◆遁走曲―fuga―


 デスク上に広げたフロッピーやCD−ROMを前にインテグラは溜め息をついた。
父の書斎の机の中から見つけ出した鍵、それで開いた地下通路のドアのひとつの中の、研究室と思われる一室だ。
書斎の机の中もかなり雑然としたものだが、ここのはさらに上を行く。この部屋の整理に着手してから数日、今日まで時間を見付けては整理しに来ているのだが、どうにも終わりは見えそうに無い。何せ引き出しに放り込まれて いた大量の記憶媒体には、日付どころかタイトルさえ付けられて居ないのである。データは後から見ることを前提として保存するものだが、どう見てもこれはもう一度開くつもりで作られたとは思えない。それでも根気良く一枚一枚パソコンで開いて見ては、タイトルを付けて貼るといった作業をかれこれ一週間近くもやっているのだ。いい加減うんざりもしてくる。
父の生前のままで遺しておいた書斎を急に整理しはじめたのには理由がある。ヘルシング家の後継として父に様々な事を学んだが、その父が何一つ教えて逝かなかった事を紐解く必要性に駆られたからだ。
アーカード。
封印されていたノスフェラトゥ。人の血を好むノーライフキング。あの吸血鬼の事について何か遺してくれてはいないものかと思ったのが発端だ。だが今のところアーカードに関連するようなデータはほとんど見当たらない。父がマメな性格だとは思っていなかったが、いくら何でも何かあるだろう。
地下通路のドアの鍵をウォルターが保管していた事を知ったのは叔父の騒動があった後だ。しかし唯一開かなかったドアの鍵が、書斎の机の中から見つかった時に「これだ!」と思ったのだが、どうやらここにインテグラの目当てのものは在りそうに無かった。それでも一度手を付けた仕事をやめるにやめられず、こうして地道な作業を続けているわけだ。
落胆にインテグラが大きな溜め息をついた時、開け放たれたままのドアをノックする音が響いた。

「お嬢様、少し休憩されませんか。リビングにお茶をご用意致します。」

「分かった。すぐ行く。」

ドアの前に立つ執事の声に頷いて、インテグラは椅子から立ち上がった。
リビングへと入ると同時に体を包み込むように漂ってきた香りに、ふっと強張っていた肩の力が抜けるのを感じる。
自分で思っていたよりも疲れていたようだ。
インテグラがソファ座ると同時にテーブルの上に置かれた白磁のティーカップに、執事の手によって琥珀色の液体が注がれる。芳しい香りをじっくりと吸い込んでから口に運び、目を閉じた。パソコンのディスプレイを見続けた瞳は疲労に乾ききっていたらしく瞼が沁みる。

「お嬢様、あまり根を詰められては体に毒でございますよ。」

やはりお手伝い致しましょうかと、執事が心配そうに言う。一週間前にしてくれた申し出を断ったのを後悔し始めていたところに、絶妙のタイミングでそう言ってくれてインテグラは正直ほっとしていた。

「うん、そうだな、忙しいのに悪いけど手伝ってくれるかな?」

インテグラの控えめな言葉にウォルターは微笑む。

「なんの、もっとお使い下さって結構なのですよ。私はお嬢様の使用人なのですから。」

ウォルターの言葉に、インテグラも苦笑する。
分かってはいるのだがどうも居心地が悪い。五分五分の駆け引きや取り引きならばどうという事は無いのだが、無条件の忠誠には困る。自分がそれに足る主人だという自信が無いからだ。
父が健在だった頃なら、ウォルターはインテグラにとってただの『執事』だった。だが父の亡き今、当主の座を継いだインテグラにとってウォルターはただの『執事』では無く『先達』になってしまった。幼い頃から世話になりっぱなしだからこそ、顎で使う気にはなれないのだ。
ウォルターに頼らず1人で根を詰めていた理由は、実は他にもあったのだが。
執事の手を借りたディスクの整理はそれからものの三日で事が済んだが、インテグラの探し物はやはり見付からずじまいだった。
毎晩のように遅くまでやっていた作業が無くなった上に出動の要請も無かったそんな夜、食事を終えたインテグラは、たまには早く休めと執事に自室へ追い立てられてしまった。

「これだから部屋に帰りたくなかったのに・・・」

自分の部屋のソファに座る下僕の姿を目にして、インテグラは忌々しげに小さく呟く。

「今日は早いな、お嬢さん。」

後ろ手にドアを閉めたインテグラを見て化け物が微笑んだ。
化け物が美しいのは、無防備な昼の間の体を守るためだと言う。魅入られているうちに日が落ちて、夜になったら美味しく頂かれてしまうと言うオチだ。
―――――まるで『蟻とキリギリス』だな。
夏の間せっせと働いて蓄えておいた蟻と、バイオリンを弾いて過ごしていたキリギリス。冬になって雪が降るとキリギリスは蟻に助けを求め、蟻は夏中精進していたバイオリンならば冬の退屈を紛らわせてくれるだろうとキリギリスを招き入れる。と、ここまでは良い話だが。
―――――キリギリスが死ねば結局は蟻の餌。蟻は損をしない。
では自分に仕えるこの化け物の利とは何だろう。食事?闘争?どちらも自分で手に入れる事は容易い。
この化け物の事が知りたくて屋敷中くまなく資料を探したが、有力なデータは何も無かった。 父は死に際に『研究成果』だと言ったのに、いったいその研究資料はどこへ消えてしまったのか。
本人に聞くのが一番手っ取り早いのだとは思う。しかし、しかしだ。

「どうしたお嬢さん、そんな所に突っ立って。」

哂う男に揶揄されてインテグラは眉を顰める。
躰を許してからと言うもの、始めこそ月に1、2回程度だったおとないが、近頃では三日と空けずやってくる。この男を避けるためにインテグラがどれだけ苦労している事か。それでも色々と理由をつけて逃げ切れるのが3回に1回。500年を生きている化け物の千枚舌にインテグラが敵うはずも無い。だからせめて何がしかの『運用方法』があればと捜していたのだ。
インテグラはもう一度、最近すっかり癖となった溜め息をつくと、アーカードの居るソファセットに歩み寄り、向かい側に腰掛けた。

「丁度良い、お前と話したい事があったんだ。」

「話?ベッドではいかんのか?」

来たな、と思いつつ懸命の努力で顔には出さずインテグラは言い返す。

「駄目だ。」

インテグラの応えにアーカードは膝の上に肘を乗せて組んでいた手を解き、深々とソファの背に凭れ掛かった。長い足を組んでふんぞり返る。

「で、話とは?」

「拘束制御術式。」

アーカードが片方の眉を器用に上げる。

「が、掛けられてるんだよな、お前には。それも4つも。」

少ない。本当に少ない資料の中にあった表記からまずインテグラは話を持ちかけた。

「Yes.Master」

「今のお前は全くフルパワーなわけじゃないんだな。で、それはどうやって解くんだ?」

「と言うと?」

「私はどうすれば良いんだって聞いてる。」

「何もしなくて良い。」

「は?」

本当に馬鹿みたいにインテグラは口を開けたまましばし固まった。

「・・・何で?」

「私が自分で解くからだ。」

「何だって?それじゃあ拘束制御術式ってお前が任意で開放できるって事か!?」

「Yes.Master」

然もありなんと応えるアーカードにインテグラは開いた口が塞がらない。

「そんなの、何の意味があるんだ?」

制御というのは勝手に暴走しては困るものを、文字通り制して御すと言う意味ではないのか。本人が勝手に出来るものを制御術式と言えるのか。

「お前は全力で走り続けたらどうなる、お嬢さん。」

突然、関係の無いように思える質問を投げかけてきた下僕に対してインテグラは素直に応えた。

「疲れて走れなくなる。」

「私は疲れはしないがエネルギーは消費する。」

「お腹が空くって事か?」

「そんなところだ。」

「だから拘束制御術式でセーブして省エネ運転をしてるって事か。」

きっと始終フルパワーで動いていたら今の食餌では全く足りないのだろう。

「なら零号を開放したらフルパワーなのか。」

「そういう訳ではない。」

「!?」

今の話から行くとそうなるはずなのだが、化け物は否と言う。だんだん訳が分からなくなってきた。

「零号を開放したらただの吸血鬼に戻る。」

全く意味が分からない。しかしここで話を終わらせてしまっては元も子もないが、さて。

「では、どうすればお前を殺せる?」

インテグラの言葉に、流石にアーカードも眉を顰めた。

「主としては、そういう事も知っておく必要がある。」

素直に白状などすまいと思っていたが、存外に吸血鬼はあっさりと吐いた。

「零号開放時ならばただの吸血鬼だと言っただろう。吸血鬼を殺す方法で充分だ。」

「銀の弾や白木の杭で滅せる?」

「Yes.Master」

「開放する事の無い術式だから零号なんだな。」

それとも、それがヘルシング家のアーカードに科した契約の正体なのか。

「それは違う。」

どれもこれも否定されて、インテグラは叫びだしたいのをすんでのところで堪えた。

「零号開放は最終手段だ。開放する事も無いだろうがな。」

多分アーカードはインテグラの質問に正直に応えているのだと思う。それは分かるのだが、どの答えも謎々の様でまるで釈然としない。 不死の王をただの吸血鬼に貶(おとし)める事が何の『手段』になるというのか。

「何かもう・・・本当に、お前って何なんだ!?」

「私はお前の従僕だ、インテグラ。」

だから困っている。

「お前・・・吸血鬼になってから500年、毎晩・・・その・・・してたわけじゃ無いんだろう?」

「何を?」

片頬といっしょに唇を吊り上げながら聞き返す確信犯の思惑通り、インテグラは顔に朱を上らせる。

「だからっ、起きてる間毎晩毎晩性交渉をしていたわけじゃ無いだろうと聞いてるんだ!!」

一気に吐き出した言葉と共に、肺から送り出された空気を補給するべくインテグラは胸を喘がせる。

「お嬢さん、アーサーに何人もの情婦が居たことは知ってるな。」

「知ってるが、いやらしい言い方をするな。それに今はそんな話関係ないだろう。」

父が聖人君子でも何も無い事は知っている。ただの女好きでもあったし、手段の為に女を利用するのも多分わりと平気でやってたと思う。でも下僕に貶められる謂われはない。
インテグラの不興を知ってか知らずか、男は言葉を続ける。

「ほとんど相手をしていたのは私だ。」

「は?」

正直もう何も聞きたくない気分になってきたのに、それでも口をついて出た疑問符。

「興味も無いので実際に何人居たかは知らんが日に3人は来ていた。それに比べれば現在私は大変な禁欲生活を強いられているわけだ。」

日に3人、そんなものの代わりになどなれる筈が無い。いや、そもそもだ。

「分かった、もうその話はいい。問題は、それが、必要か否か、なんだ。」

既に死人であるはずの吸血鬼に、人間的な生殖行為など必要無い筈なのだ。必要があるとすれば、餌とする相手を誑かす為の手管ではないのか。

「お嬢さん、吸血鬼にとって吸血の行為は必要不可欠だ。」

又いきなり話をすり替えられ、インテグラは渋面を作る。混乱は頂点だったが、話し合いが続く事は自分にとって有利に思われた。

「そんな事は分かっている。だから食事はちゃんと与えている筈だ。」

「私はお前によって人から吸血する事を禁じられている。 与えられているのは歯応えも温かみも無い食餌、それは人間で言えば咀嚼する事も出来ずに流動食を管で胃に直接流し込まれているようなものだ。」

何でそんな人間の最新医療の現場なんて知っているんだという突っ込みを忘れて、それは嫌かもしれないと思った時点でインテグラの負けだった。

「足りない欲求は他で補填するよりなかろう。」

話は終わりだとばかりに立ち上がった男が、テーブルを跨いで来てインテグラをひょいと抱えあげてベッドルームへと足を向けた。

「ちょっ・・・ちょっと待て。」

「待たん。ただでさえ手加減してやっていると言うのに、何日お預けを食ってると思う。」

「私は昼間も起きてるんだっ!!任務の無い夜くらいは寝かせろっ!!」

まだ着替えても居ないのにベッドに落とされ、圧し掛かってくるアーカードとの間に腕を突っ張りながらのインテグラの抗議に、我が儘な従僕はどこ吹く風だ。

「お前も昼間寝て夜起きていたらどうだ?」

「お前と違って私は昼は昼でやる事がたくさんあるんだ!!だいたい手加減てなんだ、好き勝手してるくせに!!」

「馬鹿を言うな、私が好きにしていたらとっくに・・・」

珍しく言いかけてやめたアーカードの体重が、突っ張っていた手からふいに消える。ベッドに横になったインテグラの足の、膝の辺りを跨いだまま数秒思案した風の吸血鬼は、次の瞬間どろりと解けて黒い塊になった。唐突な事に両手を胸の前に上げたままインテグラは呆然とそれを見やる。液体とも固体とも、2次元のものとも3次元のものとも分からぬ黒いそれの表面には夥しい視線があった。それら全てがインテグラの方を見てにんまりと笑うと、ぶくりと真ん中が膨れ上がり再び人の形を模りはじめる。
やがて現れた、同じようにインテグラの膝の辺りを跨いだ者の姿に、インテグラは声を震わせた。

「お・・・前・・・」

「初めからこうすれば良かったのう。」

さっきのたくさんの視線のように、ひとつになった赤い唇がにんまりと笑う。雪のように白い肌とアーモンド型の目の中の紅い瞳。艶やかなブルネットはくせひとつない。王子様然とした純白の三つ揃いのその姿は、いつか出会った時代錯誤なしゃべり方をする吸血鬼。それがインテグラの胸元に上げられたままの両手をそっと両脇に下ろさせると、屈みこんできて当たり前のように首筋に口付ける。
暖かな脈動を覆った皮膚に舌を這わせながら少女と見紛うばかりのそれは、インテグラの襟元に巻かれたリボンを解いて襟を寛げ、一つ一つ釦を外しながらそれに伴って口付けた。自失状態のインテグラは抵抗することも無く硬直したままだったが、それが飾り気の無い下着をずり上げて控えめな膨らみの頂点を吸い上げると、ようやくびくりと体を震わせた。

「どうした、随分と大人しくなったものじゃな。」

「お前、何?何でここに居るの?アーカードは?」

いったい今夜幾度目になるのかも分からない疑問符。

「何を言っておる、わしじゃわし、お前の忠実なる僕じゃ。」

ああそうだったのかと、妙に納得すると同時にふつふつと怒りが込み上げてきた。

「私を騙していたのか。」

「騙す?何の事じゃ?」

「変身能力があるなんて聞いてないっ!!だいたい・・・」

アーカードはあの地下で甦った時に「初めまして」とでも言ったか。いや言っていない。ではこの違和感は何だ。記憶を探り、違和感の正体を尽きとめる。

「20年以上も食事をしてないなんて言ったくせに、前に私と会ってる。」

吸血鬼は暫らく考え「おお」と人を莫迦にするような仕種で掌と拳を打ち合わせた。

「10年くらい前までは未だ分身を飛ばすくらいの力は残っておってのう。じゃがあれが存外に力を消耗したお蔭であの様になったわけじゃ。」

あの様とは、微動だにできないミイラ状態の事だろう。

「よし、これで問題は解決じゃの。」

言って事を再開しようとする吸血鬼を止めようともう一度両手を上げたが、抵抗は全くの徒労に終わった。今では体格差は無いに等しい。なのに押し退けようとすれば簡単に思えた体はびくともしなかった。
吸血鬼がふふんと笑う。

「残念じゃが、見た目が変わったからとてわしの本質は何も変わらぬぞ。」

言った通り、その手管は全くあの男のそれで。
インテグラの胸の頂の片方を指先で捏ねまわし、時折つまみあげ、もう片方を口に含んで吸い上げては、つんと尖った先をちろちろと舌先で弾く。執拗な胸への愛撫に、インテグラは吸血鬼の二の腕あたりの白い布地を掴んで、漏れそうになる声を懸命に耐えるしかなかった。

「ふっふっふ、まこと初いのう。」

嬉しそうに言って吸血鬼はインテグラのスカートをたくし上げると、するりと下着の中に手を忍び込ませ、まだうっすらとしかない茂みを撫でまわしながら、秘められた場所へと指を滑り込ませ「おや」とまた嬉しげに呟いた。

「胸だけでこのようになるとは、わしも辛抱して慣らしてきた甲斐があるというものじゃ。」

谷間に潜んだ花芽を撫で摩る吸血鬼の指が、自身の蜜によって抵抗なく蠢くのがインテグラにも分かる。居たたまれず、両手で顔を覆った。吸血鬼は容赦なく指を増やし、それでも頑ななインテグラのそこをなじませる様にゆっくりと出し入れする。

「ほんの数日抱かなかっただけですっかり狭くなったのう。」

吸血鬼ははほくそ笑み、三本目を捻じ込んだ。

「ぅっ・・・」

顔を覆った掌の間からくぐもった呻きが漏れる。指が出て行ったのはそれでという訳では無いだろう。掌の隙間から覗けば吸血鬼が三つ揃いのトゥラザースから己がものを取り出すところで、インテグラはもう一度視界を完全に遮断する。
ひたと、そこに充てられる感触。ゆっくりと、インテグラを試すように押し入ってくる感覚に全身が粟立つ。腿にひんやりと冷たい皮膚の感触を感じた時に、ようやくそれの進行が止まった。

「思うたとおり、ぴったりじゃ。今宵は手加減せぬゆえ覚悟することじゃな主殿。」

勝手なことをと反論しようと口を開きかけた瞬間、内臓を引きずり出されるような感触に息を呑む。それは、出て行きかけたと思うとまた押し込まれた。何度も何度も。都度つど腿に吸血鬼の肌があたり、まるで折檻でもされてるかのような乾いた音をたてる。 顔を覆っていた掌は今度は口を封印するために使われたが、激しく揺さぶられる度に鼻から呻きが漏れた。その思わぬ高さに余計に居たたまれない。
手足が痺れて脊髄を寒気にも似た感覚が這い上がってくる。意識が白濁し、いつしか思考も定まらなくなる。心臓が激しく脈打ち、酸素を欲して開いた口からやがて嬌声が漏れはじめる。
インテグラが息を呑み、体を強張らせると、吸血鬼もその動きを止める。
一瞬の静寂。
意識して息を吐き、全身の力を抜く。いつもならこれで終いだ。

「終わったなら早く・・・」

どいて、と言う前に引き抜かれ、ほっとする間もなくまた突き上げられる。

「今宵は手加減せぬと申したであろう。」

愉しげに言う吸血鬼に、インテグラは思考を手放した。





 珍しく霧ひとつなく晴れ渡ったその日、予定に無かったヘリポートへの着陸許可を求めてきたその機体は、先代からの旧知であり、現代の円卓会議の中心でもある人物を乗せてやってきた。
アーサーの弟であるリチャードが突然『失踪』し、全権をインテグラが相続してヘルシング機関のトップにたった際以来の来訪である。

「アイランズおじ様!!」

彼の来訪を知ったインテグラが屋上へ走り出ると、アイランズは ウォルターに上着を預けているところだった。出迎えたインテグラに彼はいつものポーカーフェイスで言う。

「顔色が悪い。体調管理は万全か?」

こんな時に彼が「大丈夫か?」「元気か?」と言えるような性格だったならば、この後のアイランズとインテグラの関係は随分と違うものになっていたかも知れない。だがアイランズがアイランズである以上それはどうしようもない事だった。

「申し訳ありません・・・」

体調管理の不行き届きを叱責されたのだと勘違いしたインテグラは悄然と頭をたれる。

「アイランズ卿、どうぞこちらへ。」

ウォルターが案内に立ってくれなければそのままそこに立ち尽くしていたかも知れない。
勝手知ったるとは言え、アイランズが案内もされずに立ち進むことは無い。主人であるはずのインテグラは結局ウォルターとアイランズに続いて後を歩き、最後に応接間に入った。
テーブルを挟んだソファに向かい合って座り、ウォルターがお茶を用意する為に部屋を辞すと、アイランズが口火を切る。

「そろそろ円卓会議を開かねばなるまい。」

「円卓会議・・・ですか?」

「そうだ、顔を会わせておかなければならんだろう。」

ここに至ってようやく、インテグラは自分が円卓の騎士の称号をも引き継いだ事に思い至る。この半年、機関の事で頭が一杯でそこまで回らなかったのだ。

「あの・・・どうすれば?」

「召集をかけるのも会議を開くのもヘルシングの仕事だ。ウォルターに聞きなさい。」

「・・・はい。」

そこに絶妙のタイミングで紅茶をトレイに載せたウォルターが入ってくる。さり気無い仕草で物音一つたてずに二人の前にカップを置くと、インテグラの座るソファの後に控えた。

「処分をしなかったそうだな。」

紅茶を一口飲んでアイランズがおもむろに言う。叔父の一件の事だと気付いてインテグラは頷いた。
処分をしなかった相手というのは、インテグラの危機を薄々感じながらも率先してインテグラを助けようとしなかった一部の局員たちの事だ。

「はい。」

「何故かね。」

「叔父と一緒に私の命を狙った者たちはすでに居ません。」

彼らは、自分が当主になる事に不安を感じていたのだと思う。今の自分が満足に当主の仕事を全う出来ているかと言うと、それにも自信がないから彼らの気持ちは分からないでもない。

「甘いな。」

「はい。」

反論のしようも無い。

「お前の判断であるならそれも良かろう。仕事の方はどうだ。」

「ようやく勝手が分かってきたところですが、自信はありません。」

「じきに慣れる、自信が無いなどとはあまり口外せぬ事だ。それと、これから私の事はアイランズ卿と呼んでくれたまえヘルシング卿。」

インテグラは少なからず衝撃を受ける。数少ない、幼い頃からの知人だ。アイランズにしてみればインテグラの円卓内での立場を慮っての発言だったのだが、インテグラにとってその言葉は突き放されたも同然の言葉だった。
甘えるな、お前はヘルシングの首魁であるのだから。円卓の騎士という立場は同等であるのだから、と。

「はい。」

やっとの思いで搾り出した声は掠れては居なかっただろうか。大丈夫、気付かれては居ない。
別に褒めて欲しかったわけではない。しかしアイランズの言葉がすべてインテグラにとってマイナスのベクトルばかりを帯びていた事は、その後彼女を頑なにさせる原因のひとつとなった。
本当に、頼る者はもう居ないのだ。自分がしっかりしなければ。

「―――――は暫く伏せておいた方が良いだろう。」

「はい?」

驚いたように彼の顔を見返したインテグラに、アイランズは聞いていなかったのかと眉を顰める。

「あの化物の事だ。円卓には暫くは伏せておいた方が良い。」

「何故、ですか?」

聞いてはいけないと自分で思ったのに聞かずにはいられない。

「あれは両刃の剣だ。最大の武器であるが故に御せぬ場合には大変な事になる。それは誰もが恐れる事だろう。」

「それは、私があれを御しきれないだろうと誰もが思うと言う事ですね。」

その『誰も』の中に貴方も居るのかとは、インテグラにも聞けなかった。

「不安の種というものは無闇に蒔かぬ方が良い。化物どもの事を多くの人々が知らされていないのと同じ事だ。」

インテグラの言葉を否定はせずにアイランズは続ける。せめてもう暫くインテグラに嫌な思いをさせまいというアイランズの親心は、彼の口下手さとインテグラの幼さゆえに曲解の悲劇を生んだのだった。

「分かりました。」

「あの化物に、何に関しても主導権を握らせぬ事が第一だ。」

「はい、心しておきます。」

その後も何がしか話したのだがよく憶えていない。
席を立ったアイランズをウォルターと一緒にエントランスで送り出し、部屋に戻ろうとしたインテグラにウォルターが声をかける。

「お嬢様。」

「・・・何?」

珍しく、ウォルターが言葉を選んでいるのがよく分かった。

「いえ、あまりお気を落とされませんよう。アイランズ卿もお嬢様をご心配なさっての事でございますので。」

「うん、分かってる。」

自分がヘルシングの当主をまともに出来るのかと心配されているのだ。気を引き締めねば。
ひと月後に召集した円卓会議で挨拶をしたインテグラの目にも、誰も彼もが不安と不満を抱いている事は明白だった。その憤懣は円卓の中でもナンバー1の地位にあるアイランズによって抑えられているのであろう事も容易に想像できた。アイランズの顔を潰さぬ為にも失策は許されない。
そしてまた忙殺されるままにそれから半年が過ぎた頃、インテグラは円卓の1人であるバーネット伯爵から会議召集の依頼を受けたのだった。

「機関内に化け物が紛れ込んでいると聞き及びましてな、説明をして頂きたく会議を招集してもらった。」

口火を切ったバーネットの言葉に円卓が騒然とする。
アーカードの事が、インテグラの口からではなく他の円卓メンバーの口から議題に上るという最悪の形で知れる事になった。アイランズが「私が命じた」と言えば他のメンバーを黙らせる事は出来ただろう。しかしバーネットがどう謀ったのかは分からないが、奇しくもアイランズはこの日、彼には在り得無い事に会議に遅れていた。

「待ちたまえバーネット卿、時間ではあるが未だアイランズ卿が到着しておらん。しばし待たれよ。」

父とアイランズ共通の友人であるウォルシュ中将が取り成す様に口を挟んだが、生粋の軍人ゆえ彼も口が立つほうではなかった。

「どういう事か我々には説明を受ける権利があると思うが、如何かねヘルシング卿。」

別のメンバーが発言した尻馬に乗ってバーネットが鬼の首を取ったとばかりに勢いづく。

「そうとも、このような大事を内密にしていたとは我々円卓会議を軽んじていたと言われても仕方ないぞ、ヘルシング卿。」

「申し訳ありません。皆様にご心配をお掛けせぬようにと思っただけなのですが。」

「それが軽んじていると言うのだ!!」

現代の円卓の騎士ともあろう者が小娘の首を取ってどれほどの価値があるのかは知らないが、財界のフィクサーと称される彼はその小娘に出し抜かれた事がよほど面白くなかったらしい。

「そもそもだ、あのような危険な代物を君に御すことが出来るのかね!?」

「お言葉を返すようですが、それこそ私を軽んじているのでは無いでしょうか。」

「インテグラ!!」

ファーストネームでのウォルシュの静止を無視してインテグラは続ける。
全て予想通りであったし予定通りであった。用意しておいた言葉はちゃんと頭の中にある。

「皆様ご自身の実力でこの席に着かれている方々。私のような小娘が血筋によってこの席に座っている事は大変不本意でしょう。ですからあの魔物を御するかもしくは封じる事が出来る者が居るのならば、私はヘルシングの名もこの地位も譲って退いても結構です。」

出来るものならやってみろ。と半分は開き直りの言葉だったが、半分は確信犯だった。
少なくとも1年は英国から人ならざる物を退けているという実績が既にあるインテグラに、代用できる人材などあるはずが無い。インテグラが不退転の決意で円卓の面々に強気の挑戦状を叩き付けた頃、ようやく屋上のヘリポートに乗り付けたヘリからアイランズは降り立った。彼が議場のドアを開けたのは丁度、インテグラが言いたい事を言って席を立ち、議場を出ようとしているところだった。

「遅れて申し訳ない。席に戻りたまえヘルシング卿。」

「わたくしの用事は済みましたアイランズ卿。」

「インテグラル・ファルブルケ・ウインゲーツ・ヘルシング、席に戻りたまえ。」

議長として言ったアイランズに、インテグラは多分初めて真正面から彼の瞳を見返した。

「言いたい事はもう言いました。あとは好きになさって下さい。」

まさか言い返されるとは思っていなかったアイランズが、珍しく動揺した風に眉を顰める。その横を通ってインテグラは会議室を後にした。散々世話になっているアイランズへのあの態度は些か反省する面はあったが、あそこで退いてしまっては今までの自分と変わらない。アイランズの言うとおりに動くだけならばインテグラでなくても良いではないか。
自分でもそうとは知らず足音荒く廊下を歩いていたインテグラに、会議室へと飲み物を運んでいたウォルターが不思議そうに声を掛ける。

「お嬢様、会議はお済みでございますか?」

「いや、私の弾劾裁判中だ。」

「なんですと!?」

インテグラの返事に色めきたったウォルターの前もさっさと通り過ぎ、執務室へと戻る。自分が興奮気味なのは分かっている。落ち着きを取り戻すために一刻も早く1人になりたかった。
いざ「いらない」と言われてしまえばインテグラはどうして良いのか分からない。生きる意味を失ってしまう。そうなってしまった時に自分はどうするのか。そんな問いへの応えなど、インテグラの中にあるはずもなかった。



「成る程・・・」

事の顛末とインテグラの発言の内容を聞いたアイランズは溜め息混じりに頷いた。

「で、どうする?」

アイランズに言った体裁をとってウォルシュは全員に聞こえるように言う。

「あれは我々に進退を任せると言ったのだろう。」

「まあそういう事だ、誰か他に吸血鬼のエキスパートに心当たりがあるかね。」

挙手する者は居ないようだ。

「では、あの生意気な小娘にお願いするしかなさそうだな。」

肩を竦めたウォルシュの言葉に反論する者も無しだ。

「ではインテグラル=ヘルシングを円卓会議および王立国教騎士団の局長として留任、今回の問題は不問。という事で宜しいかな。」

アイランズの決議をもって今回の円卓会議はあっけなく終了した。
何とも言いようの無い雰囲気で散会するメンバーの最後尾、アイランズと共に議場に居残ったウォルシュはにやにやと笑いながら旧友の肩に腕をまわした。

「なかなかどうして、やってくれるじゃないかあのお嬢ちゃん。さすがはアーサーの娘だな。」

「笑い事ではない。」

ウォルシュの言葉にアイランズは渋面を作る。

「まあそんな顔をするな、ある意味絶好のタイミングだったと俺は思うぞ。 考えても見ろ、いくらお前が抑えていてもそのうち円卓内の憤懣は爆発したさ。 だがそれをあのお嬢ちゃんは自分で見事に回避したじゃ無いか。」

かなり危なっかしくはあったが。

「しかし俺も驚いたぞ。あの化物はアーサーが封印したもんだとばかり思っていたが。」

「封印したとも。」

渋面を崩さぬアイランズの言葉に、ウォルシュが片眉を上げる。

「あの男が、リチャードが馬鹿な真似さえしなければ今もあの化物は安穏と惰眠を貪っていただろう。」

「やはりお前は知っていたわけだ。」

「あの化物の事を黙っておけと言ったのは私だ。」

「ほうっ!そいつはますます気に入った。・・・で、アーサーの弟が何だって?」

「あの化物が居なければインテグラは今ごろこの世には居ないと言う事だ。」

洒脱な仕草で眉を上げたウォルシュにアイランズは黙って頷きを返す。

「それならあのお嬢ちゃんは正真正銘あの化物の主じゃないか。全く問題は無い。」

嬉しそうに両手を挙げたウォルシュに、アイランズは渋面を濃くする。

「鬼札という物は持たねば幸い、使わずに済めばこれに越した事は無い。例えあの化物が英国にとって最高の武器だとしても、度を越した力は災いを呼ぶものだ。」

そんなものを手にする事になった娘の身の上を哀れに思う。いや、そもそもインテグラ自身さえもヘルシングのもう一つの成果なのだ。

「余計な世話だったかもしれんな。」

インテグラを案じてやった事が裏目に出たことに、アイランズは少なからず落胆していた。

「なぁに、半年前だったらお嬢ちゃんもあんな啖呵は切れなかったさ。」

友人の気楽さでアイランズの肩をふたつ叩き、ウォルシュも議場を後にする。アイランズはそのままインテグラの執務室へと向かった。ドアをノックし、声を掛けようと口を開きかけた時にドアが開いた。
まだ見下ろす背丈の少女はアイランズの目をまっすぐ見た後、おもむろに頭を下げる。

「生意気を言って申し訳ありませんでした。」

「いや・・・」

らしくもなく言葉に詰まる。こんな意思の強そうな娘だっただろうか。

「それで、私の進退は?」

「無論、これまでと何も変わることは無い。そもそも君からヘルシングと円卓の席を取り上げる権利があるのは女王陛下をおいて他に無い。」

「・・・そうですか。」

インテグラは複雑な表情を浮かべる。喜びが半分、いや三分の二。あとは少々残念だったといったところだろう。 やっと内心を垣間見せた少女の表情にアイランズは安堵する。いや、当たり前の少女の顔を見せたこの娘を、本当は心配すべきなのだろうが。

「では私は帰る。」

それだけ伝えれば用は済んだと踵を返したアイランズの背中を、慌てたインテグラの声が追いかける。

「アイランズ卿、父がこの屋敷以外に研究資料を保管するような場所に心当たりはございませんか?」

振り返り、いつものポーカーフェイスを作る。

「知らんな。何か探し物かね?」

「心当たりが無いなら良いんです。お引止めして申し訳ありません。」

インテグラが本音を隠している事は明白だったが、脛に傷持つ身のアイランズには深く追求することが出来ない。 アーサーは故意に隠したのだ。アーカードと、それに付随するものの研究資料をインテグラの目から。
―――――最も神を冒涜しているものは、人かもしれん。
苦い思いを抱いたまま、アイランズはヘルシング邸を後にした。




Copyright(C)201x your name All rights reserved.? designed by flower&clover
inserted by FC2 system