◆交響曲第四番―symphonyNo4―


 大英図書館はヴィクトリア朝ネオゴシック建築で名高いセントパンクラス駅の程近くにある。
1842年から英国内で流通するすべての出版物を保管しており、その蔵書の置き場に困って1982年に新築された、比較的新しい建物だ。その膨大な資料の中には、一般人はおろか政治家や貴族ですらも一部にしか知らされていない、ごく限られた人間にしか閲覧できないものもある。
エレベーターを地下に降りさらに隠し扉のその奥、一般の司書は存在すらも知らされていない書庫でインテグラは資料をあさっていた。過去のヘルシング機関が行った仕事の資料だ。
本部である屋敷にあって然るべきなのだが、戦争のどさくさでそうなったのか今までの当主がずぼらだったのか・・・多分後者だろうが・・・とにかくちゃんと纏められている資料が無いのだ。片づけを諦めた地下の研究室にきっとあるのだろうが、それを整理する時間が惜しい。
うっかり手荒に扱うと破損してしまいそうな物も多いので作業は慎重になる。インテグラは眼鏡を外し、目と目の間を指でつまむと背もたれに体を預けた。そのまま首を左右前後に傾けて、最後にぐるりと回し眼鏡を掛けなおす。
そろそろ昼になる頃だろうか。約束があるので11時半には頼んでおいた迎えが来るはずだ。
時計を見ると11時15分、司書が迎えに来る前に丁寧に資料を棚に戻す作業に移る。
迎えに来てもらわないと外から鍵を掛けられている為ここから出る事も出来ない。もちろん閲覧室内には専用の内線電話があるので、帰りたければそれを使えばいいだけの事ではあるが。
丁度作業が終わったところで、その部屋唯一の扉が開いた。
促されて扉から出たインテグラの身体検査をしてから、厳重に閲覧室を施錠した司書がエレベーターのボタンを押す。エレベーターを動かすにもIDカードと暗証番号が求められる徹底振りだ。
通常の閲覧室前で礼を言って司書と別れ、図書館を出て今度はセントパンクラス駅に隣接するホテルに徒歩で向かう。交差点を挟んですぐだから100メートルも無いだろう。
用があるのはホテルではなく中にあるレストラン、ギルバート・スコットだ。
店の中に入り、ホテルからの入り口の方に程近い席に進むと見慣れた老紳士が手を挙げる。インテグラが向かい側に座ると同時に大振りのスコーンとペストリー、それからサンドイッチの載った3段重ねのティートレイと紅茶が運ばれてきた。

「断ったそうだな。」

やれやれといった風な声音は立腹している様子ではなかった。

「申し訳ありません。」

「参考までにどこが気に入らなかったのかを訊いておこうか。」

まだ世話をやく気でいるらしい。

「次は他に女が何人いるかも分からないような遊び人にして下さい。」

「ふむ、まさかファザーコンプレックスだったか。」

糞真面目な顔で言うので冗談とも本気ともつかない。

「産むのは私ですから出自が分からないと言った事も無いでしょうし、種馬程度で結構ですよ。それよりも私としては卿の選抜基準を参考までにお聴きしたいですね。」

「と、言うと?」

さすがに表情を読ませない鉄壁のポーカーフェイスを敷いて、老紳士が聞き返す。
―――――しかしそれこそ、そこに含みがあると言っている様なものですよアイランズ卿。

「魔物を引き寄せるエッセンスとは何ですか?」

「何の話だ。」

「私の伴侶に必要なものは何なのかを訊いています。」

ようやく、アイランズが眉を寄せた。

「うちの、過去の仕事についてさっき調べてきました。父の代まではグレートブリテンのみならずあちこちに飛んでます。ペンウッド卿も何度もハリアーを出したとぼやいていましたしね。」

あの時の引っ掛かりが取っ掛かりになったのだと思う。

「ところが20年ほど前から徐々に遠征が減って、ここ10年はほとんどの仕事がこのロンドンやその近郊に集中しています。」

アイランズが溜め息を吐いた。
結論はこうだ。

「私は、誘蛾灯なのですね?」

我ながら随分落ち着いていたと思う。
答えが無いのでカップに注がれた紅茶が湯気を立てているうちに手に取った。馥郁とした香りを充分に堪能してから口に含む。ウォルターのスペシャルブレンドには叶わないが流石の味だ。
飲み終る頃合にようやくアイランズが重い口を開いた。

「カルマ、とかアーサーが言っておった。」

「カルマ?」

聴き慣れない単語だ。

「仏教用語だ。私も詳しくは無いが、仏教では人の行いは善行も悪行も魂に刻まれ、生まれ変わってもそれによって左右される。アーサーはそれが血にも刻まれ引き継がれ、集約されて魔を引き寄せるのだと。」

「私で突然、一族の罪が凝縮されたわけではないでしょう?」

「お前の母親はヒマラヤの山奥の村の生き神でな、魔物を引き寄せる体質ゆえに、初潮が来て神の資格を失ってもていよく幽閉されておったのを、アーサーが引っ攫って来おった。カルマ云々はお前の母親の受け売りだろう。」

だいたい無茶苦茶な人だったのは何となく覚えがある。

「アーサーはお前を護り切れるつもりで居たのだろうよ。親は子より先に逝くものだという当たり前の事も平気で失念する大馬鹿者だったからな。」

「よく知っていますよ。」

ちゃんと愛されていた事も知っている。だから父はあの忌むべき狂犬に託すしかなかったのだ。
アイランズは、もう一度深く溜め息を吐く。

「もっと取り乱すかと思っておった。」

―――――私がアーカードとの事を話したら、取り乱したのは貴方の方だったかもしれませんね。
アイランズの言葉に、そう心の中で返す。
どうしてもアイランズが口を開かなかったらそれも厭わぬ覚悟だった。言わずに済んで良かった。

「私の体質は仕事のためには大変好都合ですから、衝撃など受けませんよ。」

アイランズは眉間の皺を深める。徹底した合理主義者のようで実はこういう考え方があまり好きな人では無いのだと、言ってから思い出した。

「払っておくからゆっくり食べて行け。」

言ってアイランズはステッキを片手に立ち上がる。寄る年波のせいという訳ではなく、瀟洒な風貌のそれは正しく英国紳士を具現化したような彼によく似合いの装飾品だった。

「我が身の危険を厭わぬ者には何物をも護れはせんぞ、インテグラ。」

「肝に銘じておきますよ、アイランズ卿。」

インテグラの返事に対して洒脱に片眉を上げて見せ、ホテル側の出入り口へと向かったアイランズを見送ってから2杯目の紅茶をティーポットから注いだ。
午前中ずっと図書館に詰めていたので心遣いを有り難く食す事にする。帰る前にもう少しだけ考え事がしたい。
ここ20年よりも更に古くから、もっと長いスパンで資料を見ると機関の仕事自体の絶対数が減っていた。それは即ち魔物自体が減っているという事だ。
かつて人間にとって脅威であった熊や狼といった野生動物が今や人間の手によって絶滅の危機に瀕しているように、魔物の個体数も確実に減っているのだ。
ひょっとしたらいずれは魔物も希少な生物・・・生きていないものも居るが・・・として保護される時代が来るかもしれない。
しかしあれだけは駄目だ。あれは後の世に遺して良いものでは無い。
ならばどうする。あの化け物はユダヤ人やオランダ人のように呪いを受けて彷徨っている訳ではない。自ら望みこの世にしがみ付いている。
何の為に?
戦いに負けたとは言え強大な力を持つ不死の王が人間に阿ってまで永らえる理由。今まであの男と話した事の中に、その手掛かりになるような言葉は無かったか。
―――――駄目だ、全く分からない。
分からないが、ただ徒に獲物を屠り闘争に身を置く事だけが本意だとはどうしても思えない。
―――――いっそ本人に聞いてみるか。
答えの出せない事に悩んでいる時間は無駄だと、そう頭を切り替えてインテグラはとりあえず目の前のハイティーに専念する。
カップの紅茶はすっかり冷めてしまっていた。



 呼びつけるまで塒から出てくるな。あの男にそう言ってからもう2週間ちょっとになる。
たまたま2週間と少し仕事が無かったのだ。人間世界は平和で結構な事である。
20年以上干からびたまま寝こけていたような奴だから2週間などあっという間だろうと思っていたが、訊ねた男は見るからに不機嫌そうだった。

「何だ主、仕事か?」

その台詞だけだと勤勉そうに聞こえるから不思議だ。

「仕事じゃない、少し話があって来た。」

男はさも面倒くさそうにインテグラを一瞥して、長い足の片方を折り曲げるとその膝に肘を付いて手に蟀谷をのせた。
要するに、主人の話を聴く態度では無い。
インテグラは別に気にするでもなく、部屋の隅から丸テーブルと対になった木製の椅子を、男の居座る棺の傍らまで持ってきて腰を下ろした。

「聞きたいことがあるんだ。」

この男と問答を始めると面倒くさい事になるのは嫌と言うほど知っている。だから直球勝負だ。

「お前はなぜ人間などに仕えてまでこの世に永らえているんだ?」

「負けたからだな。」

「それは永らえている理由にはならない。何故吸血鬼になったのかと聞いている。」

「答えを探している。」

「答え?何の?」

「私にも分からん。」

はぐらかされている。という訳では無さそうだ。

「なんだ。」

男の蟀谷が手から離れる。

「なんだとは何だ。」

もっと何か壮大な理由を期待していたのに拍子抜けだ。

「500年も掛かって見つからない答えなんて、そんなもん答えは『無い』に決まってる。無いもの探しなんて呪いと大差ないじゃないか。」

男の表情が、怒りとも困惑とも悲哀とも違う表現しようの無いものに変わる。こんな顔は見たこと無い。

「うん、まあ何だ、無いものは作れば良いわけだ。」

俯いた男の肩が震えているのに気付いて少しだけ心配になる。
いくら相手がこの男とはいえ、500年を無駄と言い切ってしまったのは少し非情だっただろうか。
ところが聞こえてきたのは嗚咽ではなく含み笑いで、それはだんだんと大きくなって哄笑に変わった。

「アーカード?」

狂った。いや、もともと狂っているが。

「お前と言う女は、本当に面白い。」

男は心底可笑しかったようで、言った言葉はまだ嗤いに打ち震えていた。

「それは良かった。じゃあ面白ついでに改めて契約しようか。」

「契約?」

まだ嗤っている。真剣な話があるのにどうしたものか。

「うん、子供だったから仕方が無かったとは言え、私はお前の主人となる決意も覚悟も足りていなかった。」

この男は最初からインテグラの性質に気付いていた筈で、気紛れにこの男が目の前のトラップにわざと引っ掛かってくれなければ、こんな主従関係は簡単に崩壊していたに違いない。
だから今度こそちゃんと、自分の事もこの男の事も分かった上で受け入れたい。
ついさっき座ったばかりの椅子を引いて立ち上がる。こういう事は、ある程度の体裁が必要だ。

「お前にとって私にどれほどの価値があるかは分からないが、聞いてはくれぬか不死の王よ。」

男は棺の中からのっそりと立ち上がると、芝居がかった仕種でインテグラの前に傅いた。

「元よりこの身はお前のものだ円卓の魔女殿。何なりと申し付けよ。」

インテグラは手袋を外してしゃがみ込み、皮肉な笑みを浮かべた男の頬を両手で挟むとその耳に呪文を吹き込んだ。
聞いた男はくっくと喉で嗤う。さっきの嗤いがまだ取り付いているのか。

「私の存在与奪の権利など、そもそも自分のものだとは思わなかったのかねヘルシング卿?」

「思わないな。その権利は初代が戦いで勝ち得たもので私のものではない。」

「それで、お前はその権利の為に自分の身を投げ打つわけか。」

「私は這い蹲っても人として生きて生き残るつもりだし、お前はその私を護り、長々と探している答えとやらを見付けても見付けられなくても私に付き合わなくてはいけない。分が悪いのはお前の方だから、安く買い叩かれたと思ってもらっても構わないぞ。」

「是という前にそんな事を行って良いのかね?」

「ふむ、確かに。今のは忘れてくれ。」

また男が哄笑を発する。

「面白い。良いだろう、反キリストのこの私がプロテスタントのお前の望みに応えようインテグラ。」

「では契約を。口を開けろアーカード。」

素直に開かれた口の中、下の犬歯に親指を押し付けた。ちくりとした瞬間に男の犬歯が赤く染まる。
男はインテグラの手首を持つと、傷ついた指に舌を這わせて余さず血を舐め取った。

「・・・なんか、お前の舐め方厭らしいぞ。」

「厭らしい?厭らしいというのはな、」

にやりと笑って男はインテグラの瞳を見据えたまま、指と指の間に絡ませるように舌を這わせる。

「こういうのを言う。」

下腹がじんとする。まずい、この男の目を直視しすぎた。

「ちょ、ちょっと待て。」

「待たん、私は飢えている。」

「それは分かるが・・・ここでか?」

「生憎と、私はお前の部屋への出入りを禁じられていてな。」

言葉に詰まる。ここで入室を許すと言えば、この男は自分が逃げぬように抱き上げて部屋まで移動するだろう。それはそれで避けたい。

「私のエデンになるのだろう?お嬢さん。」

「終焉の地を、お前がそう呼ぶのなら。」

「終焉が来るまではせいぜい楽園で居てもらおう。」

「予想はしていたが、やはりそうなるのか。」

「不服かね?」

「不服だが、これもまた魔物を囲うための甲斐性と思うしかないな。」

全てを受け入れると覚悟したわけであるから、ひょっとしたら自室の領域も既にこの男は開かれているのかもしれない。
いや、今は余計なことは言わないでおこう。

「しかし石の床の上と言うのは少々、いや、かなり嫌だな。」

このくらいの逃げは、卑怯の内には入るまい。

「私が大事な主人を床に転がすと思うか?」

「日ごろの行いが悪いから何とも言えないな。」

苦情を気にした風もなく、男はインテグラのリボンタイの先を引いてするりと解く。それから手袋を付けたままの片手で器用に上着とドレスシャツの釦を外しにかかった。
これも契約の内と多大な努力を払ってじっとそれを我慢していたインテグラだったが、ベルトとトゥラザースの袷を開かれた時点でそれは限界に達した。男の頬に添えられたままだった手で肩を押し返そうとした時に、突然腰を抱き寄せられ脇の下に男の肩を抱く格好になる。丁度胸骨あたりに男の顎があたって「痛い」と文句を言ってやろうと口を開きかけると、今度は足の間に男の膝が割り込んできた。男の腿に跨る様な格好で密着させられ、トゥラザース越しにも分かるほど張り詰めた男の物の感触を感じて思わず腰が引ける。

「やっ・・・」

当然腰はがっちりと固定されていて引く余裕など無く、にやついた顔で上目遣いにこちらを見た男の視線が、部屋の一箇所に移るのに釣られてそちらを見た。

「ではあそこに入るか?」

そこには口を開けた死人の寝床。

「それは御免だ!!」

「あれも嫌、これも嫌では話にならん。」

男はトゥラザースの中の尻を撫でる様に手を這わせながら、さらに奥へと食指を伸ばす。

「ここに、幾度も受け入れただろう?何を今さら怖れる。」

下着の上からぐりぐりとそこを押されて腰を浮かせる。
回数をこなしたからと言って羞恥心が薄れるわけではない。他人に体を見られたり触られたりする事に慣れる事などきっとない。
首筋に男の冷たい唇が触れて身震いする。信じてはいても、抜き身の刃物をあてられるのにそれは等しい。
肌を吸われて息を呑んだ。首、鎖骨、胸元と肌に痕を残しながら男の唇が下りて行き、最後にふくらみの頂点を一層きつく吸い上げられた。

「―――――っ」

懸命に声を押し殺せば、男が含み笑う。

「素直に啼けば良いものを、相も変わらず強情な事だ。」

言った男の指がするりとそこに入り込んでくる。すんなりと入ったように思ったそれは、すぐに軋んで途中で止まった。

「おま・・・手、袋・・・」

「ああ、そうだったな。」

わざとらしく今気付いたかのように言う男を小突いてやりたい気もしたが、情けない事に既に男の両肩についた手で上半身を支えているだけで精一杯だ。
男は手袋の指先に噛み付いてそれを取り去ると、今度こそ根元までをインテグラの花弁の狭間に埋め込んだ。
厭らしく蠢かされるそれに、男の肩を掴んだ手が震える。

「こういう時はな、お嬢さん。」

腰を支えていた男の手が背中を押すと、突っ張っていた肘は簡単に折れた。

「素直に抱きつくものだ。」

そんな恥ずかしい事が出来るはず無いと思ったが、背中に添えられていた手が離れてほんの少しこちら側に傾けられたらそうせざるを得なくなった。石の床に頭を打ち付けられる恐怖に思わず男の首にしがみ付くと、腹の前で男がそれを取り出すのが分かった。尻を抱えあげられる様に男の腰を跨がされ、およそ肉体の一部とも思えないほど固く猛ったものが、インテグラの蜜に濡れた場所に宛がわれる。

「しっかり掴まっていろ。」

優しいと錯覚してしまいそうな声が、耳に吹き込まれたと同時に貫かれた。

「くっ・・・」

「お前が声を押し殺す度に中は私のものに絡み付いてくる。」

自分で分かっている事も、言葉にして耳元で囁かれると羞恥心が増す。

「私はどちらでも快い事には変わらんが、そう頑強に黙られると啼かせたくなるものだ。」

言って男は膝立ちのまま腰を揺すり始める。繋がりは深く、インテグラの最奥を男の猛ったものが叩く。

「っあ・・・ん・・・」

吐息と共に漏れたそれは、漏れてしまえば止め処も無く。男にしがみ付いたまま突き上げられ、咽び啼いた。
頂点はすぐそこにありそうなのに、男は巧みに律動の強弱を変えて到達を許さない。

「も・・・焦らすな・・・」

腹いせに男の襟足に指を突っ込み、髪を掴んで引っぱった。

「もう少し可愛げのあるねだり方を憶えたらどうだ、お嬢さん。」

「っるさい!馬鹿!!」

―――――早く達かせろ!!
そんな事、口に出して言える筈が無い。それなのに男が哂う気配で言う。

「認識した。今度はちゃんと口に出して言え、お嬢さん。」

言いしなに激しく揺すられ、瞬く間に頂点を極める。
これは儀式。子を成す事の無い死人と生者を繋ぎ、奪い、与え、満たす行為。
付随する快楽を罪と呼ぶのなら、自分はもう既に罪を厭う事すら許されぬ身。
ならばすべてを呑み込もう。この奈落のような化け物ごと。




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