◆協奏曲―concerto―


 街中で起きてしまった昨夜の仕事の後処理に、インテグラは思わず舌打ちする。
王立国教騎士団最強にして最悪の、彼女の従僕が考え無しに大口径の銃を必要以上にぶっ放してくれたせいだ。
ヤード(ロンドン警視庁)の幹部から嫌味は言われるわ、大量の始末書に顛末書は書かされるわ。市街地でのあれの運用は考え物だ。

「あっ・・・」

走らせていた万年筆を止め、眉を顰める。
書き損じた書類を忌々しげに丸めて屑篭に投げ込んだ時にノックの音が響いた。

「どうぞ。」

苛立ちを押し込めながら答えると執事がするりと優雅な仕種で入ってくる。先ほどから行儀悪いことこの上ない自分とは大違いだ。

「お嬢様、エリザベス・イーデンという方からお手紙が来ておりますが。」

「エリザベス・イーデン。・・・リズか!?」

差し出された封書を受け取り裏書を見る。自分と違って女性らしい流麗な文字に懐かしさが込み上げた。

「お知り合いで?」

「うん、UWC時代のルームメイトだ。」

父の通ったオックスフォードでもケンブリッジでも無くわざわざUWCに通ったインテグラは、一応良家の子女と言えなくもない立場からすれば変り種と言えた。名家の子息も多い伝統校よりもインテグラには余程気楽だったが。オックスフォードやケンブリッジにも留学生は多いだろうが、UWCのように人種の坩堝とまでは無い。UWCならばインテグラが悪目立ちすることも無かった。
インテグラが飛び級を重ねてUWCに入ったのが10歳の時、その時リズは16歳だったはずだ。飛び級を重ねたおかげであまり親しい友人も居なかったインテグラは、まわりのほとんど・・・というより全員・・・が年上だったという事もあって中々打ち解ける事が出来ずに居た。だから最初はやたらお節介を焼いてくるリズが鬱陶しくもあったのだが、その後自然に皆の中に溶け込めたのはリズが居てくれたおかげだ。
そう言えば父が亡くなった時も悔やみの手紙をくれていたのに、結局返事も出さずじまいだった。

「何だろう?」

ペーパーナイフで封を切って中の便箋を広げる。一通り目を通して顔を上げたインテグラが、ウォルターに向かって困ったような表情を向けた。

「明後日ロンドンに来るから会えないかって・・・どうしよう。」

「何か不都合でも?」

「・・・そんな事やってる場合じゃないよな。」

「宜しいのではございませんか?お友達にお会いするくらいのくらいの息抜きをなさっても結構かと。旦那様は息抜きの方が多うございましたぞ。」

その言葉にインテグラは思わず吹き出す。亡くなる前の1年ほどは見る影も無かったが、確かに父は結構な遊び人だった。

「ありがとうウォルター。少しだけ行って来る。」



 ハイドパークの西側、ブロードウォークから小道に入りケンジントンガーデンのハイドスタンドを目指す。
午前中の一時間ほどの間そこに居ると、リズは手紙で伝えてきた。一方的な話だが、インテグラが来なければ来ないで別に構わないのだろう。なんとも彼女らしい。
小道の両脇の芝生の上にはそこかしこにチェアが置かれ、平日だというのにそこで談笑を楽しむ人も少なくなかった。
ラウンドポンドを左手にちょうど中間あたりの向い側、まばらな木立が影を落とす一角にハイドスタンドがある。その周りのチェアにも休憩する人々が数人居た。

「インテグラ!?インテグラでしょ!?」

徐に駆け寄ってきてハグする女性に戸惑いながらも、インテグラはこくりと頷いた。

「う・・・うん、ひょっとしてリズ?」

学生時代、ストレートの金髪をいつもボーイッシュなショートにしていたリズは、胸元まである緩く巻いた髪を揺らし、エメラルドグリーンの瞳を細めて嬉しそうに笑った。

「久しぶりね。元気にしてた?」

「うん・・・」

「立ち話もなんだから座ろうか。」

昔のように子ども扱いして、リズがインテグラの手を引くが彼女だと腹も立たない。
木陰に置かれたチェアに腰掛けると、リズも隣に腰掛け煙草を取り出す。

「あ、ゴメン煙草いい?」

尋ねたリズにインテグラはまたこっくりと頷く。 その瞬間リズが吹き出した。

「なぁに?どうしたのよ。インテグラってそんな大人しかったっけ?」

笑いながら、慣れた仕草で煙草に火をつける。学校で暴れた憶えはないが、いったい自分はどんなイメージだったのだろう。

「リズ、ごめん。前に手紙くれたのにずっと返事してなくて・・・」

「あっは、良いのよ。お父さん亡くなって、大変だったんでしょ?で、今は何をしているの?」

「あぁ、えぇと・・・家事手伝い?」

また盛大に笑われる。

「私って、いったいどう思われてたんだ?」

眉間に皺を寄せたインテグラに、笑いすぎて涙目になったリズが、それでもやっぱり笑いながら謝罪した。

「ゴメン、ゴメン。う〜ん、そうねぇ、最初の印象は『秀才』かな?当然でしょ?5つも年下の同級生なんて。 後になってからは『一生懸命さが可愛くて、危なっかしくて放っとけない』って感じかしら?・・・でも意外だったわ。」

「何が?」

リズはきりっと表情を引き締め背筋を伸ばすと、誰かのものまねでもするように低い声を出した。

「『すでに会社の経営に携わってる』とか『政治家を目指して地盤固め中だ』とか言うのかと思ってたわ。とても料理やお裁縫ってタイプじゃ無かったでしょインテグラって。」

どうやらインテグラの真似事だったらしい。悪いが全く似ていなかったが、確かにリズの言うとおり料理や裁縫は全くしない。家事手伝いじゃなくて家業の手伝いと言ったほうが良かったのかもしれないが、しかし家業は何だと聞かれてしまっても説明に困る。
上手く言葉を濁して学生時代の話に持って行くと、リズは矢継ぎ早に思い出を語りだした。どれも他愛の無い話だが、インテグラにとってはもう遠い世界の話だ。聞いているだけでも楽しかった。
ふとインテグラは腕の時計を見る。思ったより長居してしまった。手紙には1時間ほどと書いてあったから、リズにはこの後用事があるのだろうが、既に1時間を経過してしまっている。
聞いてみようか?リズなら何か教えてくれるかもしれない。身近に相談できる相手も無く、かと言って全く知らない人間にも聞けない。

「リズ、ちょっと相談に乗って欲しいんだけど・・・」

「うん?どうしたの?」

「他言しないでくれる?」

「良いよ。」

軽く返事をした表情を改めて、真面目な顔になったリズが耳を近付けてくれる。

「その・・・ベッドで男に主導権を握られない為にはどうしたら良いんだ?」

意を決しつつ、両手で作ったメガホンをリズの耳に当てて囁いたインテグラに、リズは驚きの表情を向ける。

「インテグラ、それって・・・」

真っ赤になったインテグラを見てリズは困ったように溜め息をつく。

「まあ今どき珍しくも無いのかな、私の知り合いにも13歳のママが居るし。でも大丈夫?騙されたりしてない?インテグラは良いとこのお嬢さんなんだから気を付けなきゃ・・・ちゃんとしてるの?避妊とか・・・」

インテグラにだけしか聞こえないくらいの声の大きさで、本当に心配そうにリズは言う。

「・・・それは心配ないかな。」

何せ相手は死人だ。

「そう、だったら良いけど。そうねぇ・・・主導権ねぇ・・・私たち女ってどうしても受け身だから中々難しいよね。例えば甘えた態度で手玉に取るとか。」

「絶対無理。」

即、却下したインテグラは、思わず出た大声が他の人たちの迷惑にならなかったかと周りを見渡したが、どうやら誰も気にしている様子は無い。

「う〜ん、じゃあね、相手を気持ち良くさせてあげる事かな?」

「気持ち良くって?」

「例えば口でしてあげるとか。」

「口で?何を?」

今度はリズがインテグラに耳打ちする。

「えっ?ええっ!?・・・そっ、そんな事するのか!?」

「だって自分が気持ち良くなっちゃってる時にはもう、主導権はあっちに行ってるじゃない?だったらこっちからしてあげなきゃ。」

リズのその言葉は、衝撃的な事実に動転しきったインテグラの耳には届いて居なかった。

「さてと、私はもう行かなきゃ。インテグラも時間ないんでしょ?さっきから時計気にしてるし。」

チェアから立ち上がり、まるでエスコートでもするかのようにリズがインテグラに向かって手を差し出す。

「いや、私は別に・・・ゴメン、ありがとうリズ。」

「ううん、こっちこそゴメンね、せっかく相談してくれたのにあんまり役に立てなかったね。」

「いや、そんな事無い。会えてとても嬉しかった。」

言って、せっかくの好意なのでリズの手を借りて立ち上がったインテグラを、来た時と同じようにハグしてきたリズの背中に、今度はしっかりと手を回す。

「お迎えはどこに来るの?」

「パレスのあたりで待ってると思う。」

「あらら、待たせちゃってるのね。わたしピカデリー線で来たから反対方向ね。」

「地下鉄で来たのか、なら一緒に・・・」

「もう少し散策したいから、ここでお別れするね。」

送っていくと言い掛けたインテグラの言葉を折ってリズが言う。彼女には彼女の都合があるだろうから無理は言わずに申し出は引っ込めた。
じゃあねと言って、来た時と同じように走り去っていくリズに手を振って、来た道を戻りながら欠伸を噛み殺す。昨夜も3時間ほどしか寝ていない。ラウンドポンドの上を渡ってくる風は芝生や木立を優しく揺らして、その音は眠りを誘う。リズの弾丸トークが無ければチェアの上でうとうとしていたかも知れない。
―――――車の中で少しだけ休もう。
そう決めて、インテグラは執事が待つであろうケンジントンパレスの方へと向かった。


 車の中のうたた寝で英気が養えたと言えばそうでもなかったが、それでも書類仕事を日のあるうちに終わらせて、インテグラは早々に自室に戻った。
時刻は22時、ようやくナイトウォーカーの出歩く時間だ。
きっと執務室にインテグラが居ない事を確認して来たのだろう男は、律儀と言えるのかわざわざドアのある場所を通り抜けてインテグラの部屋にやってきた。

「待っていたぞ従僕。」

部屋の中央に鎮座するテーブルセットのソファに座った主人の言葉に、男は片方の眉尻を器用に上げてみせる。

「待っていたとは?」

とかく小言の多い主人をどう丸め込んで遊んでやろうかと男が考え始める前に、インテグラはさっさと寝室へ向かうと、ベッドを指差して言った。

「良いからここに来てさっさと寝ろ。」

「大胆な事だ。どうした風の吹き回しだ?」

良いながらもアーカードは言われたとおり、インテグラのベッドへと行儀良く横たわる。腹の上で手を組んだのは死人の決まり事なのか。インテグラは応えずベッドに上がり、男の腰を跨いでしゃがむと徐に男の首に捲かれたタイを取ってシャツの釦を外し始めた。訝しげに眉を寄せたアーカードは、それでもじっとされるがままになっている。釦を全て外すと病的に青白い、しかし厚い胸板とくっきりと段のついた腹筋が顕わになった。インテグラは一瞬だけ躊躇したものの、意を決してアーカードの鎖骨のあたりに口付ける。冷たく鼓動のない肌がぴくりと振動する。さすがのアーカードも驚いたのかインテグラの頬を両手で挟みこんで顔を上げさせた。

「いったい何の真似だ、主。」

「何のって・・・」

ベッドに連れ込まれて主導権を握られる前に、こちらから先制攻撃をしかけただけなのだが、そんなに怒る事なのか。明らかに男は不満を通り越して剣呑とさえ言える表情で、インテグラは戸惑う。

「そんな手管を誰から教わってきた。」

「同級生だが、それが何だ。」

ガールフレンドと言わずにクラスメイトと言ったのは失敗だったのだが、そんな事をインテグラが知る由もない。

「ほう、で、次はどうする気だお嬢さん。」

言われて作戦行動中だったのを思い出し、忘れそうになっていた計画の続きを頭の中から捻り出す。
もう一度鎖骨に、それから胸元、腹筋へと口付けて、数秒の逡巡の後に男のトゥラザースのベルトに手を掛ける。 人のベルトなど外した事が無いので酷くやりづらい。ようやく解くことに成功し釦を外す頃には、いったい自分は何をやってるんだろうと後悔し始めていた。

「・・・って、なんで穿いてないんだ。」

心の準備をする間もなく視界に入ったそれに思わず突っ込む。

「いつもだ、知らなかったか?」

まじまじと見るのも初めてなのにそんな事を知るはずもない。
いつも持ち主同様に威張り散らかしてるそれは、今はしおらしく茂みの中に寝転んでいる。はて、こんなに小さかっただろうかと不思議に思いながら恐る恐る指先でなぞってみると、意外にもさらりと乾いた感触だった。

「随分と大サービスだが、何か魂胆があるのなら先に言え。」

「魂胆なんて・・・」

無いといったら嘘だ。

「疲れていると文句を言って私を拒んでおきながら、私が寝てる間に男漁りかね。」

「だっ、誰が男漁りなんてしてる!?」

「ならばこんな手管は必要ないだろう。」

侮辱された怒りに顔を上気させたインテグラの瞳がゆらりと揺らめく。

「もういい、やめた。」

つんと来た鼻の奥に涙の気配を感じ、天井を仰ぎながらアーカードの上から退こうと浮かしかけた腰を、男の手でがっしりと捉えられた。

「それは困る。」

「煩い馬鹿!お前が困ろうと私の知った事か!!」

インテグラの叫びを無視して、不遜な下僕は自身のものにインテグラのそこを押し付ける。下着越しに男のそれが固く膨張していくのが分かった。

「何?」

訳の分からぬ不安に腰を浮かせようとするが、強い力で捉えられたまま身じろぎもままならない。

「先に自分で跨っておいて放置とは無責任にも程があるぞ主。」

ぐりぐりと硬いものを擦り付けられ、それがいつもの凶暴なあれだと実感して急に恥ずかしくなる。

「どうした?」

唇の端を吊り上げて凶暴な笑みを浮かべた男は、密着した肌の間で邪魔をしている布切れをずらし、まだ乾いた秘裂に無理やり先端を押し込んだ。

「痛っ・・・」

「内側は濡れているぞ、主。」

「嘘だ」と言い返す前に一気に腰を降ろされた。痛みと内臓を持ち上げるような異物感にインテグラは息を飲み込む。 中心に杭を打ち込んで縫いとめたインテグラの、スカートの裾からのぞく腿を撫でながらアーカードはその手を繋がっている部分にやる。自分の凶器が割り開いた花弁をなぞるように愛撫すると、腰の上でまだ発達途上の躰が震えた。

「これ・・・嫌だ・・・」

「何故?下僕を見下ろして良い気分だろう?」

ようよう吐き出した息と共に言ったが男はにべもない。無駄だと思いつつ何とか抑え込もうとインテグラはアーカードの腹に手をついたが、容赦なく下から突き上げられる。

「やっ・・・奥っにっ・・・」

深々と最奥を抉られ、傷みにも似た快感に啜り泣き、堪らずアーカードの胸に突っ伏す。
インテグラを胸に抱いたまま男は事も無く体制を入れ替えると、抜け掛かった自身をまたインテグラの奥へと突き立て抽挿し始めた。早いピッチに追い立てられてインテグラはまたたく間に高みへと駆け上る。
びくびくと全身を痙攣させ強張らせたあと、恐る恐るとでもいった風に躯を弛緩させる。男は繋がったままの主に屈み込み、月光色の髪に埋もれた耳朶を唇で探り当て、傷付けない様に牙を立てる。痛みや怖れではなく首を竦めるインテグラにほくそ笑んで、アーカードは冷たい手で薄い胸を撫でた。男を取り巻いているものがきゅっと収縮するのが分かる。彼の愛撫に日に日に反応を良くする主人の仕草に、アーカードは笑みを深めた。

「誰にあんなはしたない真似を教わった?」

もう一度問うアーカードの言葉にインテグラは赤面する。はしたない。確かにそうだが端から下品な下僕にだけは言われたくない。

「・・・学生時代の、ルームメイトだ。」

憮然と言ったインテグラに男は鼻で笑う。男は自分の勘違いを笑ったわけだが、勿論そんな事はインテグラには分からない。当然笑われたのは自分だと腹を立てる。

「笑うな!!」

叫んだ口を塞いで深く口付ける。その衝動は男にも不可解でしかない。

「んん・・・」

絡めとられた舌に息苦しさを感じてインテグラが呻く。

「何もする必要はない。どういう訳かは知らんが、お前は私を滾らせる。」

言いながらまた、インテグラの下腹へと手を滑らせる。まだすべらかな丘の向こうの谷を目指し、谷の入り口の、まだ小さな芽をやんわりと捏ね回した。

「やめっ・・・」

上り詰めたばかりの敏感なそこに加えられる刺激にインテグラが身悶える。
老獪な吸血鬼から主導権を奪い取るには、更なる経験と知識が必要なようだった。





 「ウォルター、ちょっと良いかな。」

「はい、何でございましょうお嬢様。」

わざわざ執事の仕事部屋にまで来た歳若い主人の呼びかけに、ウォルターは座っていた椅子から素早く、だが物腰優雅に立ち上がった。

「わざわざお越し下さらずとも内線でお呼び下さればすぐに伺いますものを。」

「うん、ごめん。」

ようやく機関の長として人を使う事に慣れてきた少女だったが、執事の言葉にはいつも恐縮してしまう。それは彼が亡き父の片腕であったからだ。

「立ち話も何でございますから、居間へ参りましょうか。」

「うん。」

別に咎められている訳では無いのだが、執事の所まで来た自分はやはり主人としては不似合いな行動をしてしまっただろうかと思いながら、インテグラは執事の言葉にしおしおと従う。
執事の方はといえば、時おり目を見張るほどの気性を発露させるインテグラのそんな繊細さに、主人の扱い方を計りかねていた。

「それで、何でございましょう。」

インテグラを一旦居間へ残して厨房へと行き、お茶を載せたワゴンを押して戻ってきたウォルターが、ジャンピングの済んだ琥珀色の液体をミルクの入ったカップへ静かに注ぎながらそう口火を切る。

「・・・もうすぐセント・ジョーンズ・デーが来るよな。」

「はい、左様でございますな。」

「その、何も、しなくて良いのかな?」

6月24日、聖ジョーンズ・デー。
イエス・キリストに洗礼を施した聖ヨハネの生誕祭。
だがインテグラにとって、いやヘルシングにとって生誕祭よりも注視すべきは生誕祭の前夜、魔と妖がその力を増し狂乱に暮れる夏のイブ。
去年は父の後を継いだばかりでそんな事を考える余裕も無かったが、今年はふと思ったのだ。自分は何もしなくて良いのかと。

「毎年恒例の事、実働部隊も承知しておりますので特には。」

「そうか・・・なら良いんだ。お茶、有難う。」

飲み終ったティーカップをテーブルに戻して、インテグラは執務室へと戻る。随分と日の出ている時間の長くなって、20時を過ぎたと言うのにまだ明るい空を窓から眺め、インテグラはひっそりとため息を吐いた。
局長などと呼ばれていても自分に出来る事など少ない。やっと一人で出来るようになった書類の決裁と、あとはアーカードに命令を下す事くらいだ。初代であるヘルシング教授をバンパイアハンターたらしめた英知も技術も、今や機関が共有し活用するものであってインテグラ個人のものでは無い。自分はこれで良いのか、自分はここに居ても良いのかと、時おり焦燥感に駆られる。
―――――あの倣岸不遜な化け物だけが、私がここに居る因だなんて・・・
それでも選んだのは自分。あの化け物を開放してでも生きる事。即ちヘルシングたる事を。
叔父に命を狙われた時にああいった行動を取った理由が、全て英国や機関の行く末を憂いての事だったとは自分でも思わない。だからこその負い目なのだろう。生きる事が贖罪だと言うならば、自分が生きている事それ自体が罪のようにも思える。後悔している訳ではない。ただ選択には常に迷いが付き纏う。
父にも何らかの迷いはあったのだろうか、ただ自分が未熟なだけなのか。応える者もなく、誰に問えるわけでもなく、インテグラは独りまた、ただひっそりとため息を吐いた。
夏の短い夜、開放的になるのは人間ばかりでは無いのか、闇が支配する時間が短いと言うのに化け物たちの活動は冬よりも活発になるように思えた。それは聖ジョーンズ・デー前夜に最も顕著となる。何が原因なのかは分からないが、化け物たちの魔力はこの夜に最高潮に達するらしい。
去年、実はその日にアーカードがどうしていたのかは知らない。自分は自分の事で手一杯で、それにまだその頃は自分には忠実な大人しい犬だと信じて疑っていなかったからだ。それが、しっかりリードを握っておかねば何をしでかすのか分からない猛獣だと気付いた。 自分が初めから油断などしなければ、あんな目に会うことは無かったのだろうか。そんな 事を考えても栓の無い事だけれども。
控えめなノックの音に考え事を中断させられ、インテグラの返事を待って入ってきた執事を見る。

「お嬢様、実働部隊全分隊の活動拠点よりの定時連絡でございます。今の所まだ異常事態も無く、待機中との事。」

「そうか、まだ日が没していないからな。」

普段ならば日没後すぐに化け物たちが出没すると言うわけではない。しかし今夜は別だ。彼らはきっと太陽の光がこの英国の地に届かなくなるのを今や遅しと待ちかねている筈だ。
会釈をして部屋を辞そうとドアノブに手を掛けた執事に、インテグラはおもむろに声を掛ける。

「ウォルター、懸念材料は少ない方が良い。今夜はあれを出さないでおこうと思う。」

主人の言葉に、執事は賛同するでもなく異論を唱えるでもなく、改めて深々と頭を垂れて退室した。
夏のイブ、化け物たちは活性化するだけではなく狂乱と言ってもいい行動を起こす。そもそも化け物など狂っては居るが本当に見境の無い屑は一部で、力の強いものほど用心深く狡猾だ。それがこの夜ばかりは誰も彼もが刹那的破壊衝動に身を任せる。だからこそ厄介なのだ。カテゴリーの低い小物だけではなく、そこそこに力のあるクラスや、時には年に5〜6体といった程度しか遭遇することの無いクラスの魔物までもが見境無く人を襲う。
そんな狂乱日がアーカードにだけは全く無関係だとは考えられない。だったら目の届くところに置いておいた方が安心だ。ウォルターも言っていたように毎年恒例の出来事。アーカードを出さなくても実働部隊だけで仕事は賄えるだろう。首尾は完璧のはずだ。想定外の出来事さえ起こらなければ。
日没後、ヘルシング機関は俄然騒がしくなった。とは言っても忙しいのは連絡を受けては各地の分隊に支持を出す実働部隊の指令中枢であって、インテグラの執務室ではない。だから下僕が起き出して来た時もインテグラはいつもと変わらず黒檀のデスクの上に書類を広げ、うっかり向かい側に落としてしまった万年筆を拾いに机の前に周ったところだった。

「おはよう、主。」

「おはよう、従僕。」

万年筆を拾い上げて、相変わらずドアを開かず現れた下僕にインテグラは顔を顰めて見せる。

「随分と騒がしいようだが私は加勢に行かなくても良いのかね?」

口元に笑みを刻む美貌から見てとる事は出来ないが、その声に含むところがあるように感じるのは自分の勘繰り過ぎだろうか。

「察しの通り今夜はとても忙しいが、お前が出る必要は無い。」

「ほう?」

殺戮好きな魔物の白皙の美貌に、険悪な笑みが混ざる。だがそんなものは怖れるに足りない。自分は唯一彼に命令の出来る人間なのだから。

「今夜は化け物たちのお祭り騒ぎ。お前が他の化け物たちと一緒だとは思っていないけど、それでもお前にだって何らかの影響はあるはずだ。」

「だから私をここに閉じ込めておくと?ならばこの有り余る力をどうしてくれるのかね?」

「ストックしておけば?」

深く考えて返事をした訳ではなかった。物理的には考えられないほどの強大な力をその身に宿す下僕ならばそれくらいは出来て当然くらいの考えで言っただけだった。

「発散する方法は何も闘争だけとは限らんぞ。」

言いながら歩み寄ったアーカードの言葉の意味を、インテグラは十分すぎるほど知っていたはずだった。
仰向けに抑え付けられた先は黒檀のデスクの上。反り返るような形でデスクの上に貼り付けにされて足が床から離れる。

「放せ。」

「ここから出る事が叶わなければセックスくらいしか発散のしようが無かろう。」

「冗談言うなっ!!こんな所でっ・・・」

まさか人の出入りのあるこの部屋で事に及ばれるとは思っていなかった。まだ人間の常識でこの化け物を測ろうとしている自分が居る。
じたばたと暴れてもこの化け物相手にとって無にも等しいとは分かっているが、それでもインテグラは抵抗せずには居られない。それが余計に化け物の興を惹いている事も知らず。

「やめろってばっ!!」

スカートの中に入り込んできた手袋越しにも冷たい手に、思わずインテグラは体を強張らせる。下着の上から敏感な部分を押さえ付けられ捏ねまわされて唇を噛む。
職務を遂行すべき執務室での化け物との情交は二重に忌まわしい。インテグラの道徳心を苛む忌避すべき行為だ。しかし圧倒的な力はインテグラに抵抗の余地を許さず、哀しいかな刺激されれば反応するそこが快感を訴えはじめる。警鐘を鳴り響かせる頭の指示を、躰が聞いてくれない。 下着の脇から指を挿し入れられて蠢かされれば、自分の躰が男を受け入れようとしている証しに濡れた音が耳を打つ。指が出て行き、アーカードの硬くそそり立った欲望が入り込んでくるのをありありと感じる。躰の内側の質量を変える圧迫感と、背筋を奔る悪寒にも似た感覚。

「相変わらず狭い。」

嬉しげな男の言葉と共に、中の異物がゆっくりと動き始める。

「っ・・・」

高みへ昇ろうとしはじめたその瞬間、耳元で電話の内線音が鳴った。
驚いてびくりと強張らせると、アーカードが眉を寄せる。

「っ・・・電話だ・・・抜け。」

「こんなに締め付けておいて抜けるはずが無いだろう。動かないでおいやるから電話を取れ。」

「なっ・・・」

インテグラが躊躇している間にもそれは急かすように鳴り続ける。仕方なくデスクの上に仰向けのまま受話器を取った。

「・・・はい。」

『ああ、お嬢様。おいででしたか。』

直接来ずに内線でインテグラを呼び出したのは、やはりイブの夜の狂乱のせいで忙しいのだろう執事だった。いつも通り穏やかな執事の声は、しかし僅かながらも切迫感を孕んでいるように聞こえた。

「どう・・・したんだ?」

『ロンドン近郊に展開している部隊がエクストラクラスの標的に遭遇した模様で。』

「エクストラクラス!?」

スペシャルクラスのさらに上、年に1〜2体現れるかどうかの強い個体だ。出現する魔物の数の多さに部隊が分散されている今の状態では手に余る。

「分かった。」

『お嬢様。』

「出すしかないだろう、切り札を。」

エクストラクラスの化け物を放置すればどんな被害が出るか分からない。
受話器を置き、インテグラは潤んだ瞳にそれでも意志の光を宿して下僕を見上げる。

「アーカード。」

「何だ、お嬢さん。」

「仕事だ。」

化け物はインテグラの言葉に器用に片眉を吊り上げる。

「見敵必殺だ従僕。」

「認識した、我が主。」

口の端を吊り上げて禍々しい笑みを浮かべた男が腰を引く。そいつが出て行く時までも自分の躰を苛むのが忌々しい。
男が消え去るのを待って、デスクの上で身を起こした。冷めやらぬ熱が、身の内でとぐろを巻くかのように熱く渦巻いているような気がした。


 0時を回り聖ヨハネの生誕祭の日になった途端に、化け物たちの狂乱の夜は幕を閉じる。各地に派遣された実働部隊の分隊は事後処理を終わらせて拠点へと戻り休息を取る。
例のエクストラクラスの個体を殲滅したアーカードが、心配するほどの事も無くあっさりと帰還を果たした事を、実働部隊長とウォルターからの報告を受けてインテグラはほっとする。 とんだイレギュラーはあったが何事も無く今夜が終わった。懸念していたアーカードへの影響も無かったようだ。
これもまた毎年の事で、聖ジョーンズディばかりは化け物たちも鳴りを潜める。インテグラにも機関員にも束の間の休息だ。
自室に戻ったインテグラは身を清めてベッドへと入ったが、肩の荷が下りたというのに中々寝付けずに居た。
躰の奥の、鈍く熱い疼き。
この熱を冷ますのにどうすれば良いのか分からない。慣れたベッドの居心地の悪さに何度も寝返りを打ち、その度に深々と嘆息する。休みたいのに休めない。ただ苛々と、もう何度目かも分からない寝返りを打ったインテグラの目に、それは映った。

「ぅわっ!!」

飛び起きて、原因に向かって顰め面を向ける。

「アーカード、驚かせるな。いったい何の用だ。」

インテグラのベッドの傍らに立った赤い大男は、その姿に反して血の気の無い白い相貌に邪悪な笑みを刻んだ。

「何、自分の慰め方も知らんお嬢さんを助けてやろうと思ってな。」

「別に私は落ち込んでなんか無いけど?」

怪訝そうな顔でそう言うインテグラに罪は無い。悪いのは娘可愛さに純粋培養してしまった父親の方だろう。
アーカードは笑みを深める。
あの傲岸不遜な元主人にも、誤算と言うものがあったのか。まさかそんなにも早くインテグラを遺して逝くつもりは勿論無かったのだろう。そうで無ければこんな危なっかしい育て方はしていまい。
例えインテグラがアーカードを蘇らせる事が無かったとしても、彼女が避けては通れない『化け物』というやつは基本的に快楽主義者だ。知っておくべき知識だともいえる。
化け物ではなくとも野心ある人間に利用されてしまう危険もあるかもしれない。

「なっ・・・何?」

ベッドに手をつきインテグラの眼前まで屈みこんできた男に、インテグラは間抜けなことを言った自覚も無い。

「眠れないのだろう?」

「え?」

心底不思議そうに目を丸くした少女の頬を、白い手袋に覆われた手が触れる。

「あっ・・・」

びくりと震えたインテグラが、自分の声に驚いて慌てて両手で口を塞ぐ。
ざわざわと気持ちが落ち着かない。それがまるで全身に波及したように肌が粟立つ。

「途中で放り出されたせいで躰が疼いて眠れない。そうでは無いのか?」

「っ!!」

頬から頤、首筋を辿った男の手がうっすらとした膨らみに触れ 瞬間にまた背筋を走り抜けた身に憶えのある感覚。心臓が早鐘を打ち、送り出された血流と共に躰の全てに広がっていくかのような熱。

「ぃや・・・」

逃げ出そうとして捕まえられ、さっきまで幾度も寝返りを打っていたベッドへと押し倒された。ナイトドレスの上から薄い胸の頂点を摘ままれて、またびくりと躰を震わす。

「自分で触ってみればすぐに分かったものを。」

言ったアーカードが手袋を取り去って、冷たい手をインテグラの下腹の下着の中へと忍び込ませる。すんなりと入ってきた指にインテグラは思わず甘い声を上げた。
自分のそこが簡単に男の指を呑み込むほど濡れていたなんて気付いていなかった。それを知らしめるようにアーカードは音を立ててインテグラの秘裂を指で弄る。

「んっ・・・いやっ・・・あぁっ!!」

胸を喘がせるインテグラの秘裂から指を引き抜き、男は自分の猛りを宛がい突き入れた。
自身の蜜に導かれて埋まっていく硬く太いものに、インテグラは感極まったように鳴き金色の睫を濡らす。繋がった部分が燃えるように熱くて、だからこそ冷たいそれの存在を否応も無くありありと感じてしまう。

「やっ・・・ダメッ・・・うごかっ・・・ないっ・・・でっ・・・んんっ・・・」

インテグラの言葉を無視して、いつにも増して締め付けてくるインテグラの躰に眉を顰めながらもアーカードは抽挿を早める。痙攣を起こすように震える体を激しく揺さぶりながら、濡れた内側を攻め立て花芽を指先で捏ねる。幾度目も躰を強張らせるインテグラの中を散々蹂躙して、アーカードはようやく動きを止めた。
脳髄を焼き焦がすような快感から解放されて、躰の力を抜いたインテグラは速いピッチの呼吸を繰り返す。耳元に心臓があるかのように脈動の音が煩い。
そんな休息も束の間で、繋がったままうつ伏せに返されてインテグラは呻く。未だインテグラの中にある男の猛りはその力を失ってはおらず、体勢を変えるその造作だけでインテグラの躰を苛んだ。

「もっ・・・やだ・・・」

「ストックしておけと言ったな、お嬢さん。」

急に何を言い出したのか、インテグラはその科白を自分が言った事などはすっかり忘れていたので分からなかった。それよりも、繋がった部分に感じた圧力に狼狽する。

「何をっ!?」

押し当てられた、男の指。

「力の大小とは器の大小。入り込むものの量が器の許容量を超えれば ・・・」

「痛いっ!!やめっ!!」

「器が壊れるか、中身が溢れ出すしかない。」

アーカードのものが穿たれている同じ場所に指を捩じ込まれてインテグラは苦しげに眉を寄せた。蠢かされ、粟立つような粘着質な音が聞こえてくる。

「キャパオーバーだ主。お前の蜜が溢れてきた。」

哂うような声で説明され、恥ずかしさにベッドに顔を埋める。指が出て行ったのを感じてほっとした瞬間にまた男が腰を動かし始めた。
外は、夜が明けようとしていた。


 いつもより早起きをして朝食前に身を清め、邸内の礼拝堂でささやかながらも祈りを捧げて精進潔斎する。
はずだった。
いくら化け物たちが狂喜乱舞する日とは言っても、聖人の生誕祭の前夜に肉欲に溺れた挙句に起き上がれないなど、こんな事があって良いはずが無い。
散々っぱら好き勝手やった挙句に、気が付いたら姿を消していた下僕を心底憎たらしく思いながら、インテグラは懸命に起き上がる。体中どこもかしこも紅い小さなアザだらけで、汗と、自身のものでベタベタだ。こんな姿を執事やメイドにでも見られた日には羞恥に悶え死ぬかもしれない。
そんな事を真剣に考えながらやっとの思いで始末をし、躰を清める頃には朝食の時間が来てしまい、予定は全く狂ってしまっていた。

「あいつが狂ってるのはセント・ジョーンズ・デーの前日だろうと他の日だろうといつも一緒だ!!」

始末に終えない狂犬の飼い主となってしまった少女は、かすれた声で独りそう吐き捨てるのだった。




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