◆円舞曲―waltz―


 憤懣遣る方無い思いで、インテグラは持っていたファイルを溜め息と共にデスクの上に落とした。
被害を確認して半年、全く足取りさえも掴ませないその化け物に機関もお手上げの状態だった。
被害者の年齢・性別・住居・嗜好、その他頻繁に通っていた店や場所と言ったものにも共通性は全く無く、繁殖するでもなく捕食は一人につき一回きり。その一回で被害者を殺している。被害者の遺体の出る場所もまちまち。人にも場所にも執着せず、その行動は綿密かつ狡猾。
そんな一連の事件を起こしている化け物が同一であると判断した根拠は、この案件でのヘルシング機関の鑑識課による唯一の成果で、被害者の吸血痕・・・いわゆる歯型だ・・・の一致、ただそれだけだった。
どんなに強い化け物が現れようと、最終的に彼女の下僕を使えば確実に倒す自信がある。本人には絶対に言わないが化け物の処理に関してだけはインテグラはアーカードに全幅の信頼を寄せていた。だが、肝心の相手が現れてくれなければ話にならない。探索に関してはアーカードは全く係わり合いになるつもりが無いからだ。化け物を倒すのは勿論のこと化け物を探すのも化け物の方が都合が良いように思うのだが、インテグラも彼にばかり頼るつもりは無いので探索にまで無理に駆り出す事は無かった。
さてどうしたものかと思案を巡らせていると、黒檀のデスクの上の電話機が内線を告げた。

「なんだ。」

『お嬢様、ウォルシュ中将からお電話が入っております。』

「中将から?」

珍しいことだ。彼とは円卓会議で会うくらいで、あまり話したことは無い。
怪訝に思いながら、電話を外線に切り替える。

「インテグラルです、中将閣下。」

『閣下はよせインテグラ。』

笑う雰囲気で返事が返ってくる。唐突な呼び捨ても、彼だと毒が無かった。

「では中将、今日はどういったご用向きで?」

『ふむ、では早速本題に入ろう。実はそっちにタレコミしたいという情報屋がいてな。』

「情報屋、ですか?」

たったそれだけの話で聞き返したいことは山とあったが、とりあえず一言だけ切り返す。

『うちの子飼いじゃ無いんだが、それなりにこっちの事情にも精通してる。』

ヘルシング機関の存在を知っているとなると放置するのは危険な気もするが、ウォルシュが捨て置いていると言うならそれは心配する必要が無いという事なのだろう。

『それでだ、多分お前さんとこの欲しい情報を握ってるようなんだが、そこで飼ってる番犬が怖くて行けねえらしい。』

インテグラは眉を顰める。アーカードの事まで知っているとなると、ウォルシュは良くてもこっちは捨てて置けない。

「その情報屋は何と?」

『つなぎだけして貰えりゃ自分で行くとは言ってる。』

「中将ほどの方が情報屋ふぜいの口利きとは、どういったご事情でしょうか。」

受話器の向こうで呵呵と笑う声が聞こえた。

『全く参るなこのお嬢さん方は。』

暫く笑って一息ついて、ウォルシュはようやく話を続けた。

『まあちっと普通の情報屋じゃねえから普通じゃねえ情報を持ってる。こっちもいくらか借りが込んでてな。無理にとは言わん、会ってみて損は無いと思うがね。』

そこまで言われては受けるしかない。せっかく向こうから来てくれると言ってるのだ、害と判断すればどうとでも出来る。

「分かりました。それでいつ?」

『ああ、もうそっち行ってんじゃねえかな。』

今日来ると言っていたのに連絡するのを忘れていた、と笑うウォルシュに「失礼」と電話を辞して、再び内線ボタンをプッシュした。



 ほどなくして来客を告げられたインテグラは足早に応接室へと向かう。どう対処するのか考える暇もなかった。
―――――まったく、今はそれどころじゃないと言うのに。
部屋に入ると、見られた応接セットを見下ろす紅い長身が目に入った。その先、ソファの上で蛇に睨まれた蛙よろしく縮み上がっている女が件の情報屋だろう。

「何をしているアーカード。」

叱責する口調で言うと男がこちらを見る。サングラス越しで分かりにくいが、その表情は憮然としているとインテグラは判断した。

「それはこちらの台詞だ主、何故易々と屋敷に魔物を引き入れた。」

「魔物だと?」

聞き返して視線を移した先で、蛇から視線を外されてやっと動けるようになったらしい女が慌てたように両手を振った。

「ちょっと待って、人間じゃないのは本当だけど本当に情報を持ってきただけよ。」

白い肌に金髪、見た目の年齢はインテグラより少し上といった感じだ。ロンドンの街中を行けばそこらじゅうに歩いていそうな、魔物と言うには凡庸な女だった。

「魔物の殲滅機関によくも単身乗り込んだものだな。いったい中将に何をした。」

「ミスターウォルシュには一切手を出してないわ、本当よ。単身で乗り込んだのは敵意は無いと示すためよ。」

インテグラは溜め息を吐き、女の向かいのソファに座る。

「ここに来た目的を吐いてもらおう。」

場合によっては殺す。と、言わずとも女は理解したようだ。

「まず、あのひとにちょっと殺気を収めてくれるように言ってくれないかしら。今にも気を失いそうよ。」

インテグラが背後に立つ長身の上の白皙を見上げると、男はふんと顔を顰めたが心得たようだった。

「私の名前はリリス。先に種明かしさせてもらうと、少しばかり長生きしたおかげで、情を交わした人間の視覚を共有できるようになった、淫魔よ。」

魔物妖物の類は、長生きをすればするほど何らかの技を身に付ける。だから古い物ほど強い。
相手を殺さないために多くの人間と情を交わすのだそうなリリスの情報源は、その人間たちの視覚らしかった。

「最近わたしの愛人が3人も殺されたのよ。」

リリスが思い出したように憎憎しげに爪を噛む。

「今、連続殺人犯として騒ぎになってるのは吸血鬼よ。」

その言葉に体を乗り出さなかった自分を誉めたいとインテグラは思う。勤めて平静を装い「ほう」と大して興味も無さげに相槌を打つ。情報屋から多くの情報を引き出す鉄則だ。だが敵もさるもの。

「貴女方が最も殲滅すべき相手の情報を、わたしは持ってる。」

ここからが交渉と言う訳か。ごねても返って足元を見られるかもしれない。

「何が望みだ。」

あくまでさらりと。

「奴は獲物が被ったわたしに気付いてる。リークする代わりに身の安全の保証と、食餌を。」

「それだけか?」

「それだけよ。」

拍子抜けだ。

「やめておけ主。」

交渉の余地ありと判断したインテグラの頭の上で低い声が響く。

「この女、とんでもない大食漢だぞ。」

お前が言うか。しかし揺さぶりを掛けてみるのも良いかも知れない。

「確かに、情報を得ても局員を干からびさせては困るな。」

「何を言ってるの、わたしの言ってるご飯は貴女よ?」

「何だと?」

「当たり前じゃない、目の前にフォアグラがあるのに付け合せの香草だけ食べる人いる?」

例えがちょっとよく分からない。いや、そもそもだ。

「お前、インクブスじゃなくてサクバスだろう。」

「そうよ?でもこの際いいわ。」

良くない。

「命令を寄越せ主、私が情報ごとこの女を食らってやる。」

にいと険悪な笑みを口元に刻んだ男が言うと、リリスはびくりと押し黙った。

「待て、アーカード。」

確かにアーカードが食らい尽くせば今欲しい情報は手に入る。だが情報屋としてリリスは有用だと認めざるを得ない。すでにアーカードを使役している時点で自分は殺す魔物と殺さない魔物を選別しているのだ。今さら全殲滅主義を唱えるつもりも無い。
実際、本当は喉から手が出るほど欲しい情報だ。代償が自分で済むなら安い。

「良いだろう。しかし、なぜ私なんだ?」

リリスがきょとんとする。

「まさか貴女、自覚ないの?」

「自覚?」

「すごく美味しそうよ貴女。気配、というか良い匂いするの。そんなに嗅覚の鋭くない私ですら、かなりの距離から感じるんですもの。ここがリアルおばけ屋敷になってないのは殺気と妖気垂れ流しの、猛犬注意の看板のおかげだと思うわ。」

多少の好みの差異はあっても、ほとんどの魔物に美味い人間は共通するのだとリリスは言った。だから獲物が被ることは稀にあるが今回は腹に据えかねたのだとも。

「掴まらない為とは言え、食い散らかしすぎだわ。」

彼女には彼女なりの不文律があるらしい。

「分かった。ところで君の身の安全、その猛犬の傍は一番だと思うが。」

「それは勘弁してちょうだい。」

そう言って、最初のように両手を振った。

「化け物を手の内に招き入れようというのならば気を付けるが良い主よ。我々はこの永い偽りの生にいつも退屈している。」

男の忠告は、内心吸血鬼を倒すことで一杯だったその時のインテグラの心には響かなかった。



 リリスにもたらされた情報を元に捜査を始めた機関だったが、すぐに進展は望めそうに無かった。その標的・・・今は『画家』と呼ばれている・・・は、一度捕食したらひと月前後は次の捕食をしないからだ。
『画家』という呼び名はリリスの情報に由来する。なるほど絵描きなら街中に居ようと公園に居ようと美術館に居ようと違和感が無い。
リリスはインテグラの執務室に持ち込んだ絨毯とクッションの上で執事の運んできた午後のお茶を飲みながら、 黒檀のデスクの前で琥珀色の茶の香りを嗅ぐインテグラに声を掛けた。

「貴女、いつもこんななの?」

「こんなとは?」

「朝9時に起きて深夜の27時まで、食事とお茶以外はほぼ仕事の、この生活の事よ。」

「まあ、そうだな。」

リリスが来てからの数日、何を思ったか睡眠の邪魔をする奴が来ないので助かっている。というのは言う必要ないだろう。

「普通じゃないわ。」

別に自分が普通だと胸を張って豪語しはしないが、化け物に普通じゃないなどと言われてはインテグラも眉を顰める。

「こんな無茶な生活を続けていると長生きしないわよ。」

ここ数日は暇な方なんだがな、と思いながらインテグラはティーカップの中身を口に含んだ。自分は人を捕食する化け物たちに世話を焼かれるような立場では無いはずなのだが。
空になったカップを載せたソーサーをデスクの端に追いやり、ペンを握るインテグラを見てリリスはもう聞いていないだろう相手に言うでもなく独りごちる。

「仕事中毒ね。勿体無いこと。」

その日はお誂え向きの曇天で、前の被害から3週間ほど経っていた。
デスクの上の電話が内線音を発し、相変わらず書類に目を向けたままインテグラが受話器を取る。次の瞬間に閃いたインテグラの瞳の光に、何ともなしにその姿を見ていたリリスはこくりと喉を嚥下させる。
それは、リリス流に表現すれば「銀色の光に包まれて」 いてとても近寄れそうに無い。聖職者の作る結界と同じで触れれば無事には済まないであろう光。しかしそれはとても魅惑的でひどく心を惹かれる。ちょうど誘蛾灯に群がる蛾のように、ふらふらと近寄って焼かれてしまいそうだった。

「そうか、細心の注意で足取りを追ってくれ。」

そう言って受話器を置いたインテグラに、期待を込めてリリスが尋ねる。

「捕まえられそう?」

「ああ、貴女の情報どおりの男がうちの情報網に引っかかった。本当に私たちが追っていた標的かどうかはまだ分からないが。」

「あら、円卓の騎士の憶えもめでたい情報屋よ私は。」

自信たっぷりに言う女は遠くない未来に払われるだろう報酬に心を躍らせた。
リリスを突き動かしたはずの亡くなった愛人たちへの気持ちは、もうすっかり霧散していた。



 見張りの隊員によると『画家』はその夜誰も襲うことは無かった。街角で絵を描き、夕刻もどった場所は普通のアパートで棺がある様子は無く、その後酒場に行き夜中盛り上がっていたのだという。
機関の方はと言うと夜中にヤードから要請のあった雑魚を一匹始末した。勿論ここ半年インテグラたちが追っている標的では無いだろう。
『画家』が狩りをしなかったのは、見当違いなのかそれとも何か勘付かれたのか。奴で間違いないのだとしたら、やはり相当警戒心が強い。
―――――化け物め、絶対に引導を渡してやる。
化け物と言えば、とインテグラは憮然とした下僕の顔をふと思い出した。気が付けばいつも目に付くあの巨体が、そう言えばここ数日とんと見ない。まさかあの男がリリスに遠慮というわけでも無さそうだが。
―――――しまった、資料を部屋に置いて来てしまった。
昨夜遅く貰った資料を、目を通しながらベッドに入ったために置いて来てしまった様だった。仕方なく執務室を出て足早に上階の私室に向かう。足を掛けた階段の先に、ちらりと紅い影が見えた気がして仰ぎ見た。
紅い大きな背中と、その腰の辺りから生えた、白い足。その足がゆらゆらと揺れる度に女のものと思われる吐息が漏れ聞こえてくる。
叱責しようとして、口を押さえた。それから一歩後退さって今来た廊下を戻る。驚きのせいか心臓が煩い。
―――――いいじゃないか、化け物同士で需要と供給を満たしてくれるなら。
これ以上自分に都合の良い事は無い筈だと自分に言い聞かせて執務室に戻り、背中でドアを閉めた。
この胸糞の悪さは、あんなところで事に及んでいる下劣さに嫌気がさしただけで他に理由なんか無い。
気分が悪い。でもこんな事で取り乱している場合ではない。今は『画家』の本性を掴む事だけ考えなければ。
理詰めで自分を納得させてデスクに戻れば、そんな時に限って嫌な事は続く。

「取り逃がした・・・だと?」

内線で伝えられた報告に呆然とする。
『画家』が、行方を眩ました。





 「見付かりましたお嬢様、『画家』と思しき者が出入りしている画廊ですが、特に懇意にしているのが3軒ほど。」

執事の報告にインテグラは眉間に皺を刻み込んだまま頷く。

「その3軒を何か事情をでっち上げて明日から3日借り上げろ。場合によっては店ごと買い取っても構わん。」

「3日間、でございますか?」

「そうだ、3日で十分だ。」

あれだけ巧みに知恵を絞って逃げ回っていた用心深い化け物だ。警戒心が強いのは臆病だから。その臆病者は人間に付け狙われている事に気付いて今ごろ恐慌状態に陥っているはずだ。 その狡猾さを失って形振り構わずロンドンから逃げ出そうとするだろう。逃げ出すのに荷物は邪魔になるし旅費は欲しい。ならば絵描きのする事は決まっている。

「絶対に捕まえてやる。」

今度こそ失敗は許されない。

「承知いたしました、取り急ぎ交渉に入ります。」

執事が腰を追って辞そうとするのを引き止めてインテグラは訊ねる。

「その3軒の画廊の中に女性が経営もしくは接客している店があるか?」

「1軒が女性経営者でございますが、何か?」

「そうか、ではそこは私が張る。あとの2軒の配役は実働部隊から見繕ってくれ。」

「お嬢様自らでございますか!?」

さっそく反対意見を言おうとした執事を手で制し、インテグラは言葉を続ける。

「吸血鬼に限らないが、追われている者は出来るだけ弱者の所に行きたがるものだ。だから私が張る店を重点的に警護してくれ。急げウォルターこうしている間に奴が逃げては元も子もない。」

きっぱりと有無を言わせない長の口調で言った女主人に、それ以上執事に何も言えるはずが無い。

「畏まりました。」

インテグラの命を速やかに実行すべく、執事は奔走するのだった。



 身の内を蹂躙する激しい感覚に食い縛った歯の根から呻きが漏れる。
仰向けに、腰を男の膝の上に抱え上げられた状態で穿たれ、反った下腹の谷間に隠れた花芽を捏ねられる。
幾度か放たれたそれが、突き上げられる度にいっぱいになった秘裂から淫靡な音を伴って溢れ出す。
男はいっこうに衰える気配を見せなかった。
限界などとっくに過ぎているのに、止まぬ男の手管に翻弄されて条件反射のように躰が反応してしまう。
幾度目かの激しい抽挿を始めた男に躰を揺すぶられ、頂点へと追い詰められる。
白濁していく意識の中で、その時が来るのを予感する。
肩から上だけを支えている羽枕を握り締め、躰を強張らせ痙攣するのと同時に、最奥を満たされる。
眠った気のしない気だるい目覚め。
―――――糞っ!なんて夢だ。
ベッドの上、軽く頭痛のするこめかみを指で押さえて心の中で毒づく。
それでもいつもより早めの朝食を済ませ、リビングの窓の外を見ながら茶器を片付けに来た執事にインテグラは尋ねた。

「首尾は?」

「仕上がっております。」

「そうか、では出勤するとしよう。お誂え向きの曇り空だ。」

「承知いたしました、車を回させておきましょう。」

執事が出て行ったのに続いてリビングを出たインテグラは一旦自室へと戻り、愛用のP228に法儀式済みの弾丸が入っているのを確認してからレッグホルスターに入れ腿に装着する。
今日は常とは違う濃紺のワンピース。いつものスーツ姿ならばショルダーホルスターでいいが、この格好ならレッグホルスターの方が隠し持つには都合が良い。問題は銃を抜こうと思えばロングのワンピースを盛大に捲り上げなければならないのだが、そんな事を気にするようなインテグラではなかった。
エントランスに出たインテグラに上着を着せながら、執事は主人から伝えられた計画に入って居なかった点について確認する。

「アーカード様は?」

「隊員はきちんと配置に着いているのだろう?」

「はい。」

「では問題無いだろう。場合に応じては呼ぶこともあるかもしれんが取り敢えずは必要無い。」

「承知いたしました、いってらっしゃいませ。」

主人を見送るために深々と頭を下げた執事はこっそりと口元を綻ばせる。置いてけぼりを食らったと知ったあの化け物がどんな顔をするだろうと考えながら。
車で件の画廊へ来たインテグラは、まるで前からそこに居たような堂々たる振る舞いで店へと入っていった。画廊内に居た数人の男たちが朝の挨拶を彼女に贈る。勿論それは画廊の店員に扮した局員たちだ。3軒の画廊にそれぞれ配置された機関員たちだが、この画廊の競争倍率が格別に高かった事は言うまでも無い。彼らに鷹揚に挨拶を返したインテグラは、一番奥に置かれたデスクへと向かう。それが女経営者の居場所であるらしかった。女経営者は中々のやり手らしく画廊も規模としては小さくは無い。外国の映画の撮影という名目で借り上げたらしいが、いったい如何ほど吹っ掛けられたものかはインテグラの知るところではない。
些か馴染みの悪い椅子に腰を据え、手持ち無沙汰に懐を探ろうとしたが、そういえば今日はスーツではなかった。葉巻を持ってくるのを忘れたことに気付いてインテグラは渋面を作る。
―――――さっさと現れろ吸血鬼め。
時おり来る客に不思議そうな目を向けられては、以前習った淑女スマイルを返してインテグラは待った。
そのインテグラの願いを神が聞き届けた。というよりは、単に読みが当たっただけだろう。
店に入ってきた、痩せ型だが骨格のしっかりした青年は、リリスから聞いていたとおりの容貌をしていた。インテグラは何食わぬ顔でデスクの上のアンティーク調の電話の受話器を取って、実働部隊長が待機している指揮車へ掛ける。

「お世話になります、お探しの品が届いておりますので早急にご覧頂きたいと思いまして。」

別に打ち合わせしていた訳では無いがインテグラがそう言えば部隊長は心得てくれるはずだ。速やかに部隊を展開して画廊を包囲してくれるだろう。
インテグラが電話を切って顔を上げると、店員に成りすました局員が『画家』に声を掛けているところだった。

「何かお探しですか?」

にこやかに声を掛けた『店員』に『画家』は胡乱げな目を向ける。

「ここは・・・経営が変わったんですか?」

警戒されては事だ、部隊の展開が終わるまで時間を稼がねば。インテグラは立ち上がり、隊員にも従僕にも、執事にすら見せた事の無いような笑顔で青年に近寄った。

「ええ、最近変わりましたの。でも前の経営者から懇意にしていたお客様は大切にさせて頂きますわ。」

相手が女と侮ってか、振り返ろうとする『画家』が僅かに肩の力を抜くのが分かった。しかし、振り返ってインテグラを目の当たりにした瞬間『画家』は文字通り目の色を変える。ほんの一瞬、その瞳が赤みを帯びるのをインテグラは見逃さなかった。
間違い無い、吸血鬼だ。

「いえ、客と言うか・・・たまに僕の絵を置いてもらっていたんですが・・・」

「そうでしたか、それで今日も絵を?」

「はい、あの、ちょっと物入りで、まとめて買い取ってもらえると有り難いんですが。」

「では取り合えず見せて貰いましょうか。運ぶのを手伝わせましょう。」

そう言ってインテグラは局員に目配せする。頷いて局員は男の背中に手を添えた。

「行きましょう、絵はどこですか?」

「あ、車に・・・外に停めてあります。」

吸血鬼と局員が出口へと足を向けるのと同時にインテグラも踵を返し、デスクに戻って電話を取った。

「間違い無い吸血鬼だ。抹消しろ。」

受話器に向かってインテグラが言うと同時に、局員は吸血鬼から飛び退り素早く銃を構えた。吸血鬼は驚愕の表情でインテグラを振り返る。

「梃子摺らせてくれたな化け物め。」

艶やかに笑みを浮かべたインテグラに吸血鬼は必死の形相で飛び掛かったが、入り口から突入してきた実働部隊と店内の局員からの集中砲火を浴びせられ、彼女が銃を抜くまでも無く灰燼へと帰した。
こうして半年間に及んだ仕事はあっけなく幕を閉じたのである。

「やれやれ、この店の損害賠償はしなきゃならないだろうな。」

すでに抹消された吸血鬼に対しては何ら感慨は無く、無残な姿になった画廊を見回しながらインテグラはぼやいたが、それは執事の仕事となる事だろう。



 実働部隊の隊長がインテグラの執務室を直接訪れたのは標的の末梢から数日後の事。
彼も忙しい身である。局内でのインテグラとの仕事のやりとりはほとんど電話を介してなので、顔を合わせる事はほとんどない。普段はインテグラが出向いた時の現場で会うくらいのものだ。

「ご相談がありまして。」

「わざわざここまで来て、いったい何事だ?」

「客人とアーカードに関しての事なのですが。」

「何?」

そこまで聞いて嫌な予感がしないはずが無い。

「実はここ数日、演習場や射撃場で、その、何ですな。」

部隊長が言い難そうに咳払いをしたのでインテグラは言葉尻を掬ってやる。

「事に及んでいるわけだな、要は。」

「・・・はい、それで訓練になりませんで。」

困った時のクセで額を撫でた部隊長に苦虫を噛み潰したような顔を向けて「分かった」と応える。

「奴らには言っておく、すまなかったな。」

「いえ。」

部隊長が執務室を辞すと同時にインテグラは立ち上がり、早足に階下を目指す。もちろん目的地は地下の最奥だ。 荒々しくドアを開けて牢獄へと入ったインテグラは、床に鎮座する黒い箱を思い切り蹴り付けた。はたから見たら敬虔なプロテスタントの行ないではない。何せ物は棺なのだから。

「起きろ馬鹿犬!!」

両手を腰に当てて立つインテグラの前で、棺が音もさせずに蓋を開ける。のっそりと中から起き上がった死人は酷く機嫌の悪い声で主人に応えた。

「このような昼日中に起こすとは何事かね主。」

「昼夜のべつまくなし盛っている奴がなんだって?この恥知らずの駄犬めが!!」

主人の勘気に眉を顰め、男は立てた膝に肘を置いて溜め息を吐いた。

「何を怒っているのかは知らんが用件を早く言えお嬢さん。私は眠い。」

「何を怒っているのか分からないって!?無節操にどこでもそこでもお前らが盛るから局員が困っているんだ!!」

「ああ。」

それがどうしたと言わんばかりの気の無い返事に、インテグラは渋面をさらに引き攣らせた。

「その事ならば私に言うのはお門違いというもの。私は相手の希望に従っているだけだ。苦情ならあちらに言う事だな。」

言いたい事だけ言うと、男は再び棺の中に寝転びさっさと蓋を閉めた。

「なっ・・・」

あべこべに八つ当たりされたインテグラは怒りのあまりに言葉を失う。もう一度、棺を乱暴に蹴って牢獄を後にした。
次に向かった先はその相手の方、リリスが滞在している部屋だ。さすがに客人なので気を沈めて、出来るだけ優しくドアをノックする。

「リリス、居るか?インテグラだ。」

「はぁ〜い、どうぞ〜。」

間延びした返事に眉を顰めながらインテグラがドアを開けると、そこには全裸のままベッドにうつ伏せに寝転がって本を読むリリスが居た。本から目も離さずに「なぁに〜?」とこれまた間延びした問いをインテグラに返す。

「話があって来た。」

「んん?報酬の話?」

「違う。いや、その話もしなければならないんだが、貴女とうちの飼い犬が敷地内で行為をしていると非常に困るんだ。」

「あら。」

「うちの仕事に支障をきたすのでやめて貰いたい。」

当然、了承の返事をすぐに貰えると思っていたインテグラは思いもかけないリリスの不服そうな顔に出会う。

「だって仕様が無いじゃない、あのひと全然やる気ないんだもの。」

「は?」

「仕方なくって態度があからさま過ぎるのよねぇ、興醒めもいいとこ。」

とりあえず、悔い改める気は全く無さそうである。

「ヘルシング卿、私は淫魔よ。」

「それは知ってる。」

「確かにセックスは食餌、でもジャンクフードは嫌いよ。」

「それとあちこちでするのと何の関係があるんだ?」

「相手が味気無いからシチュエーションで味付けしてるんじゃない。」

理解不能。
いや、そもそも化け物の思考など理解の範疇に無い事は下僕でよく分かっているはずだ。

「とにかく、報酬は今夜にでも払うから早々に引き払ってもらう。」

「・・・仕様が無いわね、仕事も終わった事だし。」

不服そうながらもリリスの同意を得る事が出来たインテグラは、仕事となると化け物の行動が先読みできる頭が何故こういった場合に働かないのかと、内心で頭を抱えた。



 執務室のある2階を通り過ぎて1階まで下り、さらに人気の無い廊下を進んで通用口から訓練棟へと向かう。
地下の射撃場へ入るとプログラムを立ち上げるのももどかしく、舌打ちしながらコンピュータを操作してブースに入った。
練習用の弾丸に入れ換えもせずにシグを撃ちまくり、引き金が軽くなって初めて弾丸が尽きた事に気付く。
いつもならちゃんと数えるのにと、自分がいったい何にこんなに感情的になっているのか思い出せない。
ほとんどの弾は標的には当たっていたものの命中というには程遠く、無様にあちこちに穴が開いた標的を見ながら溜め息を付いた。いったいどうしてこんなに苛々しているのだろう。
耳鳴りがしているのに気付いて視線を下に落とす。台の上には耳当てが置かれたまま。
こんな狭い場所で耳当てもせずに連射していれば耳鳴りもするはずだ。
軽い自己嫌悪に項垂れていると、背後から聞き慣れた声がする。

「こんな夜中に射撃練習とは、何か面白くない事でもあったか主。」

振り返り、笑みを含んだ声にかっとなりそうなのを押さえ込んで、努めて冷たい視線を下僕にる。
この男はいつもこうやって自分を試すのだ。
銃のセーフティを確認してから腋下のホルダーに戻す。
ブースを遮るように立つ男の脇をすり抜け様に言った事が余計だった。

「リリスが色んな場所での情交を望むのはお前の態度が等閑だかららしいぞ。もう少し真面目に相手をしてやったらどうだ。」

言った瞬間にぴしりと空気が凍りつくのを感じてインテグラは振り返る。
男の唇は笑むようにひん曲がっていたが、しかし表情とは裏腹に酷く怒っているのが感じ取れた。

「真面目に相手をしろだと?自分の事を棚に上げてよく言う。」

どういう事だと問い返す前に肩に担ぎ上げられた。
コントロールルームに連れて行かれてやっと下ろされたかと思うとコンクリートの壁に叩きつけられる。
打ち付けられた後頭部を押さえようとした手を捕らえられ、両手もろとも頭上に張り付けにされた。
腹立ち紛れに男の白皙を睨みつける。

「汚らわしい手で私に触るな。」

「自分がどれほどお綺麗だと言うのかね、お嬢さん。」

笑みを白い相貌に貼り付けたまま、男はインテグラのリボンタイを解いて両手首を戒めると、壁に備え付けられたフックに吊り下げた。

「主人にこんな事をしてただで済むと!!」

「少し黙れ。」

突然笑みを消して表情を無くした男に、インテグラも思わず黙り込む。
化け物の怪力に服を引き千切られ、驚きと、布が皮膚に食い込む痛みに顔を顰める。
所々に布切れを纏い付かせただけの、無傷なのは秘部を覆う下着のみとなったインテグラを見てアーカードは目を眇めた。それは肉食獣が獲物をどうやって食らってやろうかと思案するような表情だった。

「お綺麗なヘルシング卿は汚らしい犬の手管などに快感を得る事はあるまいな。」

そう言ってアーカードは下着の上からインテグラの谷間を指で押さえて擦る。的確な指先の動きはインテグラの快楽中枢を刺激したが、そんな科白を吐かれては意地にならざるを得ない。しかし懸命に歯を食いしばっても与えられる快感が打ち消されるわけも無く。

「どうした、下着が湿ってきたぞお嬢さん?」

揶揄する男の思惑通りにインテグラは頬を高潮させる。

「犬らしく匂いでも嗅いで確かめてみるとしよう。」

「ばっ・・・馬鹿っ!!よせっ!!」

抵抗したが足元に屈み込んだ男に造作も無く膝を割られた。突き付けられた鼻先が敏感な場所に当たる。

「小娘が失禁でもしたかと思ったが、そうでは無いらしい。ではこれは何だ、お嬢さん。」

下着を下ろされて濡れたそこに指を挿し入れられた。
皮膚とは違う、手袋のざらざらとした質感と縫い目がインテグラの内を擦る。

「ああ、これでは分からんな。」

男は指を抜いて手袋を外すと、今度は同時に2本挿しいれて中で蠢かし始めた。
そうしながら舌先でインテグラの花芽を嬲る。
動きたくないのに反射のように びくびくと跳ねる腰を止められない。
やっと出て行ったかと思うと、立ち上がった男が目の前に手を差し出してくる。
指先をすり合わせ、これ見よがしに開いて見せた指の間に光る銀の糸は、インテグラの蜜に他ならない。

「これは何かね?お嬢さん。」

再び問うた男を、インテグラは情欲に濡れた瞳でそれでも睨み付けた。

「強情な娘だ。」

男は笑い、取り出した自らの猛りを濡れた秘裂に宛がって突き入れた。

「っ・・・やっ・・・」

「嫌だと言っても、もう全部入った。ほら。」

言いしな最奥を突き上げられてインテグラは息を呑む。
突き上げ、擦り上げる律動。あの女にしたのと同じように。
唐突に意識がはっきりした。はっきりしたのに、自分がどこに居るのか分からない。
目の前には寝台の天蓋。
―――――また、夢?

「・・・全く、何だってこんな・・・」

息を吐くと同時の呟きに、まさか誰かの声が重なろうとは。

「あら、起きちゃったのね。」

見れば、インテグラの腰の辺りを跨ぐ、豪奢な金髪をのたうつような白い裸体に纏った妖艶な女。その豹変振りは目を見張るものだったが、

「リ・・・リス。」

「どうだったかしら?私の作った淫夢は。」

言って女は信じられないような力でインテグラの膝を開かせて、あわいに顔を埋めると夢のせいか敏感になった花芽を吸い上げた。

「っ・・・」

「やっぱり貴女、とても美味しいわ。途中で補充していなかったらうっかり吸い尽くしてしまったかもしれないわね。」

うっとりと女は言い、インテグラの蜜を余さず舐めとるように花弁の奥まで舌を伸ばす。

「ふっ・・・くっ・・・」

インテグラが気を遣り躰を引き攣らせても、顔を上げようとしない。

「そのくらいにしておけ。」

遠くなる意識の端で、怒った様な男の声が聞こえた。



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