◆昇華


 10年。インテグラがアーカードと出会い、そして「死ぬ」までと同じだけの時間が過ぎた。
ヘルシング家の後継者として生まれた子供は、今は全寮制の学校に通っているので屋敷には居ない。機関を束ね、ひっそりと英国を魔物から守るのは相変わらずインテグラの仕事だった。
インテグラが吸血鬼となってかつての主従関係は崩壊したはずだったが、新しい後継者と契約をする気配もないアーカードにその訳を問うと、意外な答えが帰ってきた。
インテグラが存在するからだと彼は言う。
主人ではなくなってもインテグラが存在する以上は新しい主を得ることは出来ないのだと、アーカードは言うのだ。
―――――私が消えて無くなれば全て丸く収まる。
独り、苦い笑みをこぼす。
ロンドンに戻ってから彼は相変わらず『ヘルシングのゴミ処理屋』をやっているのだから、インテグラさえ消滅すればアーカードも新しい当主に仕えるのだろう。
子供にはインテグラが母親であることは言っていなかった。
母親と言っても遺伝子上の事。愛情はあるがヘルシングの後継者が吸血鬼を母になど持っていい筈がない。実質、指揮系統を自分が握っている事にも逡巡があるのだ。このままではいけないと思うのが、子供が成長するまでと思ってずるずると続けている。
子供が成長してヘルシングを継いだら、その時自分はどうするのだろう。
当然、消滅を選ぶべきだと言うことは分かっている。だが自分の中に迷いが生まれている事にインテグラは気付いていた。
永らえたいと言う訳ではないのだ。
いまだに自分が吸血鬼である事は認めがたい。だからアーカードが命令しないのを良いことに、一度も血液を口にしてはいない。 何故なのかは分からないが、アーカードはインテグラに「飲め」とは言っても 「命令だ」とは言わなかった。同じ化け物になっても相変わらずアーカードの思考はインテグラにとって謎でしかない。
―――――すぐに飽きるだろうと思ってたんだがな・・・
求められるうちにそれが当たり前になってしまった自分と、それが無くなる不安を抱えている自分が居る。
酷い事ばかりされていると思う。とてもあれを自分が顎で使っていたのだとは信じられないほどに傲慢な主人を、憎いと思えないのは従属だからなのか、それとも。
憎くは無い。辛いだけ。
その辛さの意味が何なのか分からない。いや、分かりたくなどない。
気付けばもっと辛くなるだろう自分を、心の奥底で知っているから。
おもむろに、自分の肩を抱きすくめる。気配がする。主が帰ってくる。歓喜する躰と忸怩たる思い。
逃げるように、待ちわびるように。インテグラは地下の自分の褥へと戻る。仕事から戻ったアーカードは必ずインテグラを抱くのが常だった。闘争の余韻に滾っているのか、手応えの無い敵に満たしきれない欲求を抱えているのか、その行為は激しく執拗だった。

「っ・・・ぅ・・・」

インテグラは唇を噛み締めて声を押し殺す。数え切れないほど抱かれても快楽に慣らされても、自意識のある間のインテグラは人である時のままのストイックさと強情さを持ち続けていたが、忘我の淵に立たされ続けるうちに化け物側の本能を発露させる。

「あっ・・・あぁっ!」

髪を振り乱し、嬌声を放ち、もっとと強請るように躰をくねらせる。アーカードの指も声も視線も、すべてが快楽のベクトルを帯びてインテグラを昂ぶらせた。
そして決まって、情交のあとに我に返っては激しく後悔するのだった。いっその事、自我など無くなってしまえば良いのにと。





 随分と長らく見ない元上司の部屋をセラスが訪れたのは、彼女が自らを統べる自らの王となり、それを機にインテグラに頼まれて、幼い当主と契約して3年が経った頃だった。 ちょうど彼が学校を卒業して屋敷へ戻ったからでもある。
突然、独りにされてしまって何をしたら良いのか分からなかったセラスは、インテグラの頼みを快諾し彼の守護に当たっていたのだった。彼はきれいな白磁の肌を持っていたが、淡い月光色の金髪も夜色の藍玉もインテグラによく似ていた。
暫く戻っていない自分の部屋も素通りしてインテグラの部屋を訪ねたセラスは、椅子に座る死人そのものの姿を見て慌てて駆け寄る。

「インテグラ様!!」

両腕を掴んで揺すり、声を荒げたセラスにようやくインテグラが反応する。大儀そうに瞼を開いたが、その瞳に力は無い。

「お願いですインテグラ様、血を飲んでください。」

幾度と無く繰り返した懇願をセラスは口にする。薄く笑ったインテグラの表情は、しかし否定的なものだと見て取れた。

「あれは・・・?」

「仕事の引き継ぎも済みましたし、円卓の皆様や陛下にもお会いになられました。もう立派なヘルシング卿です。」

「そうか。」

僅かに安堵の表情を見せて、また瞳を閉じる。

「インテグラ様!?」

「疲れてるんだセラス、眠らせてくれ。」

言ったきり、インテグラはよく出来た彫像のようにまた眠りについた。
セラスは知っていた。インテグラの焦燥は血液を採らない事だけが問題ではないのだ。彼女の主人の酷い仕打ちにその理由を量りかねているのだろう。セラスにしても、元主人の考えている事を推し量る事が出来ない。ただ、二人の間にある強い絆を感じてはいたが、それを何と呼ぶものなのかはセラスにも分からなかった。



 自分を呼ぶ声に意識を呼び覚まされて、インテグラは目を閉じたまま眉を顰める。
とにかく何もかも億劫で瞼さえも動かしたくないのだ。私の事は放って置いてくれと思ったが、途中で呼んでいるのが主である事に気付く。開いた目に映るアーカードの姿は常と変わらぬ白い美貌と赤い姿。
唇が動いたが、何と言ったのか聞き取れずにインテグラは目を眇めた。その表情を見てアーカードは言葉を繰り返す。

「私の血を飲め。」

驚いて眇めていた目を見開く。一瞬耳を疑ったが、確かに彼はそう言った。
いつかはそんな時が来るだろうとは思っていた。

「・・・そうか、私は自由になっても良いんだな。」

「そうだ、無を選ぶも何処へ行くもお前の自由だ。」

相変わらず表情の無い顔からアーカードの内心を窺い知る事は出来ないが、インテグラにとってはその言葉だけで充分な意味を持っていた。
だからこそ、その時になって初めて自分の本心に気付いたのだ。
―――――ああ、そうか、私は・・・
やっと分かっても、もう遅いのだ。全ては終わるのだから。
だから、これは敗北宣言に等しいがそれでも構わない。どうせ最期なのだ。

「ここにも、お前の傍にも居場所が亡くなるのだったら消滅するべきなんだろうな。でも私は魂の救済も自由も欲しくは無いんだ。」

インテグラの意外な言葉にアーカードの顔が訝しげな表情に変わる。だが続いた言葉には血を飲めと言われたインテグラよりも驚いた事だろう。

「私を食らってくれ。」

言った後の沈黙を、どう解せば良いのだろう。
インテグラは、アーカードが何百年か振りとも言える絶句をしているなどとは夢にも思っていなかった。だから、ただその応えを待った。そして返ってきた言葉は是でも否でも無かった。

「何故だ?」

「何故?お前の一部になりたいからに決まっているだろう。」

「お前の言っている事は全く意味が分からん。」

いい加減、待っている応えを与えないアーカードにインテグラは苛々してくる。

「何で分からないんだ!!簡単な事だろう!!私が要らないんならそれで良いから私を食えと言ってるんだ!!」

「誰がお前を要らんと言った。」

「言ってるじゃないか!!」

子供のように地団駄を踏まなかったのは、きっと躰を動かせなかったからだ。

「お前の考えている事は人の時の今も全く分からん。」

「そんなのお互い様だろう。」

全く噛み合わない二人の会話を聞くものが居れば笑ったかもしれないが、当人たちは真剣そのものだった。ひょっとしたらインテグラが主であった時にも、こんなに会話をしたことは無いかもしれない。考えてみればお互い意思疎通など何もしてこなかった。必要だとさえ思わなかった。

「・・・分かった、じゃあ最後に私の質問に答えてくれ。」

「良いだろう。」

相手の了解を得たものの、さて何から聞けば良いのか。やはり始めから順を追って聞くのが妥当だろう。

「何故、私を吸血鬼に?」

いきなり確信かとも思ったがインテグラは問う。

「お前が欲しかったからに決まっているだろう。」

その「欲しい」の意味が分からないから話が拗れているのだとは二人とも分かっていない。

「欲しいから手に入れた。飽きたからもう要らない。それでいいか?」

「だから誰がお前を要らないなどと言ったのかと聞いている。」

「自由になれというのはそういう事じゃないのか。」

「吸血鬼になどなりたくなかったと言って血を飲まない。それで怒るでも無くただ萎れていくばかりのお前をどうしたら良い。」

やっとインテグラの頭の中にある考えが閃いた。
いや、まさか。だが、しかし。

「あまり永くこの世に居すぎて、欲しい相手に何と言えば良いのかも忘れたのか?」

お互いに言わなかった。ずっと傍に居すぎて自分の気持ちは相手に分かると思っていた。自分の事ですらも分からなかったくせに。

「ああ、そうだな、私もお前も、大事なことは何一つ言わなかった。」

アーカードはこの地下で見えぬ天を仰ぐ。月を見る様にではなく、もっと上の何かに向かうように。
遠い遠い昔にこの言葉を贈った女は早くにこの世を去り、自分はそれを止める事が出来なかった。それなのに止める事が出来た相手にはそれすらも言っていなかったのだ。

「I Love You」

女の顔は、泣きたいような複雑な表情をしていた。

「返事を寄越せ、インテグラ。」

「・・・Me too」

我ながら馬鹿馬鹿しいほどに永い回り道をしてきたのだと思う。
いや、この道程が無ければ自分の気持ちに気付く事も無かったのかもしれない。

「・・・ストックホルム症候群かも知れないけどな。」

「何だそれは?」

「加害者と被害者が切迫した状況下で共感しあうというやつだ。」

「私が加害者か?」

「当然だろう?」

自分を奪って束縛して苦しめた憎くて愛しい男。
手前勝手で傲慢で冷酷で幼稚な自分だけの化け物。

「契約は成就した。」

「契約?初代との事を言っているのか?」

「そうだ。」

プロフェッサー、ヴァン・ヘルシング。彼とこの化け物との密約。

「あの男は私に『お前の無くした物を捜す時間を与える代わりに我々人間に協力しろ』と言った。」

「無くした物?」

契約が成就したという事はそれを見つけたという事だろうか。それがインテグラという事はあるまい。

「私は私の無くした人の心の在り処をお前の中に見つけた。契約は成就した。」

アーカードは繰り返す。

「そうか、何だかよく分からんが、私はお前の傍に居て良いわけか?」

「嫌だと言っても、もう放しはすまいよ。後悔するなインテグラ。」

化け物の満面の笑みなどを見せられては、すぐに後悔するような気がしてきた。



 「ううんっ・・・くぅっ・・・あっ・・・アー・・・カード・・・いっ・・・」

あられもない嬌声を放ちながらインテグラが腰を揺する度に、愛しい男の物を呑み込んだ場所から淫猥な音がする。アーカードの茂みを濡れ光らせるほど、インテグラのそこからとめどもなく蜜が溢れた。
ガクガクと痙攣を起こし始めたインテグラの下でアーカードが眉を顰める。絶頂へと達したインテグラの内側がアーカードのものを絞り上げたからだ。だがそれにも気をやる事はせず、ぐったりと胸板に躰を預けてきたインテグラの痩身を抱き、繋がったまま体位を入れ替える。その動作に敏感になった内側を刺激されてインテグラが喘いだ。

「相愛の相手との交わりはやはり甘美なものだな。」

今度は見下ろす側になったアーカードの笑みを見て、インテグラは不服そうな顔をする。

「それは、お前の方はずっと本気じゃなかったという事か?」

「馬鹿な。」

男は失笑する。

「私の秋波を鋼鉄の鎧で弾き続けてきたのは何処の誰だ?」

そんな恨み言を言われても気付かなかったのだから仕様が無い。もしも気付いていたら、いや、きっと逃げ出していたかもしれない。

「あっ―――――」

ずるりと引き抜かれて思わずインテグラが声を上げる。だがそれは完全に繋がりを絶つ寸前で再びインテグラの中へと埋め込まれた。性急に抽挿される杭に敏感な粘膜を擦り上げられ、突き上げられる。

「あっ・・・はっ・・・駄目っ・・・またっ・・・来るっ・・・んんっ!!」

眉間に皺を寄せて目を硬く閉じたインテグラが躰を強張らせる。苦悶にも似た表情を浮かべる女の顔をアーカードは満足げに眺めながら、インテグラの中に欲望を放った。
貪っても貪っても、手に入れてもなお足りない。こんな物が存在するから人は神と言うものを信じるのかもしれない。

「お前を壊してしまうかもしれん。」

「壊れない・・・お前が私を壊れなくしたんだろう?」

永遠など無いかもしれない。でも暫くは共に居られる幸せを噛み締めよう。
運命の許す限り。




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