◆導入―introduction―


 邸内の不穏な空気にインテグラが気付いたのは、哀しみに暮れる間も無く父が死んだその次の日だった。
歴史を思わせる建物の外観。100余年の風雪による影響を趣へと変えたヘルシング邸は、しかし内部は最新の通信回線、空調、セキュリティの整えられた近代的な屋敷であった。そのおかげで、こうしてインテグラは叔父と叔父の手の者達の目を逃れ今、ダクトの中にいる。

「機会を見て消すぞ、早いうちにだ。」

そう部下に叔父が言ったのを聞いたのは偶然だったが、消すと言う言葉が何を意味しているのか、また誰に対してなのかは容易に理解することが出来た。それは今までずっと、叔父のインテグラに対する柔和な態度に真実味が無かったからだろう。
父が亡くなってまだ二日。
ウォルターの留守と言う格好の機会を早々に得た叔父は鬼畜の本性を現し、インテグラを亡き者にすべく、寝返った一部の局員を率いて行動を起こした。
ヘルシング家に課せられた重大な使命を知らぬ叔父ではないのだろうが、それほどまでに“円卓の騎士”の称号は彼にとって魅力らしい。そんなものは幾らでもくれてやっても構わないが、そんなものの為に命を取られるのは御免だ。
なぜ父は死に際に、あの叔父に自分とヘルシングを頼むなどと言い残したのだろうか。父が叔父の本性に気付かないほど愚鈍であったとは到底思えない。
母を知らず、殺伐とした空気の中でインテグラは育ったが、父が居たからこそ寂しいとか辛いと言った感情とは無縁でいられた。しかし父は身罷り、たった13歳のインテグラに全てを託して逝った。例えその使命を邪魔する者が肉親であったとしても、インテグラはここで諦めるわけにはいかない。
決して容易ならざる道のりながら、生前の父に言われた最後の砦を目指し、インテグラはダクトを通って地下へと降り立った。
奇妙な事に、20年間放置されていたはずの地下通路には照明が煌々と照らされている。まるでインテグラがここに来るのを知っていたかのように。
―――――まさか、もう叔父達が!?
インテグラは注意深く耳を欹てた。だが人の気配は無い。
息を詰め、ひっそりと最奥の牢獄へと足を踏み出す。地下通路の空気には思ったほどの淀みも無く、20年もの間人の出入りが無かったとは思えないほどだった。
地下施設がこれほどの物とは知らなかった。長い廊下の両側には幾つもの扉があったが、今はそれらに用は無い。ようやく鉄の扉に突き当たり、インテグラは眉を寄せる。父の遺志に従いここまで来たものの、牢獄には錠が付き物なのではないか。 もはやこれまでか。絶望の中、一縷の望みを託して扉に手をかける。 扉は、見た目の重さに似合わない微かな軋みだけで簡単に開いた。インテグラを招くように。
果たして、定められた運命に導かれ、インテグラは暗闇の中へと呑み込まれた。牢獄の中は地下通路とは打って変わってひどく暗い。追っ手に見つからぬように扉を閉め、手探りで照明のスイッチを探したが徒労に終わった。

「ここも、時間の問題かもしれないわね。」

さてどうしたものかとインテグラはしゃがみ込み、思案に耽る。父が行けと言った以上は、ここに何かがあるはずなのだ。インテグラを助ける何かが。
通路の明かりを閉ざし、そこが純然たる暗闇になると、徐々に目が慣れて自分の周りがうっすらと輪郭を顕にし始めた。足元、背中を預けている扉側の壁面、それの切れ目から垂直に折れ曲がった両の壁面にも何も無い。そして奥の壁面。
ぼんやりと目に映った影にインテグラは身を凍らせる。
―――――誰か居る!?
耳を済ませても吐息の音すら聞こえない。四つん這いでそろそろとその影に近づいていくと、それは牢獄に似つかわしい拘束服を着せられた囚人であり、そして牢獄には似つかわしくない干からびた死体だった。少なくともこの地下が封印される20年前からの住人には違いないだろう。
このミイラが、自分の生きる術だと言うのだろうか。

「冗談にしても性質が悪すぎるわ、お父様。」

父の死に際の言葉を頼みの綱にここまで来たが、どうにも悪ふざけの過ぎる結末だ。まさかここで果てろと言う事なのか。
諦めたくない、でもここから逃げる術も叔父に打ち勝つ術も無い。
ここで自分のたった13年の人生は終わるのだろうか。理性ではそう結論に達しても、心では諦めたくない自分が居る。諦めればその時点で負ける事になる。叔父にも自分にも。
―――――私も往生際が悪いな。
嘆息して、答えるはずも無い牢獄の主に話しかけた。期待していたのだと、自分が馬鹿だったのだと。自分を助けてくれる騎士など、そんな都合の良いものが現れるはずが無いのにそれでも縋りたかった。
はっと、インテグラは顔を上げる。俄かに地下通路に人の気配が満ちたかと思うと、インテグラの居る牢獄の扉が乱暴に開け放たれる。叔父と数人の局員達が牢獄内に入りインテグラを取り囲むように立ちはだかった。大きく開け放たれた扉から光が入り、牢獄の奥まで照らし出す。
男たちは異様な牢獄の住人に一瞬だけ息を呑んだものの、今はインテグラの始末の方が最優先事項だと判断したようだった。

「20年、20年待ったのだ。お前のような小娘にヘルシング家を渡すものか。」

狂った目を向け、外見だけは父に似た男がインテグラに呪詛の言葉を投げつた。

「―――――っ!!」

放たれた狂弾がインテグラの腕をかすめ、鮮血を飛び散らせる。悲鳴は出なかった。いや必死の思いで封じ込めた。意地でもこの男に負けを認めたくなかった。自分に銃口を向けた男に、インテグラの中に僅かながらも残っていた情が霧散する。その事にインテグラ自身、自分がヘルシングなのであると言う事を再認識させた。目的の達成に障害となるものは何であろうと抹消するという決意。
リチャードは目的達成を優先するならば兄への怨念を娘に向けていたぶる事をせずに、最初の一撃で彼女を仕留めるべきだった。娘が“ヘルシング”へと変貌する前に。
否、これはインテグラがここに来た時点にすべて定まっていた事であり、 変えようの無い宿命だったのかもしれない。
運命などと言うものがあるのなら。
叔父にとっては不運にも、インテグラにとっては幸運にも、致命傷にはならない傷による彼女の血は、牢獄の住人へまでも飛び散っていた。干からびたその皮膚に飛んだ血痕は瞬く間に染み込み、そこから不可思議な反応を起こしていく。地下の牢獄ではあまりにも似つかわしくないその音が立つまで、誰もそれに気付かなかった。
ぺちゃり。
全員の目が一斉にそれへと注がる。ミイラ化した死体だったはずの物がその口から舌を出し、床へと落ちたインテグラの血を舐めとっているではないか。その異様な様に、皆一様に身動きが取れないままそれを凝視する。何が起こったのかを理解できる者はその場に誰一人として居なかった。
それ、は、床を塗らしたインテグラの血を器用に舐め取ると、ゆったりと顔を上げた。その美貌、その醜悪さ。
時が止まったように誰も動けないでいる中、男は自分を拘束するものを無造作に引き千切ると姿を消した。いや、そうではない。人の視力では見ることの出来ない一瞬の虐殺劇を、なんと形容すればよいのだろう。ボロ布のように裂かれ、引き千切られた男たちが一斉にその場に崩れ落ちる。 つい先程までその男たちに殺されかけていたインテグラでさえも、正視するにはあまりにも惨たらしい光景だった。
―――――何?フリーク?ミディアン?何故こんなものがここに!?
結果は同じだったのだと、インテグラはそう思った。ただ死体が自分のものだけか、他にもあるかだけの違い。だが曲がりなりにもヘルシングである自分が、何もせずに化け物に殺されるわけにはいかない。ちょうど殺伐に一息つくように、肉塊から滴る血を煽る化け物に向けて、叔父の部下の手から落ちた拳銃を素早く拾い上げ構えた。

「そんな物で私が殺せると思っているのか?」

ちらりと寄越した視線は鮮血よりもなお濃い赤い光を帯びていた。吸血鬼、ヘルシングが狩ることを宿命とした最強最悪の化け物。血を滴らせた唇からこぼれ出た声も、血まみれ男の貌も陶然とするほど美しい。人外の者はこうして人を惑わすのだ。
しかしインテグラとてただの小娘ではなかった。連綿と受け継がれた異形を狩る者の血と宿命を背負ったヘルシング家の直系であり、たった今しがた唯一の末裔となった。

「頭か心臓を打ち抜かれてもそう言える?」

ふっと吸血鬼が唇の端を上げる。

「動くなっ!!」

インテグラの恫喝を無視して吸血鬼はインテグラの目前まで来るとその膝を折った。

「その腕より他にお怪我はございませんか、サー・ヘルシング。わが主よ。」

銃口を吸血鬼の額へと向けたままインテグラは目を瞠る。何を言い出すのだ、この化物は。 人をかどわかそうにもあまりに馬鹿にしている。もう少しましな騙し方もあるだろうに。

「油断させようとしても無駄だ。私はこの家の主だ。ここに繋がれていた以上その意味は分かるな?」

そう言って彼女が眉を顰めた時、絶命したかに思われた叔父が息も絶え絶えに立ち上がり、インテグラに銃口を向けた。

「サーだと?その小娘が?お前になど、当主の座は渡さん。」

銃弾がインテグラの顔を目がけて放たれる。避けられる体勢ではなかった。それは間違いなくインテグラの命を奪う最後の凶弾になるはずだった。が、それはインテグラに届く事はなかった。
わずか20cm手前で吸血鬼の腕に呑み込まれたからだ。

「あんたは当主の器じゃない。あんたの血は、酷く臭い。」

そう吐き捨てた化け物の腕の影から、ゆっくりとインテグラは狙いを吸血鬼から叔父へと変える。
銃を撃つのは初めてではない。射撃訓練での成果は教官が舌を巻くほどの成績だった。だが今回の標的は訓練用の人型ではない。生きた人間。それも紛れも無く同じ血の流れる実の叔父だ。
しかして今のインテグラにとって、それは障害以外の何者でもなかった。引き金を引く指に全く躊躇が無かったといえば嘘だ。これ以上の通過儀礼は無いだろう。せめて苦しませない事が情け。
正確に脳幹を射抜かれた男は、すぐに音を立てて崩れ落ちた。
返す手で照準を、いまだ自分を守るように腕を上げたままの吸血鬼の顔に向ける。

「お前、名前は?」

「先代は、アーカードと。」

本当にこれが父の託したインテグラの“術”なのか。駆逐しなければならないはずのミディアン。それも一族にとって最大の因縁の相手であるはずの吸血鬼。

「銃を離せ。そんなに引き絞ったら弾が出る。」

先ほどインテグラを主と呼び、膝を付いた者とは思えない不遜な口ぶりで吸血鬼は言った。そんな事は言われなくても分かっていた。けれど掌が何かで貼り付けたように銃から離れない。
吸血鬼はインテグラの握る銃の安全装置を入れると、銃からその手を引き剥がしにかかった。インテグラはぼんやりとその手を見詰める。形の良い長い指、その手には白い手袋が付けてあった。あれだけの殺戮の後だと言うのにまるで洗い立てのように白い手袋の甲には、何やら魔方陣のような物が描かれている。

「ふん、腹がへったな。」

アーカードの言葉に急激に意識を引き戻される。吸血鬼の空腹。それは危険のサインでしかない。だが、おかしくはないか。

「何?今、何て言ったの?」

「失礼お嬢さん、空腹だと言ったのだ。20年以上も食事をしていないのでね。」

「でも・・・」

血ならこんなに沢山と、牢獄の中を見回す。インテグラが言うのを待たずにアーカードは牢獄内に横たわる死体たちを立てた親指で示し、言葉を続けた。

「悪いがせっかくの久々の食事をあんな不味いもので済ます気は無い。」

ならば当然、餌は自分と言う事か。

「あんたの血は上手い。極上だ。」

蕩ける様な男の笑みに一瞬引き込まれそうになりながら、インテグラはかぶりを振る。ここは何とか切り抜けなければ。

「つい今しがた私を主と呼んだその口で、さっそく私を吸血鬼にするつもりか?」

「まさか、そんな事はしない。ただ空腹を満たすだけだ。」

吸血鬼の顔が近付いてくる。
―――――化け物の言う事など信用してはいけない。逃げなくては・・・
気ばかり急いて動けないでいるインテグラの首にではなく、吸血鬼の唇は乾きかけた腕の傷跡に寄せられた。
ぴちゃり。
赤く長い下が傷をなぞって、また流れ出した血を掬い取る。その光景を凝視しながら、だんだん目にも体にも力が入らなくなっていく。
―――――化け物の詭弁に良い様に玩ばれて、結局は餌になってお終いなんて・・・
抵抗を試みる事も出来ず、インテグラの意識は闇に呑まれた。


 窓から差し込む朝の光の中で、いつもの様に目を覚ました。天蓋からレースのカーテンがオーロラのように落ちかかるふかふかのベッドの上。
嫌な夢を見た。妙に現実味を帯びた、酷く残酷な夢。
憂鬱な気分でベッドサイドのローテーブルを手で探ったが、そこに在るはずの物が無い。その代わりに腕に鋭い痛みが奔った。恐る恐るナイトドレスの袖を捲り上げた。朝の光の中で目に痛いくらいの白いものが腕を覆っている。そこに薔薇の花弁のように赤いものがみるみる滲んできた。
どっと冷や汗が出る。
ベッドから飛び降りて部屋から飛び出す。視界はぼやけているが、生まれてこれまで生活してきた屋敷だ。不便は無かった。途中メイドとすれ違いざまに名を呼ばれたが、それを無視して葬儀が終わるまでと叔父が寝泊りしているはずの部屋へと向かい、非礼を承知でノックもせずにドアを開けた。
きちんとメイクされたベッドに昨夜人が寝た気配は無い。

「どうなさいましたか?インテグラ様。」

インテグラの血相に何事かと追ってきたメイドに逆に問い返す。

「叔父上はどこに?」

「昨夜から見ておりませんが?」

「ウォルターは?」

「お戻りになるのは本日午後の予定とお聞きしております。」

「そうか・・・」

では、あれは夢では無かったのだろうか。
このまま地下へ走って、追ってきたメイドにあの惨状を見せるのも忍びない。ひとまず平静を装い部屋に戻り、身支度と朝食を済ませてから、インテグラはそれを確認するために地下室へと向かった。
あんなに遠かった牢獄が、今朝はやけに近い。噎せ返るような血臭を予想して扉を開けると、記憶にあるはずの血の海はそこには無かった。ただ、いったい何処から持ってきたのか、大きな黒い箱の上に腰掛けた黒い影が居るばかり。

「探し物か?お嬢さん。」

玲瓏とした声は、確かに昨日の吸血鬼。インテグラを主と呼び、インテグラの血を飲んだ化け物が、インテグラの眼鏡を持って立っていた。
名前は、そう。

「・・・アーカード、叔父上達をどうした。」

「ああ、あれか。見苦しいので犬に片付けさせた。」

それをアーカードは、まるでゴミが落ちていたのをメイドに拾わせたとでも言うように答える。

「犬?」

「ああ、それよりこれを捜していたのではないのか?」

そんな瑣末な事はどうでも良いとアーカードはインテグラにメガネを差し出した。それを受け取ってかけると、やっと周りのものが鮮明になる。
やはり、化け物は異様に美しかった。
白い白い相貌、血よりも赤い瞳。漆黒の・・・違和感に気付いて昨夜の記憶を辿る。この化け物の髪は昨夜はこんな色だったか。
そのインテグラの視線をどう受け取ったものか、アーカードが口を開いた。

「気を失うまで血を奪うつもりでは無かったのだがな。おかげで髪も戻った。」

白髪だった化け物の髪は確かに、新月の夜よりもなお暗い漆黒だった。
―――――お父様、本当にこれが貴方の遺したものなのですか?
インテグラは嘆息する。吸血鬼を飼うとなると食料が問題だ。

「お前、私の血液だけで足りそう?」

「無理だな。」

予想していた答えとは言え、あっさり言われると返答に窮する。
インテグラが今では相談できる唯一の相手の顔を思い浮かべた時、するはずのないその本人の声がした。

「お嬢様、お探しいたしました。ただいま戻りました。」

振り返ると初老の執事が立っていた。
叔父達の動きを何か察知しての事だろうか、予定よりも早い帰還だった。そしてそれは予想外にもインテグラが最も恐れていた危機的状況を作ってしまった。
名目上ヘルシング家の執事に納まってはいるが彼は、ウォルターは、亡き父が率いていた王立国境騎士団の中でも手練の一。化け物を狩る事を生業とした男と、化け物が対峙すればどうなるか。
どうにかこの場を収めなければと口を開きかけたインテグラの前で、ウォルターは化け物に向かって慇懃に腰を折った。

「お久しゅうございます、アーカード様。」

「ウォルターか、老けたな。」

「アーカード様におかれましてはお変わりなく。」

どうやら旧知の仲といった雰囲気の彼らが、ここで今戦闘に至るという心配はインテグラの杞憂だったようだ。

「ウォルター、アーカードを知っていたの?」

「はい、先代様のもとでご一緒に働かせていただいておりました。」

「そう、そうなの。」

父は化け物の倒し方はインテグラに教えたが、化け物を御する術などは残しては行かなかった。時間が足らなかったのか、それとも残すつもりも無かったのか。だからウォルターが彼の運用方法を知っているのなら何よりも心強い。

「ウォルター、アーカードの食料の事だが。」

「承知しております、すぐに手配させていただきます。」

察しも行動も早い執事はインテグラ達に一礼すると地下室を後にした。

「お嬢さん、まだ私は私の主の名を聞いていなかった。」

ではなぜ私を「ヘルシング」と呼んだのか?いや、そんな事はこの化け物にとって愚問なのかもしれない。

「インテグラ。インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲート・ヘルシング。」

悪魔は名前を取られるとその相手に縛られ、服従するしかない。この日インテグラは、逆に悪魔に名前を奪われたのかもしれなかった。





 「分かった。ご苦労、速やかに撤収してくれ。」

電話の相手は彼女よりも随分年上なのだが尊大な口調で言って少女は受話器を置いた。
ずれたメガネを中指で押し上げて椅子に座る。電話が置かれた黒檀の机は少女にはまだ大きすぎて、電話を取るのにも椅子から立って手を伸ばさなければならない。電話は実働部隊の隊長からの、仕事が滞りなく済んだ報告だった。
腕の時計を見ると、午前の2時を回っていた。部下の仕事が終わったのを確認して、彼女は初めて眠りにつくことが出来る。亡くなった父よりヘルシング家の家督と使命を引き継いでまだ半年、少女は14歳になっていた。
インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング。
現代の円卓の騎士の一人として女性でありながら「サー」の称号を持つ、王立国教騎士団、 別名ヘルシング機関の長である。

「任務は完了した、わが主よ。」

にわかに壁の一部が歪み、人の形をとった。否、人などではない。
新月の闇夜よりもなお暗い漆黒の髪と、美しすぎる白い相貌。そして最高級の紅玉よりも赤い瞳は間違いなく魔性の持ち物だった。

「アーカード。」

インテグラは魔性の名を呼ぶ。先ほどの電話から数分と経っていない。今夜の現場からは通常どんなに車を飛ばしても30分は掛かるはずだが、そのような人間の常識がこの魔性に何の関係も無い事を、インテグラはこの一年で嫌と言うほど学んだはずだった。

「ご苦労だった。」

「苦労と言うほどでも無い。あまりにも手応えが無くてつまらん。」

「お前のような化け物が、そうたくさん出てきてもらっても困る。」

その化け物に、恐れ気も無く尊大な口を聞けるくらいに慣れてもいた。
計り知れない力を持つこの化け物は、何ゆえかインテグラを主と呼び、絶対に危害を加えようとはしない。それどころか、忠実に命令を聞く下僕だった。
その主はと言うと、今、欠伸を噛み殺している最中。

「眠かったら寝たらどうだ?」

口の端を上げて言う下僕の態度は不愉快極まりなかったが、今はそんな事はどうでも良い。 成長過程にある少女にはまだ大人よりも長い睡眠時間が必要なのだ。

「そうする。」

言って、アーカードの横を通って部屋を出ようとしたインテグラは微かな違和感を覚えた。しかし睡魔には耐え切れず、そのままドアを開け寝室に向かったのだった。
出会ってからしばらくはアーカードの行動を逐一確認しなければ不安だった。
それが主人としての義務だとも思っていた。獰猛な猟犬を放し飼いにするのはマナーの悪い飼い主のする事だ。しかし以外にも行儀の良かった犬に、インテグラは安心しきっていた。 呼べば現れるので、てっきり命令以外では外になど出ていないのだと勝手に思い込んでいた。だからその違和感の正体には、すぐに思い至らなかった。
数日の後、思いのほか早く片付いた仕事の報告を受けたインテグラは、ベッドに入っても中々寝付けずにいた。喉に渇きを覚えてランプを点けたが、執事には珍しい落ち度でベッドサイドのローテーブルの上の水差しは空だった。仕方なく階下のキッチンへと向かう途中で執事に出会う。実行部隊の撤収が完了した旨を伝えられた後、水を持って来てくれるように頼んだ。執事の持ってきた水で喉の渇きを潤してベッドに入っても、やはり目は冴えたまま。
―――――来ない。
2時間経っても3時間経っても、彼女の下僕は帰還の報告に来なかった。
別に取り決めていた訳ではない。ご丁寧にも命令を遵守したのだと報告に来ていたのは奴の勝手だ。 しかし、なぜ今日に限って来ない。
インテグラはベットから降りると部屋を後にした。さすがに執事も眠ったのか、静か過ぎる邸内を地下へと向かう。あの時から今も相変わらず彼は、地下の牢獄の住人だった。地下の最奥へとたどり着いたインテグラを、開いたままのドアが迎える。中には古びた木のテーブルと椅子と、大きな黒い棺がひとつ。
部屋の主は居なかった。
―――――油断していた。
インテグラは歯噛みしたなぜ?いつの間に?あんなものを信用してしまっていたのか。一見、忠実に彼女を守っているかの ように見せかけて、その実あの化け物は裏で何かやっていたのだ。
旗立ち紛れに握り締めた拳で壁を叩いた時に、背後から声を掛けられた。

「こんな夜更けに何の用だ?お嬢さん。」

いつものように口元に薄笑いを貼り付けて立っているアーカードに、怒鳴りつけたいのを堪えながらインテグラは問いかける。

「どこで、何をしていた。」

「やれやれ、野暮なお嬢さんだ。こんな時間に男が出掛ける用事などそう多くは無いだろう。」

両手の平を上に向けて肩を竦めたその仕草に、インテグラの我慢は崩壊した。胸倉に掴みかかりたいところだが手が届かずに、掴んだコートの襟はアーカードの腹のあたりだったが、それには構わず怒鳴りつける。

「お前、まさか一般市民を見境い無く襲っているんじゃないだろうなっ!!」

「襲ってなどいない、全て同意の上だ。」

「―――――っ!!」

やっと、違和感の正体に思い至った。
あの時、アーカードの体からは血の匂いに混じって微かな花のような香りがした。香水などにあまり頓着しないインテグラでもそれと分かるような香りだった。
殴ってやりたい顔は遥か頭上。インテグラはアーカードのコートを乱暴に離すと低い声で言い放った。

「命令以外での外出を禁止する。」

「何だと?」

「聞こえなかったのか?任務以外で外に出るなと言ったんだ!! 食事はちゃんと与えているはずだ。いったいなんの不満がある。」

「食事?」

アーカードが鼻で笑う。

「吸血鬼がヒトを襲うのを食事の為だけだと思っているのか?」

「他に何の目的がある?」

刹那、アーカードに押されてインテグラは壁に叩きつけられた。本気だったら大怪我だろうが手加減はしたのだろう。しかしそれが幸運であったとは言えない。壁とアーカードに挟まれて身動きが取れなくなっても、まだインテグラは男へ頑強な眼差しを向けたままだった。だが見上げた化け物の顔から、いつもの貼り付けたような笑みが消えるのを見て言葉を失う。濃いサングラスの向こうの目は見えなかったが、化け物が冷ややかに自分を見下ろしているのが分かった。
信じていた。自分の言う事なら聞くのだと、自分に危害を加える事は無いと。
今度こそ本当に殺されるかもしれない。それとも隷属する吸血鬼にされてしまうのだろうか。アーカードの顔が降りてくるのを見て、恐怖のあまり反射的に硬く目を閉じた。だが、覚悟していた痛みはいつまで経ってもやって来なかった。その代わりに、唇に冷たい感触。
恐る恐る目を開くと間近にある赤い瞳と視線がぶつかった。いつの間にサングラスを取ったのかなどと、どうでもいい事を考える。
近すぎる男の顔は何を意味しているのか。それに思い当たって更に呆然とする。
―――――何だこれ、口が・・・いや、それよりも息が・・・
意識がふうっと遠くなりかけた時、やっと唇が開放された。 肺に急激に空気が送り込まれてインテグラは咳き込む。

「呼吸くらいはしろ、窒息するぞ。」

誰のせいだと反論しようとしたインテグラの足が石の床から離れた。インテグラを横抱きにしてアーカードは歩き出す。

「なっ、何をする離せっ!!」

やっとそれだけ言った言葉もあっさりと無視され、いつの間にかぱっくりと口を開いた 棺の中にインテグラは放り込まれた。

「生きたまま棺桶の中に入るなんて死んでも嫌だ!!」

混乱してちぐはぐな事を言いながら暴れるインテグラの上にアーカードが圧し掛かる。

「黙れ。」

―――――黙れ?黙れだと?主に向かって。
そう言ってやろうと口を開きかけた瞬間、ナイトドレスの裾をたくし上げ、手袋をしていても冷たい手がインテグラの脇を滑って小さなふくらみを捕らえた。

「何の目的があるのかと聞いたな?教えてやろう。」

「わ、分かった。話はちゃんと聞くから、とにかくどいてくれ。」

インテグラの言葉に、無表情だった男が眉根を寄せる。

「・・・貴族の性モラルなど、我々にも劣ると思っていたが、アーサーはよほどお前を大事に育てたようだ。」

どういう意味だ?という反論はまたもアーカードの唇によって塞がれた。
今度は唇を触れ合わせるなどという生半可なものではない。冷たい、弾力のあるものが歯列を割って押し入ってくる。アーカードの胸の下で腕を突っ張ろうとするがびくともしない。こんな接吻は知らない。インテグラが知っているのは挨拶の仕方だけだ。口の中を他人の舌で弄られるなど想像の範疇に無かった。
さすがに今度は息をしようとして鼻から出た呼気が妙に荒くて、恥ずかしさのあまりにまた目を瞑って息を止める。口腔内を思うさま蹂躙した舌が出て行き、唇と唇が離れるとぴちゃりと濡れた音がした。
不足した酸素を補うべく上下する胸の、赤い小さな果実にアーカードの指が触れた。今まで特別気にした事も無い部分なのにいやに感覚が鮮明で、思わず身を竦める。
見なくてもどんな風に触れらているのか分かる。丸みにそって置かれた手の親指が、それを転がすように円を描いている。時折、手袋の縫い目があたって擦れると全身に微量の電気が流れるような気がした。
インテグラの唇から離れたアーカードの唇が、今度は耳朶に寄せられる。甘噛みされてインテグラは体をびくりと震わせた。ねっとりとアーカードの舌が絡みつく耳朶から、感じた事の無い痺れが首筋を通って体の力を奪ってゆく。物心付いてからと言うもの人に触られた覚えなど無い場所に触れて、いったいこの化物は自分をどうしようと言うのだろうか。
普通の14歳になら、その程度の知識はあったのかも知れない。だが生憎とインテグラは学ぶべき事が多かったので3年ほどの寮生活も勉強漬けで、悪い遊びを教える大人が居るような場に出る機会も暇も無かった。だから色事に関しては殊に無垢であったし、無知でもあった。故にアーカードのもうひとつの手が、インテグラの下腹部を覆う小さな布の中に滑り込みながら、なだらかな丘を越え、閉じあわされた腿の間の谷間に強引に入り込むという暴挙に及ぶと 彼女は恐慌状態に陥った。

「やっ!!」

もう何が何だか分からなかった。そんなインテグラの混乱などお構い無しに、アーカードは指で探り当てた谷間の小さな突起を指の腹で押さえつける。インテグラは息を呑んだ。突起をこね回される痛いような刺激は耳朶からの痺れの比ではなく、腰を引こうとしたが密着した男と自分の間にそんな空間などは無かった。
耳と胸と足の間だけに血液が集中して流れているのではないかと思うほどそこだけが熱を 持ったように熱い。体温の無いアーカードの冷たさがなおの事それを感じさせた。アーカードはインテグラの足の間の手を抜き牙で手袋を抜き取ると、再びインテグラの下腹を覆う小さな布の中に手を滑り込ませる。インテグラ自身ですら触った事も無い最奥に、長い指が入り込んでくる。 体が跳ね上がれないかわりに内側がぞろりと蠢いたのが、当の本人に分かったかどうか。 指に伝わるその感触にアーカードはほくそ笑む。指を数度出し入れして最後にぐるりとかき回すとインテグラが痛みに呻いた。

「まだ足りんな。」

「な、何がしたいんだ。お前は・・・」

ひょっとしてこれは、辱めと痛みを同時に与える拷問なのか。

「この期に及んで何を言っているんだ、お嬢さん。」

アーカードは口元に笑みを刻んでインテグラの両膝を掬い上げるとそこを覆い隠す布を剥ぎ取った。そのまま両足を肩に乗せて主の秘められた部分へと接吻する。

「なっ・・・なっ・・・」

あまりの事にインテグラは言葉を失った。インテグラにとってそこは自分の体の中で最も汚らわしい場所。排泄機関でしか無かったのだから。
アーカードはさらに両手でそこを閉ざしている花弁を外側に引っ張る。褐色の肌の間に、熟れた柘榴のような肉の色。
どんなに抵抗を試みても、この化け物の力にかなうはずも無い。そもそも自宅地下と言えど、化け物の塒に拳銃のひとつも持たずに単身で訪れた浅はかさゆえの顛末だった。
隠れていた肉芽をアーカードは尖らせた舌先で転がし、ひくひくと蠢いている赤い割れ目に舌を差し入れる。冷たくて弾力のあるものが、意識した事も無い場所に触れている感触はあるものの、そんな場所がある事さえ考えた事の無かったインテグラには何をどうされているのか想像もつかない。散々そこに唾液を塗りたくられてから、インテグラはやっと開放された。
悔しさのあまり濡れた睫に縁取られた瞳をうっすらと開くと、男がトゥラザースの前を開いて自分のものを取り出しているところだった。

「何・・・を・・・」

何が起こるのかは想像が付かなくても、得知れぬ恐怖に突き動かされてインテグラは慌てて身を起こし後退さったが、棺の縁に邪魔をされた。縮こめたその足をすぐに男に掴まれる。

「放せ!!」

「何が目的か、知りたかったのだろう?お嬢さん。」

硬く閉じられた膝を難なくこじ開けた吸血鬼によって、体の中心に杭を打ち込まれた。痛みと驚きに見開かれた目から、滔々と熱いものが流れ出る。その痛みは文字通り身を裂かれるようだった。

「少し力を抜け、入らん。」

インテグラが化け物の自分勝手な苦情に対処できるような状態にあるはずが無い。 その上、これで終わりではないのだという衝撃で目の前がさらに真っ白になった。

「痛い・・・」

泣き声混じりにやっとそれだけ言った苦情も「当たり前だ」と一蹴される。

「いいから力を抜け、抜き差しならん。」

力を抜けば、この凶器を抜いてくれると言うことなのか。そう良い方に解釈して、何とか体の強張りを解こうと懸命に息を吐くが上手くいかない。男が舌打ちと共に上半身を屈める。更なる痛みを覚悟したが、男はたくし上げられたナイトドレスの裾からのぞく小さな膨らみの頂に舌を這わせた。寒気にも似た感覚がじりじりと肌を粟立たせる。舌先で転がされ、唾液をまぶされたそこを時折吸い上げられ、体が痺れて泣きたくなる。

「や・・・そこ、もう嫌だ・・・」

その言葉を受け入れてか、音を立てて男の唇がそこから離れたと思った瞬間さらに男が最奥まで入り込んできた。 今度はゆっくりと、冷たく硬いものが内臓を押し上げて侵入してくる。躰の中の異物感にインテグラは嘔吐感を覚えた。

「狭いな。」

「気・・・持ち・・・悪い。」

そう言うと、今度は内臓ごと引っ張られるようにそれが出て行く。だがそれは、インテグラの苦情を聞いてアーカードが手を緩めた訳では無かった。安堵したインテグラを裏切ってそれは再び進入してくる。幾度か繰り返しそうされるうちに、ぞくぞくと背中を悪寒に似た感覚が奔り抜ける。

「や・・・」

「全部は無理だが、悪くない。」

男は独白し、緩慢だった動作が速度を速める。内側を擦り上げられる感覚に気が変になりそうだった。違和感と圧迫感と嘔吐感と、それに混じる言いようの無い痺れが脳を焼く。
硬く閉じた瞼の裏の白い光の中に身を投じるように、インテグラは意識を手放した。


 浅い眠りにベッドの中で寝返りを打ったインテグラは、下腹を襲った痛みによって顔を顰めた。まだカーテンの隙間から除く外は薄暗い。あれから1時間と経っていない筈なのに、随分時間が経っている様にも感じられる。
あの神をも畏れぬ行為は、もちろんインテグラの意思では無かったけれど、自分の思慮の無さ、飼い犬が凶暴な闘犬である事を忘れていた自分の不甲斐なさが原因だ。
あらぬ場所の痛みに耐えながら重い体を引きずり、用を足しにトイレに入って血の気が引いた。眼鏡をかけていなくてもそれと分かるほどに、下着もトイレの水も真っ赤に染まっていた。遠退きそうな意識を何とか繋ぎとめ、ふらふらと壁に寄りかかりながらベッドに戻り、床の中で我が身をかき抱く。
あの化け物が任務意外でふらふらと外を出歩く目的がさっきのあれなのだとしたら、自分が彼にそれを与えなければならない。自分の責任として、化け物を世に放つわけにはいかないのだから。きっと、関係の無い人間と接触させるよりも遥かにましな選択なはずだ。これは自分が奴を使役するための代償であって、他の者に肩代わりさせるべき事ではない。だから、これは自分の義務。インテグラは無理矢理そう自分に言い聞かせた。
今夜にでも何処の人間のもとに通っていたのかをアーカードから聞き出して、それなりの対処を考えなければ。素性が知れるような真似はしていないとは思うが。
素性?
そもそも素性とは何だ。自宅の地下に封印されていた、亡き父に仕えていた化け物。自分だってそれだけの事しか 知らない。何ゆえに父に仕えていたのか。何ゆえに封印されたのか。何ゆえに自分に仕えるのか。
全てがインテグラにとって謎だった。本当に信じてよいのかどうかさえ未だ悩んでいる。 しかし今現在、インテグラにとってアーカードが最大の武器である事は確かだった。
眠れない褥は居心地が悪い。
インテグラは何度も寝返りを打って、その度に奔る痛みに忌々しい気持ちで一杯になった。





 「血の匂いがする。まだ出血しているのか?」

いつものように夕刻になって現れた犬は、別に主人を気遣ってそう言ったわけでは無く、ただほんの感想を言っただけのようだった。対してインテグラの顔は羞恥とも憤怒ともつかぬ上気で真っ赤になる。

「煩い!誰のせいだと思ってる!!」

アーカードはあっさりと肯定する。

「私のせいだな。」

そうだとも、事もあろうに下僕に良い様にされ、あまつさえ人に見られた事の無いような場所を散々暴かれ。

「さっさと行け。命令を果たして来い従僕!!」

恨み言は言わない。かわりにたっぷりと扱き使ってやる。





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