◆密月


 薄暗がりの中、背筋を伸ばし膝の上に重ねた手を置いて座る女の凛とした姿は生前そのままに見えた。
しかし唇の色には生気が無く、瞳は固く閉じられている。
男は眉を顰めて女を見つめながら言った。

「血を飲め、インテグラ。」

呼ばれた女はうっすらと目を開ける。
血の気を失った顔色の中で、その瞳だけが煌々と紅い。

「それだけは御免だ。」

低いがしかし艶のあった声は、今や細く掠れていた。

「お前はセラスには飲めと言い、自らの血も与えたではないか。」

女はまた目を閉じる。何も見たくないとでも言うように。

「私はセラスとは違う。望んでこうなったわけでは無い。」

そう、望まなかった。
大量の血液を失い、意識を無くそうという時の男の問いに、それでもはっきり彼女は否と応えたのだ。
なのにこうしてここに居る。

「血を飲め、このままでは弱る一方だ。」

男は繰り返す。

「弱るだけだろう?滅びることは叶わない。
 お前の抱き人形であればそれで十分ではないか、マスター?」

嘲るでも無く、女は淡々と言う。
滅びたければ簡単だ。自らの胸に銀の弾を撃ち入れれば良い。
男は邪魔をするだろう。男の眷属となった以上は他の吸血鬼とは違う結果になるのかも知れないが、試してみもせずに恨み言だけを言う自分の愚かさを女は十分すぎる程よく分かっていた。それでも。
人でない者として目覚め、目覚めてから数日。貪るように己を抱く男に哀れみさえ覚えた。
こんなにも、男が自分に餓えていたのかと。
それでも言えないのだ。言えばきっと・・・



 「インテグラ様、血を飲んでください。」

蜂蜜色の髪をした娘は懇願するように言った。

「様などと呼ぶな、私はお前より格下だぞ。」

いまや独り立ちした一人前の吸血女は首を横に振る。

「いいえ、インテグラ様はインテグラ様です。」

インテグラは自嘲気味に笑う。
この娘は、あの男の自分に対する苛烈な執着を知っていたのだろうか。

「情けない事にな、セラス。私はお前が恐れていたものに今更ながら気付いたんだよ。
 これが私だから、私は私でない者にはなりなくない。もう全て失った筈なのに、
 私が変わることで失うものが怖い。」

「インテグラ様・・・」

セラスは言葉を無くす。そんな事は無いと、大丈夫だと、言うのは簡単だった。
でもそんな言葉でインテグラの惧れを払拭することなど適わないだろう。

「だから今のままで良いんだ。私たちは。」

初めて見る、もと上官の弱々しい笑みに胸を突き刺されるような痛みを感じながら、 結局セラスは何も言えずに天敵たる神に祈るしか無い。 惹かれ合う二人に、分かり合える時がいつか来る事を。



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