◆輪舞曲―rondo―


 毎日のようにイザベラが綺麗に磨き上げてくれている黒檀のデスクの上の電話の呼び出し音に、書類から視線を動かさずにインテグラは受話器を取った。

「私だ。」

「お嬢様、午後よりアイランズ卿がお見えになるそうです・・・」

珍しく、幾分か動揺を含んだ執事の声。それはそうだろう、アイランズがこのように今日の今日突然に来訪するなどそうそうある事ではない。

「何のご用向きかはおっしゃっていたか?」

「いえ、14時頃に行くとだけ。」

「そうか、分かった。」

受話器を下ろし、インテグラは思案する。
アイランズを緊急に動かすような失敗をしでかした覚えは無い。仕事の事ならば前もって何がしかの情報を与えてくれるはずなのだが。
考えても栓の無いことだ。時間までに仕事に目処をつけなければとインテグラは再び書類に目を落とした。



 14時頃と言っていたアイランズは、いつも彼がそうであるように14時が来る10分前にヘルシング邸を訪れた。応接間で向かい合ったアイランズは出された紅茶に口もつけずに口火を切った。

「来月、私の屋敷で誕生祝いをするので出席するように。」

「それは、おめでとうございます。」

突然のアイランズの言葉に驚く。その様な派手な事は嫌いな方だと思っていたが、誕生パーティーだなどと、どういった風の吹き回しだろう。怪訝そうなインテグラを見やってアイランズは眉をしかめる。

「分かっているのか?私の誕生日はあくまで名目だ。」

「と、言いますと?」

「目的はお前の披露目だ。」

「は?」

全く思いもよらなかったその言葉はインテグラを困惑させた。
2年位前からウォルターにも事あるごとに勧められ、その度に却下してきた社交界デビューとかいうものを、まさかアイランズに勧められるとは。

「畏れながらアイランズ卿、その様な事は私には必要無いものかと。」

「必要無い?」

「はい、私の仕事は人知れず女王陛下と英国を護る事、社交界に顔を売る必要は無いかと存じます。」

「そうか、ならば聞こうインテグラ。お前が警護にあたった場合に女王陛下のお側を、見た事も無い素性も知れぬ者がウロウロしていたらお前はどう思う。」

「それは・・・」

自分が社交の場に出ていない以上、社交界に精通した人物にでも聞くしかない。

「では聞いた相手もその素性を知らなければどうだ?」

自分も人も知らない人物が陛下のお傍に居たとしたら、それは当然の事ながら。

「排除します。」

「だろうな、今のお前がそれだインテグラ。」

インテグラは言葉を失う。今まで自分の事を知る者が少ない事が、何らかの問題になるかもしれないとは考えてもみなかった。

「陛下の憶えもめでたくお側に行く事が許されていると言う事実がいくら在ろうと、お前が多くの人間にとって胡乱な存在である事もまた事実。そして素性も知れぬ人間をお傍に置いていると言う認識がなされる事は女王陛下の御為にもならぬ。」

「・・・はい。」

「だからと言ってお前の役目を多くの人間が知る必要は無い。だが上っ面の立場と言うものが必要だと言っているのだ。このままではいずれ、緊急の際にお前が陛下のお側に行けぬと言った不慮の事態が起こらんとも限らん。陛下と英国をお護りしているのは何も我々円卓会議だけでは無いのだ。」

「おっしゃる通りです。」

アイランズの言葉はいちいち尤もで、社交と言う場を嫌って何もしてこなかった自分の馬鹿さ加減が嫌になってくる。

「分かれば良い。来月のパーティには淑女として恥ずかしくの無い作法と衣装を身に着けてくるように。」

アイランズの沙汰を、インテグラは量刑を聞く被告人の思いで聞いた。



 横長で外側に上がった黒縁眼鏡に黒いベロアのロングワンピース姿という、絵に描いたような女性教師の容赦の無いしごきに、インテグラは何度もパーティへの出席を取り止めようと思った。
そもそも今さら行儀作法などとちゃんちゃら可笑しくてやってられない。吸血鬼に出会ってスカートの端を持ち上げながら「御機嫌よう」などと挨拶をしていたら美味しく戴かれてしまう。真っ先にホルスターから銃を抜いて一発お見舞いするのが挨拶代わりの世界で生きてきたのだ。それをコルセットで体をぎゅうぎゅうに固められて、歩くのにも不都合な長いスカートとバランスの悪い靴を履かされるなど、インテグラにとって拘束衣を着せられているにも等しかった。
退屈な社交の作法の授業に耐え切れずに欠伸をするとすかさず女教師に扇子で額を叩かれる。

「ちゃんとお聞きなさい!!」

「しかしミセス・スミス。このように呼吸を妨げる服装をさせられていては酸素不足にもなろうと言うものです。」

「『ですわ』とおっしゃいなさい!!」

ぴしりと言ったスミス婦人は盛大に顔を顰める。

「全く何度言ったら分かるのですか。貴女は「です」「ます」は出来ているのだから最後に「わ」を お付けなさいと言っているでしょう。それに酸素不足けっこう!!息が浅いと大声も出せずに大人しくなれますでしょう。」

確かにこんなものを着けていては、とても何かを喋ろうなどという気にもなれない。 現代においてコルセットを着けたことの無い女性というのが大半を占めるだろうが、上流社会ではいまだ体型や姿勢を美しく見せるためのファウンデーションとして使う女性も多い。インテグラがコルセットを着けた事も無いと聞いたスミス婦人の考えで、授業中はコルセットと正装着用でという事になったのだが。最初の三日間は気分が悪くなってしまってレクチャーどころではなかった。それを考えれば欠伸をしたり反論できるくらいになったのだから少しは慣れたという事だろう。

「立ち居振る舞いは何とか見れるようになったのですけどねえ。」

困ったように頬に手をやるスミス婦人には悪いが、この3年余りで染み付いた言葉遣いがたかだかひと月足らずで直るはずも無い。

「こうなったら笑う練習をするしかありませんね。」

「笑う・・・ですか?」

笑うのに練習などが必要なのかとインテグラの顔に書いてあったのだろう。スミス婦人は眉尻を跳ね上げると説教がましく話し始めた。

「笑うと言っても面白おかしく笑うという事ではありません。貴女の場合は喋らない方が絶対に宜しい。ですから笑顔でかわすのです。あくまでも上品に。」

―――――ああ、成る程。喋るとボロが出るんで笑って誤魔化すということか。

「とりあえず笑って御覧なさい。」

「そんなの急に言われても・・・」

「笑いなさい。」

有無を言わせぬ婦人の言葉に仕方なくインテグラが笑みを浮かべると、彼女は肩を竦めて宙を眺めた。

「貴女それじゃ、相手は小馬鹿にされたと思ってよ。今日から笑顔の特訓です!!」

「え・・・笑顔の特訓・・・」

インテグラの人生において最も不要かとも思われるものだが、どうやらやるしか無さそうだ。その日の授業が終わる時間まで、インテグラは鏡の前で顔の筋肉を酷使する荒行を強いられた。

 「疲れた・・・」

授業が終わり、やっとコルセットから開放されたインテグラは下着姿のままソファにごろりと横になる。背筋を 固められているのだから筋肉は使わないように思うのだが筋肉痛なのだろうか、背中や腰が痛みを訴える。

「インテグラ様、ちゃんと服をお召しになって下さい。」

インテグラの開放を手伝ったイザベラが苦笑しながらインテグラを促す。さすがに行儀が悪いなと反省してインテグラは素直に従った。

「世の女性たちを尊敬するよ。」

服を着せられながら溜め息混じりに言ったインテグラにイザベラはくすりと笑う。

「世間の女性たちはそれほど厳しい行儀作法の躾をされているわけでは無いと存じますが、インテグラ様は女王陛下への謁見も許された立場の方でございますから。」

「やはりこれくらいは当然出来てなければいけない事か?」

「身に付けておいて間違いの無い事だと思いますわ。」

さらりと語尾に「わ」の付けられるイザベラを羨ましく思う。どうも自分で言うと背筋が薄ら寒くなるのだ。

「演じてくださいませ、インテグラ様。」

「演じる?」

「はい、素のインテグラ様を他人に見せる必要などございませんわ。まことしやかなヘルシング家のお嬢様を演じて見せれば良いのでございますよ。」

イザベラは根っからのインテグラ信奉者なのだ。
―――――そうか、心の中で舌を出していても化かせば良い訳だな。
真面目に淑女に成り切ろうとしていたインテグラは、イザベラの言葉で目から鱗の落ちる気がした。 難しく考えることは無いのだ。アイランズも言ったではないか、上っ面なのだと。つまりは表向きの立ち位置があれば良いと言う事だ。パーティの出席者全員をペテンに掛けてやるのだと考えれば、それは中々楽しい余興かも知れない。
―――――こんなに苦労してるんだからそれなりに楽しませてもらっても罰は当らないだろう。
憂鬱だったパーティに、少しだけ楽しみを見出したインテグラだった。



 まず手始めにとペテンに掛けたスミス夫人は授業後、満足そうに何度も頷きながら今はお行儀教室用となっている客間を後にした。何だ簡単じゃないかとインテグラはこっそりと人の悪い笑みを浮かべる。

「いたたた・・・しかしこればっかりはどうにもならないな。」

テーブルに手を付いて椅子から立ち上がりながら、顔を顰めてインテグラは腰をさする。情けない事に背中の痛みと腰痛がここのところ慢性化していた。余計な筋肉も落とせとスミス夫人に言われたので暫くトレーニングルームにも足を運んでいない。腰痛も筋肉の衰えから来ているのかもしれない。
―――――パーティが終わったら筋トレだな。
さあ直立するぞ。とテーブルに付いていた手を離そうとした時だった。

「成る程、硬いな。」

「アーカード!!」

インテグラの腰に背後から腕を回した長身の男は端的に感想を述べた。そもそも男の長い腕は軽くインテグラの腰を回るのだが今日は特に間が空いている。

「少し痩せたか?」

そうかも知れないし、ただコルセットで締め付けられてるからなだけかも知れない。

「離せ、こんなもの早く脱ぎたいんだ。」

「手伝ってやろうか。」

「馬鹿、良いから離せ。」

ただでさえ思うように動けないのに苛々しながら怒鳴ったつもりだったが、呼吸もままならない状態では大きな声すらも出ない。

「こんな厭らしい格好で人前に出ようとは関心せんな。」

「あっ・・・」

ワンピースの上から大きな手に胸を掴まれてインテグラはぴくりと体を震わす。

「い、いやらしいって何だ。」

「腰を締めて胸と尻を強調した性的アピールの色濃い格好が厭らしくないとでも?」

そんな事考えても見なかった。しかし女性らしい格好が性を強調しているというのは当然のことであって、それを厭らしいと取るのは受け取り方の問題のような気がする。

「厭らしいのはお前の頭の中の方だ。」

「成る程、それでは私がお前に性的興奮を感じているのもこの厭らしい頭のせいだな。」

ロングワンピースのスカートの裾を上げて入ってきたアーカードの手が腿を撫でさする。胸を揉まれながらテーブルに突っ伏すように背中から押さえ付けられた。

「ちょ、ちょっと・・・当たって・・・」

「何が?」

ほくそ笑む気配が耳元でして思わず首を竦めた。予想通り耳を甘噛みされてぞくぞくと背筋を電流が奔る。アーカードの腰と密着した臀部に男の欲望を感じる。布越しだというのにありありと分かる硬く猛ったそれがアーカードの「性的興奮」を如実に表わしていた。

「いくら胸と尻を強調してるからって、こんな手と顔しか出てないような服でなんで興奮なんてするんだよっ」

「お前がいつもトゥラザースなど穿いてるからスカートに免疫が無くてな。」

言いしなスカートを腰上まで捲り上げられて下着だけの尻を露わにされる。

「やっ・・・!!」

アーカードはまだ女として熟しきっていないインテグラの、些か丸みの足りない尻の割れ目を下着の上から指で辿る。女性らしさに欠けてはいても、アーカードに手によって花開かされた花弁は確実に快感を得る術を心得ていた。深い谷が緩やかになった部分を執拗に指先で擦り続けると乾いた下着がじんわりと湿り気を帯びてくる。テーブルに腹ばったインテグラの、強調はしていても豊かとは言いがたい膨らみに添えられた手から、小刻みな呼吸の振動が伝わってくる。何かに耐えるかのように握り締められた拳が小さく震えていた。
下着と手袋の擦れ合う摩擦がやや軽くなった頃に、アーカードは口で手袋を取り去るとインテグラの蜜で濡れた花弁の狭間に下着の脇から指を挿し入れた。

「一本入ったぞ・・・二本・・・」

「言うなっ・・・あぁっ・・・」

長い指を根元まで入れて蠕動するインテグラの内部を愛でる。死人の冷たい指がインテグラの熱を奪い取っていく。狭いそこを丹念に解して蜜を塗りこめ、アーカードは自らの猛りを宛がう。淡い薔薇色の秘裂を押し広げて穿たれた凶器にインテグラが呻いた。

「駄・・・目っ・・・」

コルセットに圧迫されたせいで、ただでさえ狭いインテグラの中にアーカードのものを受け入れる余裕など無く、代わりに押し上げられてくる内臓が気持ち悪い。

「嫌だ・・・抜け・・・」

「無理を言うな。」

「・・・無理は・・・どっちだ・・・」

じんわりと額に脂汗まで滲み始めたインテグラに、流石の化け物も同情したのか否か。
胸から手を退いてワンピースの背中のジッパーを下ろすとそこにあった紐の結び目を解いた。開放されて大きく息を吐いたインテグラは、その途端に異物感から快感へと変わったものに翻弄される。

「んんっ・・・」

「中が蠢いている。気持ち良いか?お嬢さん。」

ゆっくりと抜き挿しを始めたアーカードの下でインテグラは身悶え、やがて激しくなっていく抽挿に揺さぶられながらその時を迎える。
躰を強張らせ、自分が極まると同時に身の内に放たれたものを感じた。





 リビング中に広げられた無数の生地見本やカタログを、インテグラはソファに座ったまま物憂げに見渡した。
午後のお茶の時間に合わせてヘルシング邸を訪れたメゾンの店員が持って来たものだ。
真剣な面持ちで吟味しているのは彼女の忠実な執事。時おり歓声を上げながら所狭しと並べられた生地を手に取るメイドたち。傍観しているのはそこから生地とデザインを選ぶべきインテグラだけだった。
そもそもインテグラには今回のパーティのために服を作るつもりなどさらさら無く、手持ちの礼装で構わないだろうと思っていたのだ。しかし相応の格好をして行かねばアイランズに恥をかかせることになると執事に言われて、渋々服を新調する事を承知したのだが。面倒がって執事に丸投げしていたのが大きな間違いだった。例によって一から仕立てを頼む事になってしまった。

「これなどは如何でございますかお嬢様。」

執事の声にインテグラは彼の方を見て眉を顰める。確かにそれはとても美しい生地だと思う。思うがしかしだ。

「冗談じゃない、私はピンクなんか絶対に着ないぞ!!」

「それではこれはどうですか?インテグラ様。」

「あら、こっちの方が良いわよ。」

「ダメダメ、インテグラ様にはこの色が絶対に似合うわ。」

執事に続いて布を掲げるメイドたちを見渡してインテグラは更に渋面を濃くした。

「赤も紫も黄色も却下。私は黒か緑しか着ないからな。」

腕を組んでそっぽを向いたインテグラに、空になっていたティーカップに紅茶を注いでいたイザベラがソーサーごとそれを差し出す。

「インテグラ様、緑はともかく年若い女性がお祝いの席に黒ではあんまりでございますわ。」

そう言ってイザベラは生地の海に入っていくと、片方の手を腰に当て、もう片方の人差し指を顎に当ててぐるりと見渡す。そうして頷くと漁の成果を持ち上げた。

「こちらは如何でしょう。光の入り方によっては色味も変わりますし派手ではないと思うのですが。」

それは光沢のある濃い青の生地。一見濃紺のようでもあるが光の当たった場所はインテグラの瞳のようなサファイア色になる。角度によっては青紫に見えなくも無いなんとも微妙な色合いは、落ち着きと華やかさを同時に併せ持っていた。

「・・・まあ、それなら・・・」

それが格別に気に入ったと言う訳では無いが自分で選ぶ気も無く、さりとて執事や他のメイドに任せておいては何を着せられるか分かったものでは無いと言う消去法で、インテグラはイザベラの奨めを受け入れることにした。

「イザベラ、デザインもお前に任せて良いか?ヒラヒラでフリルがいっぱいじゃ無いやつで。」

布を選ぶのでさえも億劫なのに、この後デザインまで決めさせられるのは面倒な事この上ない。だが、こればかりは執事には任せられない。

「畏まりました、お任せくださいな。」

多少ならずとも恨めしげな執事たちを背景に、イザベラはにこりと笑った。



 パーティ当日。
立ったまま布を当てられて針子が仮縫いをするなどといった、服に興味のないインテグラにとって苦行にも近い工程を経て作られたドレスを着せられて髪を結い上げられた。
ドレスはベアトップになっているので普段は出さない肩や腕が露出していて何とも落ち着かない。勿論これだけなら断固として着るのを拒んだだろうがイザベラもそのあたりはよく心得ていて、上からシフォン素材のショールを合わせるらしいのでインテグラは口を噤んだ。しかし胸下から体の線に沿って下に広がるスカート丈が膝までとは、些か短すぎはしないだろうか。
ドレスの下には当然コルセット。そして下僕の不埒な行いの後に着けるようになったPPK入りのレッグホルスター。
―――――これも今日までの辛抱だ、今日までの・・・
締め上げられた腹を撫で、頭の中で呪文のように繰り返しながらインテグラはアイランズが迎えに遣した車に乗り込んだ。ドレスと揃いの生地の靴はインテグラの足に合わせて作られただけあって履き心地は悪くない。
落ち着かない格好、乗り慣れない車。やや不安げな面持ちでインテグラは車窓から外を見る。英国では珍しくない、と言うよりも見慣れきった曇り空。インテグラの気持ちも似たようなものだ。
人前に出るのはあまり好きではない。昔から人前に出ると好奇の目に晒されてきた。未だに有色人種と同じ部屋に入るのも厭う人が居るのが現実。
このロンドンからユーロスターに乗れば2時間と少しでパリへ行けると言うのに、様々な肌の色や髪の色をした人々が混在するフランスと違って英国は良くも悪くも島国根性から抜け出せていない。それはこんな肌の色をした自分の僻みだろうか。
そんな事を考えているうちに車は一旦入った市街地を抜け、郊外にある屋敷の門を通って私有地へと入っていく。ここに来るのは何年ぶりだろうか。前に来たのは多分、まだ父が生きていた頃のことだ。父が床に伏せる前だから5年以上になる。
円卓会議のメンバーが表向き顔を合わせる事はほとんど無い。そもそも円卓会議自体がヘルシング機関と同じく匿秘機関なのだ。父とアイランズが同じ歳で学友でなければこういう機会も無かっただろう。こういったお膳立てをしてくれたアイランズには感謝しなければならないのだろうが、やはり気が重いのが本音である。
車はやがてエントランスのポーチ前に停まり、運転手が降りてきてインテグラの乗っている後部座席のドアを開ける。車を降りるとアイランズ家の執事とメイド頭らしい年配の女性に迎え入れられた。
客間に通され「どうぞごゆっくり」と置いていかれてしまったが、こんな格好の上に女王とはまた違った意味で最もインテグラを緊張させる相手の家でゆっくりなど出来る筈も無い。手持ち無沙汰に腰を下ろしていたソファから立ち上がって窓際に寄って見ると、眼下にエントランス前の噴水が見えた。その周りを車が数台並んでいて、門の方からも続々と車が入ってくる。
見も知らぬ紳士淑女にこれから愛想を振り撒かねばならないのかと考えて、インテグラは顔を引き攣らせた。その背中を叩いたノックの音に、窓の外に目を向けたまま「どうぞ」と返事をする。ドアが開く音の後に聞こえてきた声に慌てて振り返った。

「ふむ、悪くない。」

「アイランズ卿!!」

驚いて立ち尽くし、はっとして頭を下げた。

「お誕生日おめでとうございます。今日は宜しくお願い致します。」

祝いの品は送っておくから祝いの言葉だけは言うようにと執事に言い含められていた。

「この歳にもなると誕生日などめでたくも無いがな。」

辛辣な返答だが口調が柔らかいのにインテグラはほっとする。

「そのドレスは悪くない。第一印象が肝心だからな、上手いこと皆を誑かして見せろ。」

後半分はどうやらジョークらしい。いつも厳しい表情を崩さないその顔に笑みが浮かんでいる。 父とは正反対の彼の中に父を見出し、インテグラは郷愁に胸を突かれて思わず涙ぐみそうになった。

「では行くか。」

「は、はい。」

アイランズにエスコートされてインテグラはパーティ会場である広間へと向かう。
来客者たちへの挨拶の後、親友の忘れ形見云々という無難な紹介をしたアイランズに視線で促されて、インテグラはその存在を示すかのように一歩前に出る。何かとぺらぺら喋る必要は無い。

「インテグラル・ヘルシングです。宜しくお願い致します。」

にっこり笑って膝を折り、スカートの裾を摘まんでほんの少し上げるだけで十分。ミセス・スミスのお墨付きだ。
作った甲高い声にインテグラが自分で鳥肌を立てている事になど、誰も気付くはずが無い。
やれやれこれで大仕事が終わったぞと思えば、パーティーが始まった途端にインテグラはまず年配の女性たちに囲まれた。順番も何もあったものでは無い喧しい質問攻めに「煩い!!」と一喝したい気持ちを抑えて「はい」と「いいえ」だけで答えて笑みを崩さない。それは相当に忍耐力の要る作業だった。
そこからやっと開放されたと思えば今度はダンスの申し込み攻め。「1曲目はアイランズの叔父様と」と丁重にお断りして親しい客と話している彼の傍に控えた。
―――――いったい皆、こんなのの何処が楽しいんだ?
コルセットと人の多さに息苦しい。社交とかいうものに忍耐力も精神力も使い切って疲労困憊。
それは計算してやった訳ではないが、インテグラにとって最良の結果をもたらしたのだから僥倖と言えるだろう。彼女自身は自分の醜態に対して後に憤慨したのだが。
視界が暗転して意識がふっつりと途切れる直前に、やたら耳に障る悲鳴が聞こえてきて、インテグラは心の中で「煩い糞ばばあ!」と悪態を吐いた。



 ベッドの上で目を覚ましたインテグラは、見慣れない天井にしばし自分の置かれている状況が理解できずに考える。
そうだここはアイランズ邸。彼の誕生パーティで紹介を受けて、それから。
―――――貧血をおこしたのか。
先程まで居た人いきれの中から静かな部屋に一人。沢山の人の中に居るのはあんなに嫌だったのに急に一人になって孤独感を感じる。それはきっと他人の屋敷だからなのだろう。自分の屋敷ならばいつだって寄り添うものが居る安心感がある。そう思ってインテグラは顔を顰めた。自分があの男に精神的にも依存してしまっている事に気付く。
そういえばここ数日は出動の要請も無く平和といえば平和な日々で、昨日と一昨日はあの男の顔も見ていない。今頃は暢気に地下の棺の中で眠っているのだろう。食って狩って寝て食って、まるで野生の肉食獣のようなインテグラの飼い犬は、彼を脅かすものも無い。

「いいよなぁ・・・あいつは気楽で。」

そんな独り言の呟きにまさか返事が返ってこようとは。

「そうでも無いぞ。」

「―――――!!」

声を上げるのを我慢できたのは、そんな現象にある程度慣れてしまっていたおかげだろう。
首を動かしてベッドの横を見ると、そこには椅子に座った男の姿。
闇よりもなお濃い漆黒の髪と血の気の通わない白皙、血色の装束を巨躯に纏った化け物の中の化け物。吸血鬼の証拠とも言える赤光を放つ瞳は、今は濃いサングラスに隠されていた。

「誰が付いて来いと言った、アーカード。」

従僕に対し眉を顰めたインテグラに、アーカードは口元だけで笑う。

「ボディガードだ、お嬢さん。主人を唯一人で外出させるとは、執事も存外考えが甘いな。」

「アイランズ卿の屋敷に来るのに供はいらないだろう。」

「そのような油断こそあの死神らしくない。やはり耄碌したな。」

インテグラが何者なのかを分かっていて、一人で表へ出すとは油断以外の何ものでもない。

「アイランズは確かに頭の切れる男だが化け物のことは門外漢だ。それにお前の顔を売るために招待客はあまり厳選しなかったらしい。」

「何が言いたい。」

嫌な予感にインテグラの眉間にさらに皺が刻まれる。多感な17歳の少女の表情を曇らせる心配事は、学業の事でも交友の事でもはたまた恋愛の事でもなく、恐るべき力を持った従僕の答え。

「居るぞ主、今この屋敷に、お前の殲滅すべき標的が。」

アーカードは笑みを深め、吊りあがった唇から尖った犬歯を覗かせる。

「馬鹿な・・・」

インテグラの返事はそのまま取ればアーカードの言葉に対する否定だったが、彼が嘘など付くはずが無い事は充分承知している。その言葉は、そうであって欲しくないという希望が言わせたものだった。

「命令を寄越せ我が主。」

嬉々として言う男にインテグラは困惑する。

「駄目だ、ここで騒ぎを起こす訳にはいかない。」

例えば今この屋敷に居るらしい化け物が力弱いものだったとしても、アーカードを放てば騒ぎにならないはずが無い。アイランズに報せれば彼は迅速に、さらに穏便にこのパーティを中断するに違いない。それがもっとも最良の選択だろうか。否、潜り込んでいる敵もパーティが中断すれば不審に思うに違いない。それで被害者が出てしまっては事だが、放置していても被害者が出ないとは限らない。何しろ大勢の人間の中に化け物が自由に動き回っているのだから。
いったいどうすれば良い。

「最近の吸血鬼は日中も闊歩するのか。お前以外の吸血鬼も太陽さえ出ていなければ夜と変わらず動けるのか?」

「吸血鬼ではない。多分な。」

「吸血鬼じゃ、無い?じゃあ何だって言うんだ。」

「分からん、じっくり観察する前にお前が逃げた。ダンスを受けなかったのは正解だが。」

「何!?そんな近くに居たのか!?」

「真っ先に寄ってきたな。」

アーカードの言葉にインテグラはまた考え込む。

「私を、ヘルシングを知っているのか。」

「そうでは無かろう、化け物に横の繋がりなどは無い。」

単に上等の獲物だと認識して寄って来ただけだという事を、アーカードはインテグラに言うつもりは無い。言えばこの娘は自分を餌に仕事をする事も厭わないだろう、今回に限らずだ。それは彼にとって些か不快な事である。

「そうか・・・」

インテグラの呟きに下僕はサングラスの上の眉を顰める。歳若い女主人は彼の不快な予想通りに動くつもりらしい。

「パーティに戻る。」

上掛けを跳ね除けてベッドから降りたインテグラは、一瞬顔を顰めてから自分の体を見回す。起き上がってみて、拘束具のようなコルセットの存在を思い出したからだ。幸いドレスは皺になっていない。ドレッサーに寄って鏡を覗いたが髪もほとんど乱れていなかった。さすがイザベラがやっただけの事はある。

「影に入れアーカード。私が標的を人気の無い場所に誘い出すまで出てくるな。」

「化け物と人気の無い場所に二人きりで行くつもりか。」

「何を言ってるんだ、お前が居るんだから二人っきりじゃないだろう。」

この男を複雑な気分にさせる者など、この世にインテグラ唯一人だろう。アーカードは眉を顰めたが、素直にインテグラの影に同化した。



 会場に戻ったインテグラはぐるりを見渡して見つけたアイランズへと歩み寄った。それに気付いたアイランズもインテグラの方へとやって来る。

「大丈夫か。」

「はい、醜態を見せました。申し訳ありません。」

「いや、結果的には良かったかもしれんぞ。」

「は?」

小声になったアイランズに促され、インテグラは彼と共にテラスへと出る。風が気持ち良い。

「良かったとはどういう事ですか?」

周りに人が居ないのを確認してインテグラは聞き返す。

「人々のイメージが『十七にもなってやっと社交の場に出てきた変わり者の伯爵令嬢』から 『病弱な深窓の令嬢』に鞍替えされたという事だ。」

「はあ・・・」

いまいちピンと来ないが、アイランズが良しと言うのだから良いのだろう。

「疲れただろう、帰りの車を用意させよう。」

「ありがとうございます。でも、もう少しだけ。」

インテグラの返事にアイランズは怪訝そうな顔をしてみせたが「そうか」とだけ言うと他の客に呼ばれてその場を離れた。その背中に会釈をして、インテグラはテラスから中に戻り広間を見渡す。

「何処に居る?」

潜められた独り言に気付く者は居ない。

『斜め左手、10メートル前方の柱の傍でカナリア色のドレスの女と居る、お前に似たような薄い髪の色をした男だ。』

「カナリア色・・・薄い・・・」

『どうした。』

「カナリア色のドレスの女性は居るけど、その横に居るのは黒い髪の男性だぞ?」

『何?』

目を眇めて懸命に見るが、アーカードの指摘した方向に他に似たような色のドレスを来た女性は居ない。それにその女性の周りには複数の人物が居るが男性は一人だ。
顰め面を人に見られて思わず愛想笑いを返す。一箇所でブツブツ独り言を言っていては不審に思われるだろう。インテグラは人目を避けつつ、しかしそこから視線を外す事無く移動した。

『・・・分かった。』

「・・・何?」

『奴は夢魔だ、厄介だな。』

「夢魔?」

『夢魔は獲物に快い夢を見せてその精気を糧とする。近頃は一人の人間に長く取り付いている事が多いようだ。』

「近頃は?」

『医学の発達していない時代、人は眠りから覚めなければ遠からず死ぬ運命にあったが今は違う。金持ちなら特に長いこと一人の獲物の精気を吸い続ける事が出来るだろうな。』

自分の影の中の下僕の声に、昏い笑いが混じるのを感じてぞっとする。
原因不明の昏睡という診断で医療機関のベッドに生命維持装置をつけて生き続ける患者の内のいくらかは、そうやって化け物に精気を与え続けているのかも知れない。

「厄介というのは?」

『奴には現世での実体が無い、だから見る者によって良いように姿が見える。』

「実体が無いって・・・じゃあどうやって倒すんだ?」

『夢の中で倒すしか方法は無い。』

「夢の中って・・・」

では誰かが被害に合わなければ手の打ちようが無いと言う事か。

「お前、入れるか?人の夢の中に。」

アーカードが使えないのならば他に手を考えるか、それが出来る者を探すしかない。存在を知ってしまった化け物を見過ごす事はインテグラには出来ないのだから。

「応えろ、アーカード。」

『・・・一度招かれなければ私には入る事は出来ん。土地にも、家にも、夢にもだ。』

「じゃあ招けば入れるんだな?」

『・・・・・』

「アーカード。」

『Yes.MyMaster』

「ではお前を私の夢へ招こう。速やかに夢の中の奴の本体を探し出して抹消しろ。 ・・・と言っても奴が私を狙ってくれればの話だが。」

『お前に手を出す者は愚か者だが、お前に手を出さない者はもっと愚かだな。』

「何だって?」

『何でもない。』

「さて、どうやって奴を誘き出すか・・・」

伏し目がちに考え込むインテグラに、アーカードは彼女の影の中で溜め息を吐く。

『策を弄す必要は無い、向こうからやって来た。』

「えっ?えっ!?・・・ちょっと待って、こんなとこでまた倒れるなんて困る。」

『にっこり笑って送ってくださる?とでも言え。』

顔が見えなくても分かる不機嫌そうな声に、インテグラは困惑を深める。真面目に考えろと言おうとした時に声が掛かった。

「もう大丈夫ですか?」

「え?」

見ればアーカードが夢魔だと指摘した男が、インテグラの前で薄く笑んでいた。
どう見てもやはり黒髪だ。切れ長の目、すっきりと通った鼻梁、薄い唇。誰かに似ているような気もするが。

「先ほど貧血で倒れられたようでしたので。」

「あ・・・はい。」

―――――じゃなくて、ええと・・・

「・・・実はまだあまり気分が優れません。」

「それはいけません、無理をなさらずお帰りになられた方が宜しいのでは?」

「そうですね。」

ここでインテグラは精一杯の猫を被って男に笑みを返した。

「送って下さいます?」



 見慣れた天蓋の布の色にほっとして、ほっとしている自分を不思議に思う。リアルな夢を見て起きた時の、既視感にも似た違和感。
―――――何の夢を見てたんだっけ?
思い出せないことも別に不思議な事ではないので、長くは考えずにベッドから起き上がる。 カーテンを開くと朝の白い光が部屋の中に満ちた。眩しい光の中、手を組んで頭上へと伸ばして伸びをしながら眉を顰める。光に慣れた目にくっきりと見える庭の木々。眉間を触ろうとすると慣れた手触りの金属に指先が触れた。

「やだ、また眼鏡したまま寝ちゃったんだ。歪んでないかしら?」

外して持ち、角度を変えながら観察してみたが歪みは出ていないようだ。そのまま部屋のシャワールームへと行って真鋳製の洗面台で顔を洗う。洗面台の壁に掛けられた、やはり縁を真鋳の装飾で飾られた鏡の中にも見慣れた自分の顔。それなのに何だろう、この妙な違和感。
―――――何か今日、行かなければならない所とか大事な約束とかあったかな?
考えながらブラウスとスカートに着替えを済ませた頃、ノックの音が響いた。

「おはようございます、お嬢様、朝食の準備が整っております。」

「おはようウォルター、すぐ行くわ。」

髪に櫛を通して眼鏡を掛けなおし、部屋を出てダイニングへ。

「おはようございます、お父様。」

「おはよう、インテグラ。」

すでに席に着いていた敬愛する父との朝食。日常の一日の始まり。この胸騒ぎの意味が分からない。

「もうすぐ18の誕生日だなインテグラ。何か欲しいものはあるか?」

優しい父の笑み。例え、いずれ自分が引き継ぐであろう役目がどんなに過酷なものであろうとも、自分はこの父の娘として生まれたことに誇りと幸福に思う。

「お父様が下さるものでしたら、私は何でも嬉しいです。」

そう応えて見た父の背後にいつの間にか男が立っていた。
深遠の闇を湛えた黒髪に、禍々しい赤光を放つ瞳。その男の手に持たれた巨大な白金の銃が父の頭部へと当てられている。

「お父様―――――っ!!」

インテグラの絶叫と、銃声と、どちらが先だったか。
血と脳漿がまるで花火のように飛び散るのが、やけにゆっくりと見えた。食卓に倒れこむ父に駆け寄ってその体を支える。

「お父様!!お父様!!」

即死だと分かっていても呼ばずにはいられない。

「任務完了だ、我が主。この下らない夢から目を覚ませ。」

「化け物めっ!!」

血まみれの父の懐から銃を取り出して男に向ける。その手を震えさせているのは怒りか恐怖かそれとも両方か。

「作戦とは言え、見事に敵の術中に落ちたらしいなお嬢さん。そんなものを私に向けても無駄だと教えたはずだ。」

問答無用で放たれた弾丸が男の胸を射抜く。破壊力は小さくとも洗礼された銀の弾丸に胸を撃たれた魔物はそれ相応のダメージを受けるはずだ。しかし魔物はその胸に傷を負ったものの微動だにしない。

「このっ・・・」

インテグラは残された弾を全て立て続けに撃った。それらは魔物の体にすべて撃ち込まれたと言うのに致命傷を与えることが出来ない。ゆっくりと近寄ってきたそいつに、弾の無くなった銃を捨てて食卓に置かれていたナイフを 胸に突き立てた。

「命令を全うした従僕にこの仕打ちか。早く出なければ閉じ込められる危険があると言うのに、手のかかるお嬢さんだ。」

残忍な笑みを浮かべた魔物に床に押し倒され、両手首を一纏めに頭上に押さえ付けられてスカートの中を弄られる。足を滅茶苦茶に動かして蹴りを入れるが魔物はびくともしない。

「離せっ!!この化け物っ!!」

「そうだ、私は化け物だインテグラ、ではお前は?」

「え?」

油断した隙に、中心に冷たいものが忍び込む。

「やっ・・・」

インテグラの奥底に眠る何かを呼び起こすように、中でそれが蠢いた。

「わたしに・・・触るなっ・・・」

「ここに化け物である私のものを幾度も受け入れ、繋がっただろう?インテグラ。」

「ウソだ・・・ああっ・・・」

自分でさえも触れる事の無い内側のそこを刺激され、インテグラは下腹を引き攣らせる。びりびりと背筋を駆け抜ける、悪寒にも似た感覚。指を動かされるたびに躰を震わすインテグラを見下ろして、魔物はほくそ笑む。

「夢の中でもこのように感度が良いのであれば、ずっとここで淫欲に耽るのも悪くは無い。」

限界は近い、だが自分だけ抜け出して現実世界で人形のようになったこの娘を見るつもりも無い。
指を引き抜き、魔物はインテグラの花弁の狭間に己の欲望を宛がい一気に突き入れた。

「ああっ―――――」

衝撃に仰け反った褐色の喉元に舌を這わせながらゆっくりと抽挿を始める。

「あっ・・・んっ・・・」

ふっくらとした薄紅色の唇から漏れる吐息に触発されるように動きが早くなっていく。

「やっ・・・あっ・・・」

躰を強張らせたインテグラが一瞬だけその動きを止め、身の内に撃ち入れられたものに身震いし、弛緩する。

「アー・・・カード・・・」

世界に亀裂が入り、崩壊していく。音も立てずに剥がれ落ちていくそれらの 向こうには何も無い。

「目覚めたか、残念だったな。」

言った男が掻き消えた。世界は今しも真っ白な虚無へと変わろうとしていた。
―――――そうか、思い出した。
これは自分が自分の部屋のベッドの上で見ている夢の中。父はもう既に居ない。自分がヘルシングの長。もうすぐこの幸せで辛い夢から覚める。
インテグラは夢の中、疲れたように瞳を閉じた。二度と、夢魔など自分の中に招き入れたくも無い。




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