◆ValentinedayKiss


 いささか早起きすぎたのを後悔しながら、ベルナドットは今しも消えかかった赤い光の差し込む、まだ誰もいない食堂へと足を踏み入れた。
配膳カウンターの端に置いてあるオートのサーバーでコーヒーを淹れてから、いつもの椅子に腰掛け美味くは無いがそこそこマシとも言えるコーヒーをすする。幼年期から暖かい食べ物になど無縁だったものだから熱いものは苦手だ。
ちびちびと飲みながら、編みがほつれている髪をといて手櫛を入れる。あらためて三つ編みにしていると背後からぷーっと吹き出す声がした。
百戦錬磨の彼に気配も悟らせずに近付いた相手には大方予想がついた。
ベルナドットは早起きのおかげのラッキーを内心で喜びながら、背と首を反らして後ろを仰ぎ見る。手を口元にやって笑いを噛み殺しているセラスが逆さまに見えた。

「なんだよ嬢ちゃん、急に笑うなんて失礼だな。」

「すいません、あんまり器用だったんで・・・」

なおも笑いを堪えつつ言うセラスを、ベルナドットは体勢をもとに戻して肩越しに振り向く。器用と言うのはきっと、三つ編みの事を言っているのだろう。

「何年もやってるからな、慣れだよ慣れ。嬢ちゃんは髪は伸ばさねぇの?」

「そう言えば子供の頃からずっと、長くしたこと無いですねぇ。」

何かを思い出すように視線を空中にやってセラスは言いながら、ベルナドットの隣の椅子に腰掛ける。
ふわりと甘い匂いがしたのは気のせいだろうか。

「隊長さんはどうして伸ばしてるんですか?」

たまに聞かれるの事なのでベルナドットはいつものように用意された答えを舌に乗せる。

「防具だよ防具。こうやって首に巻いてると接近戦で有利なんだぜ。カンフー映画とかで観たこと無い?」

そう言って三つ編みをぴんと弾いて首に巻きつけて見せると、セラスはただでさえまん丸な目を見開いた。

「えぇ?ホントですか?」

「ウソ。」

「もぉーっ!隊長さんったら!!」

セラスにバシバシと背中を叩かれるとそれなりに痛いが、それは我慢して本音を白状してやる。

「ごめんごめん、別に理由っていう理由は無いんだよな。ただ何となく・・・まあ、生きてる間にどれくらい伸ばせるかなあ、なんて気楽な感じだな。」

ベルナドットの軽口に、セラスは途端に表情を曇らせた。

「おいおい、そんな顔するなって。」

「だって、生きてる間に、だなんて・・・」

「そうは言っても命のやり取りをするのが俺の仕事なわけだし、散々っぱら人を殺してるから俺の番がいつ回ってきたっておかしく無いわけよ。まあそう簡単に命くれてやる気は無いけどな。おかげでこんなに伸びた。」

言ってにやりと笑って見せたが、セラスの表情は晴れそうに無い。

「ごめんな、酷いこと言っちまったな。」

「え?」

「嬢ちゃんにしてみりゃ、そりゃ酷ぇ言い草だよな。」

「え?あっ!!違います隊長さん、そんな意味じゃないです。私って死んでる自覚があんまり無いから・・・」

言ってセラスはやっと表情を緩める。

「何か、死んでる自覚ってヘンな言葉ですね。」

「だな。」

顔を見合わせひとしきり笑って、ひと息ついた頃には沈んだ雰囲気も掻き消えていてベルナドットは内心ほっとした。
そう、彼は来たるべきXデーに向けて知っておきたいことがあるのだ。こうやって部下たちが居ない今こそ千載一遇のチャンスと言える。

「ところでさ嬢ちゃん、聞いても良いかな?」

「どうぞ?・・・あ、でもエッチな質問は無しですよ。」

「えっ!?そうなの!?」

「もーっ!!隊長さんったら何を聞くつもりだったんですか!?」

「悪い、冗談、冗談。」

頬を膨らませたセラスに謝辞を込めて手を合わせ、申し訳程度に頭を下げる。

「いや、マジな話さ。吸血鬼って血液しか飲めねぇの?」

セラスは酷く複雑な表情をした。これはあまり聞いていい質問ではなかったらしいが、今さら口の中に引っ込める事が出来るわけでもない。

「私は、駄目みたいです。人の食べ物は、もう・・・」

きっと試したのだろう事が容易に分かる暗い表情に質問したことを後悔したが、ここで沈黙してしまっても気まずい。

「私は、ってえと?」

聞き返したベルナドットに、え?と言う風にセラスが見返した。

「えっと、マスターはお酒とか飲んでるのを見た事ありますけど。」

「へえ、旦那がねえ。」

「でもインテグラ様は『あいつは規格外だから真似するな』っておっしゃってました。」

「成る程。」

頷きながらベルナドットは頭の中のメモ帳にチェックをつける。
―――――食べ物は却下。・・・っと。

「それとさ、吸血鬼は流れ水と銀は駄目ってのはホント?あ、旦那は除外して。」

「それも本当かな。たくさんの水はやっぱり嫌な感じがします。あと銀も、手袋をしないで弾丸を触っちゃった時には酷い目に合いました。」

「どうなんの?」

「火傷みたいな感じです。皮膚が溶けて爛れるみたいな。治りも遅いし。」

触った時の状態を思い出すように視線を宙に彷徨わせたセラスが、痛みまでも思い出したかのように眉を顰めた。
―――――銀製品も駄目ね。

「十字架は怖くねぇの?ニンニクとかは?」

「隊長さん・・・」

「うん?」

「私の弱点を調べてます?」

この質問の内容ではそう聞こえるだろう。

「まさか。でも俺ら吸血鬼と戦う為に雇われたわけだろ?局長さんには『ドラキュラを読め』って言われたけど、一応ウラはとって置かないとだな。」

我ながら口の上手さには自信がある。戦争が商売とはいえ、交渉事が上手くないと生き残れない場合もあるのだ。
ベルナドットの説明にセラスは納得したようで、答えを続けてくれた。

「えっと、十字架と大蒜でしたっけ。マスターと私に限って言えば十字架は平気みたいです。」

他の人は分からないですけど、と付け加えてセラスはまた、思い出す時の常なのか視線を遠いところへやる。

「インテグラ様も着けてらっしゃいますけど怖いとか嫌だとか思ったこと無いです。大蒜の匂いは、ちょっと嫌いかな。でも食べ物自体がダメだから大蒜自体が苦手なのかは分かりません。」

十字架の場合も持ち主の思想の問題なのか受け手であるアーカードやセラスの問題なのかが定かでは無いから、どちらも情報としては保留と言ったところか。
入手した情報を頭に書き込んでいたベルナドットの顔をセラスが覗き込む。

「吸血鬼の生態調査はおしまいですか?隊長さん。」

吸血鬼というよりセラスの、なのだが。

「んあ?ああ、勉強になった。あんがとな嬢ちゃん。」

「何だか随分のうちの局員らしくなってきましたね、隊長さん。」

嬉しげに笑うセラスに少しだけ良心の呵責を感じながら、ベルナドットは自己分析してみる。
言われてみれば結構この職場に肩入れしてきている自分が居るのは確かだ。それはセラスの存在に因るところが大きいが、変に漢気のあるインテグラや、とんでもなく化け物じみている・・・実際化け物なわけだが・・・くせに妙に人間くさかったりもするアーカードが単に興味深いという理由も多分にある。
―――――しかしこの『肩入れ』やら『思い入れ』なんつうのは傭兵にとっちゃ一番厄介で危険なんだがなぁ・・・
時には仲間を切り捨てる覚悟が無ければ生き残れない戦地において『誰か』に特別な感情を持つことはむざむざ死線に近付くことに等しい。
―――――ま、嬢ちゃんの方が強えんだから大丈夫かな。
などと考えているベルナドットとセラスの居る食堂に、一人二人と隊員が姿を現し始める。誰かが入れた照明が点って初めて、日がとっぷりと暮れていた事に気付いた。

「うおっ、隊長ずるい!!」

「エロいおじさんと二人っきりで何かされなかったか?嬢ちゃん。」

わらわらと寄ってきては冗談をぬかす男たちにセラスが笑う。その温和な表情はとても人の生血を吸う吸血鬼になどは見えない。

「さて、とっとと腹ごしらえをして演習と行くか。」

ベルナドットが言ったのを合図に、彼らは厨房に用意されていた食事の給仕を自分たちで始める。本部への襲撃後、いまだ人手不足の機関では厨房まで手が回らないのが現状だ。

「私も手伝います。」

「んにゃ、嬢ちゃんは座っててくれ。何かを壊されたりでもしちゃかなわん。」

「何ですかそれーっ!!」

和気藹々と、兵舎の短い朝食時間は過ぎていった。



 給料日の翌日の、一応は休日となっている日の夜。
ここだけは良いソファの置いてある談話室で考え事をしていると、ベルナドットを見つけた部下の1人が声を掛けてきた。

「珍しく考え事ですかい隊長?」

「おいおい珍しくって何だよ。」

こう見えても色々考えていたりするものなのだが、そこはそれ、気付かせないのも長の務めと言ったところだ。

「冗談ですよ。」

ははは、と笑った男がコップを持った手を口に傾ける仕草をする。

「今からどっかで一杯、どうです?」

「ああ、悪い、今日は俺パス。」

「何かありましたか?」

ベルナドットの断りを受けて、男が少しだけ眉を顰める。

「いや、何でもない。楽しんできてくれ。」

懐の暖かくなった彼らはさっそく街に出て、酒や女を買うのだろう。だがベルナドットは今回はそれどころでは無いのだ。
怪訝そうな男を談話室から追い出して、ベルナドットは考え事を続ける。
―――――ぐはーっ!!駄目だーっ!!なんも思い付かねえーっ!!
現実に頭を抱えた自分の行動に気付いて、はっと周りを見回して誰も居ないのを確認してから溜め息をひとつ。
―――――俺の血をどうぞ・・・って言うにゃあ、俺の血って不味そうだもんなあ。
もちろん童貞ではないし煙草もヘビースモーカーの域だ。自分が吸血鬼でも喜んで戴きたくは無いだろうと思う。
―――――やっぱ分相応ってもんがあるからな。あんま気合い入れすぎてもいけねえ。俺がキラッキラのアクセサリーなんてもん持ってった日にゃ、嬢ちゃんもそっくり返っちまうだろうからなあ・・・
やっぱ、あれか。
とりあえずそう悩みに決着をつけて、ベルナドットは立ち上がる。決めたからには急がなくては。Xデーに間に合わない。
ベルナドットは計画を実行すべくこっそりと宿舎を抜け出し、部下たちとは別行動で街へと出掛けるのだった。



 2月14日、夕刻。
東洋の島国では製菓会社の陰謀で女性が男性に菓子を送るそうだが、ここは英国・倫敦。
夕刻、地下階から1階への階段を上がってきたセラスは段の頂上でズボンのポケットに手を突っ込んだ格好で壁に寄りかかる男の姿を目に留めた。

「隊長さん?」

「よ、嬢ちゃん。」

セラスに気付いて男は片方の手を上げる。

「どうしたんですか?」

「いや、ちょっと渡したいもんがあってよ。」

「渡したいもの?」

「ああ。」

ちょいちょいと振った手に招かれて、セラスはそのままベルナドットへと近付いていく。

「何ですか?」

「あのな、今日、バレンタインだろ?」

「あ・・・」

照れ隠しに鼻の頭を指先でかきながら、視線を泳がせてセラスと合わせようとしないベルナドットの言葉にセラスも察して頬を赤らめる。

「でさ、これ・・・」

そっぽを向いたまま、ベルナドットはずっとポケットに入れたままだった手を出す。
セラスの目の前で開かれた掌の上には、黒い革紐のついた銀色の金属製のプレートが載っていた。元の職場には無かったが、その形には見覚えがある。
掌を覗き込むようにして俯いたままのセラスに、ベルナドットは両手で革紐を持って輪を作り、その頭をくぐらせた。

「銀じゃなくてチタンってやつだから大丈夫だと思うんだが。」

恐る恐るプレートを指先で摘まんだセラスの指に何の変化も無く、二人は申し合わせたように同時にほっと息を吐く。
長い方の辺が5センチほどの、角を丸くした長方形のプレートの表面には文字が刻んであった。

“HELLSING”
“Sarace Victoria”
“with WILD GEESE”

「まあ、仲間ってこって・・・」

「俺たちワイルドギースからのプレゼントって事で♪」

わっと上がった複数の声にセラスとベルナドットが広いエントランスに目を向けると、どこからともなく沸いた『ガチョウども』がニヤニヤしながら二人のもとへとやってきた。
セラスには何となく気配が感じ取れてはいたので驚きはしなかったが、ベルナドットが少し驚いた表情なのは意外だった。この人にも余裕が無いという事があるのだと思うと、何やら胸があたりが暖かくなった気がする。

「おっ、お前らっ!!」

焦るベルナドットの横で、そのほっこりをそのまま表情にした。

「はい、有難うございます皆さん。」

一瞬、ギースたちが『お』の形に口を開いたまま動きを止めた。

「ちっ、違っ・・・」

「まあまあ、良いじゃないですか隊長。」

「良くねぇ!!」

やってくれた分際で肩を組んでくる仲間に噛み付くように言ってから、仕方ねえなと言う風にベルナドットは苦笑する。

「・・・ったく。」

「抜け駆けは無しっすよ。」

囲んだ部下たちに肘やら何やらで小突かれながらも苦笑するベルナドットの、少しはにかんでいるようにも見える表情を見ているとセラスも何だかギースたちと一緒に囲みたくなる。

「愛されてますね!隊長さん。」

「うえっ、何だよそれ。」

二度、仲間を失った。
三度目の仲間を得た今年のバレンタインデーを、セラスは最高だと思った。







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