

インテグラの言葉をジャックが復唱し、それからやっと食事に入る事が出来る。
さすがにインテグラもアーカードにまでは復唱を強制しない。ダンピールであるジャックに言わせるのもおかしな話かもしれないが、ジャックが授かったのも神の御心には相違ないのだ。

「どうでも良いけど父さま、あんまり母さまを困らせていると殺しちゃうよ?」

前菜を口に運びながらジャックが笑顔で剣呑な事を言う。
伝説によればジャックにアーカードを倒す素質はあるのかもしれないが、それはやってみなければ分からないだろう。

「ダンピールというのはシスコンやマザコンが多いらしいな。私の女に手を出すなよジャック、殺すぞ。」

対してやはり口元に笑みを浮かべて伝説上のダンピールの特性を揶揄するアーカード。
そんな二人のやりとりを眺めてインテグラは渋面を作った。

「お前ら・・・何か家族らしい会話は出来ないのか。」

フォークとナイフを置いたインテグラの前で食卓上の皿が前菜から主菜へと変えられていく。
相変わらずアーカードの前の皿は赤黒い液体の入ったものだが。

「家族らしい会話・・・家族らしい会話・・・父さま、今度の日曜に教会に礼拝に行かない?」

「良いな、ついでにピカデリーにでも行くか?」

「・・・もう良い、やめろ。」

吸血鬼とダンピールが日曜礼拝に行ってその後ピカデリーサーカスで観劇。この二人の事、本当に上っ面だけニコニコしながらやりそうだから余計に嫌だ。

「母さま、僕がんばって早く大きくなって強くなるからね。そしたら父さまなんていらないからちゃっちゃと封印しちゃっていいよ♪」

「ふん、1000年早いわ餓鬼め。化け物退治が出来るからと言ってインテグラを満足させられるとは限らんぞ。」

「・・・頼むからもうお前ら黙れ。」

小さい頃から憧れた一家団欒はどうも手に入りそうには無さそうだ。
諦めのため息には、それでも笑みが混じっていた。




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