◆St.ValentineDay


 今夜もセラスをからかいつつの楽しい楽しい化物狩り訓練を終えたベルナドットは、傭兵たちを解散させた後は最近日課となっている夜の散歩へと出掛けた。
ヘルシング邸の中庭の方には入り込まないよう細心の注意をもってしてだ。
すっかり見慣れた演習場をぐるりと一回りして、さてそろそろ部屋に戻ろうと宿舎の廊下を歩いていたベルナドットの前に、壁からぬるりと出てきた赤い影が立ちはだかった。血の気のない玲瓏とした顔色と、人にはありえない赤光を放つ深紅の瞳の男はベルナドットの前に立つと徐に言った。

「手を出せ。」

「へ?」

「手を出せ。」

同じ単語を繰り返され、訳が分からないまま手の平を男の前に差し出す。その手の上に男が拳を縦に掲げたかと思うと、手品のように中から何やらベルナドットの手に零れ落ちて来た。小さくて丸いものを取りこぼさないように慌ててもう片方の手を出し、両手で器を形作る。
ベルナドットの手の中に溜まったのは金色に光る硬貨が十数枚。

「明日はバレンタインとか言う女に贈り物をする日らしい。そいつで何か女が喜びそうな物を買ってきてくれ。」

「はあ・・・」

聖人の名を冠した祝祭に乗っかる魔物が居るとは、世も末である。

「銀行で両替しても良いが、骨董商に持っていけばその倍以上で引き取ってくれるだろう。」

それだけ言ってさっさとその場を立ち去ろうとする男を、ベルナドットは慌てて引き止める。

「ちょっ!ちょっと待ってください旦那。」

「何だ。」

突然人に用事を押し付けておいて煩わしそうに振り返った男にベルナドットは尋ねる。

「女って普通の女なら兎も角、もしかしなくても局長ですよね?」

男は眉を顰める。それ以外の女になぜ自分が何かくれてやらねばならないのか、と言外に表すかのようだ。

「局長の喜びそうな物なんて想像もつかないんっすけど。」

「リサーチすれば良いだろう。」

「ああ、成程・・・って、それも俺の仕事ですかいっ!?」

「頼んだぞ。」

再び踵を返した男に、消えられてしまう前にもう一度声を掛ける。

「ちょっと待った旦那。」

「何だ。」

今度の返事はさっきよりもさらに声音が幾分低い。

「ひょっとしてニュースソースは嬢ちゃんですか?」

「そうだ。」

と言う事はセラスだって何か欲しいはずだ。だがこんなイベントなんてすっかり忘れていたベルナドットは、昨夜部下たちと街に繰り出してしまい持ち合わせは少ない。いつ死ぬともしれない傭兵稼業の悲しさで宵越しの金などは持たないのだ。
もちろん貯金なんてものもありゃあしない。

「使いっぱしりの駄賃なんていうもんは・・・」

後で考えればよくもそんな事をあの男に言ったもんだと自分でも思ったが、以外に気にした風もなく男は静かにベルナドットのもとに戻ってくると彼の手の中に金貨を数枚つぎ足し、今度こそ出てきた時と同じように壁の中に消えた。
ベルナドットは部屋に戻りまじまじと金貨を見る。どうやらイングランド銀行が出した正式な通貨のようだが見たことも無い。それもそのはず、1902年の年号が刻まれている。何とおよそ100年前の貨幣だ。成程これは骨董商行きだろう。
翌日、街に出たベルナドットは数件の骨董商を回ってから一番高い値を付けた骨董屋にすべての金貨を売った。
胡散臭げに見られた挙句に危うく買い叩かれそうになったが、そこはそれ。長年培ったしたたかさで平然と交渉してはみたものの、骨董商を出た途端にベルナドットは呆れ口調で独りごちた。

「なんだありゃあ。」

最初に提示された金額が1枚につき350ポンド。そこから粘って500ポンドまで上げた。

「古いからってだけでこんなに値がつくもんなのか?」

ベルナドットは知らなかったが、彼が持ち込んだ金貨は世界的に8000枚しか流通していないコレクター垂涎の代物なのだ。男がベルナドットに渡した金貨は合わせて18枚、全部で9000ポンド。 ブルゾンのポケットの中には金貨の時の10倍の枚数になったピンク色の高額紙幣が無造作に突っ込まれていた。
―――――俺の駄賃がこのうち1〜2枚分だとしても・・・
この金額であの局長にプレゼント。いったい何を買えば良いのやら。

「とりあえずリサーチだよなぁ・・・つってもこっちもニュースソースは嬢ちゃんくらいしか思いつかねえな。」

とりあえず資金調達は完了したので一旦帰る事にする。ついでと言っては何だがセラス自身に欲しい物が何なのか探りを入れることも出来るだろう。
さすがに地下階まで行く勇気の持てなかったベルナドットが地下へ続く入口の前で待ち惚けていると、有り難いことにそう待つことも無く、早起き吸血鬼のセラスが歩調も軽やかに階段を上がってきた。

「あれえ?隊長さん、どうしたんですかあ?」

もと警察の、それも特殊部隊に居たとは思えないまったりとした口調でセラスが尋ねる。

「ちょいと嬢ちゃんに相談事があってな。」

「相談事?」

聞き返され、指先で鼻の頭をかく。

「まあ、ここで立ち話も何だからどっか別ん所で・・・」

「ん〜と、じゃあ兵舎の談話室にでも行きます?」

「ん、いや、出来れば外が良いんだが・・・」

奥歯に何かはさまった様な言い方ばかりしているベルナドットに首を傾げ、セラスは少し困ったように言った。

「今日、お天気よかったんじゃないですか?」

「あ、だよな・・・」

夕暮れまでにはまだあと数時間ほどある。黄昏時ならまだしも少々セラスには酷な注文だった。
しかしギース達に知れて変に騒ぎになっても面倒ではある。
どうしたものかと悩むベルナドットにその時天使が舞い降りた。

「私の部屋でもいいですか?」

実際のところは人類の宿敵の捕食者、吸血鬼であるはずのセラスの頭にエンジェルリングが垣間見えた。
嬢ちゃんの部屋。とても魅力的な誘いだ。だが地下階は。いやいや、こんなに苦労しているのはいったい誰のせいだ。

「・・・お邪魔させていただきます。」

借りてきた猫とはまさにこれとばかりに体を縮めながら、ベルナドットは今しがた上がってきたばかりの階段を取って返すセラスと共に地下へと下る。
セラスに示された部屋に入り、やっと体の力を弛めたベルナドットの目に入ってきたのは、ベッドとクローゼット、それから椅子とテーブルが一組という自分たちの宿舎と変わりの無い殺風景な部屋だった。

「あ、椅子どうぞ。」

一つしかない椅子をベルナドットに勧めると、セラスはベッドに腰掛ける。 普通ならとても胸の高鳴る状況だ。
ベルナドットが素直に腰掛けると、さっそくセラスが聞いてきた。

「それで、相談事って何ですか?」

ベルナドットは事の顛末をセラスに話して聞かせた。駄賃の事は差し引いて。

「それは災難でしたねえ。」

そう言いつつも、本当はそう思っていない証拠にセラスの顔は半分笑っている。

「全くだ、誰かさんのせいでね。」

「ええ!?私のせいですか?」

「どう考えたってとばっちりだぜこりゃ。」

「私は『普段どうも思っていない異性からでもこんな時に何か貰っちゃうとやっぱり意識しちゃいますよね』って言っただけなんですけど。」

これは絶対にセラスにも何かプレゼントをしなければなるまい。

「それで、マスターに幾ら持たされたんですか?」

「8000ポンド。」

とりあえず、駄賃として1000ポンドは引いておく。

「はっ!はっせんぽんどーっ!?」

ちょっとしたプレゼントの額ではない。

「ああ、けどよく考えてみりゃ中途半端なんだよな。ロールス買うにゃあ全然足りねえし、だからって紅茶とか葉巻って金額でもないだろ?」

「うっ・・・確かに。」

「あの人がダイヤのネックレスとか指輪とかでも無いだろうし。」

「うーん、そうですね。」

「・・・・・」

「・・・・・」

二人して、頭を抱える。
これはとんでもなく難題だ。

「バレンタインって、今日ですよね。」

「そ。」

せめてもっと早く言ってくれれば良いものを。

「・・・・・」

「・・・・・」

生死を賭けてない中では人生最大の難問かもしれない。

「あっ!」

「あっ?」

声を上げたセラスにベルナドットが期待の目を向ける。

「いっそオーソドックスにこんなのどうですか?」

誰が聞いているわけでもないのにセラスはベルナドットに歩み寄り耳打ちする。

「でもこの予算だぜ?」

「だからですねぇ・・・」

「ふむ・・・こりゃ、やっぱ他の奴らも巻き込まなきゃなんねえかな?」

出来れば穏便に済ませたかったのだが。

「ですねぇ、きっと今日はどこも品薄でしょうし・・・あ、あとウォルターさんにも協力をお願いしておかなきゃですよ。インテグラ様に気付かれないように。」

「執事のおっさん協力してくれるかねえ。」

「え?何でですか?してくれますよ勿論。」

ベルナドットとしてはあの男と執事の間に微妙な空気を感じるのだが。

「じゃ、そっちは嬢ちゃん頼むよ。俺は皆に頼んで走ってもらう。」

「了解です!!」

満面の笑みで敬礼したセラスと別れ、ベルナドットは兵舎へと向かう。急がないと今日に間に合わない。
―――――あ、嬢ちゃんの欲しいものリサーチしそこねた。
まあ、この騒動に奔走しているのを知っているし、セラスならば一日くらい遅れても許してくれるだろう。
明日の寝不足を覚悟して、ベルナドットは足を速めた。



 いつものように執務室で書類にペンを走らせていたインテグラは、廊下や天井から響いてくるドタバタとしたけたたましい音に眉をひそめた。
内線ボタンを押し、彼女の右腕である執事を呼び出す。ほどなくして応答した執事にインテグラは声の棘を隠さずに言った。

「何事だ、今日は室内運動会でもやっているのか?」

『申し訳ございません、ご報告を失念しておりました。・・・客室の家具が傷んでおりましたので修繕と、一斉点検を行っております。』

足音が一人や二人では無いようだが、いったい何人の職人が出入りしているのだろう。しかし信頼する執事の言う事、不快ではあったが不審は持たず、仕方が無いと納得してインテグラは内線を切る。
―――――今日一日の辛抱だ。
インテグラの与り知らぬその頃、執事の横で身を縮めたセラスが恐縮のていで手を合わせていた。

「ごめんなさいウォルターさん。」

「いえいえ、しかし皆さんにはもう少し騒音を抑えていただくように言っていただけると有り難いですな。」

「私がですか?ちゃんと言うこと聞いてくれるかな?」

「わたくしが言うよりも良いかと存じます。」

「うーん、ウォルターさんがそう言うなら。分かりました、言ってきます。」

騒音の主はもちろん家具職人でも何でも無く、ベルナドット率いるギース達だ。
彼らは抜群のチームワークを発揮し、この短時間にあちらこちらで調達してきた物をインテグラの部屋のある3階へと運んでいるのだ。今や3階の廊下は大量のそれで溢れかえっているはずだ。
もちろんタダ働きである筈が無い。彼らの今夜の酒代にはベルナドットが駄賃として戴いた1000ポンドで何とかなるだろう。

「嬢ちゃん、あらかた運び終わったぜ。」

階段を上がろうとしたセラスにベルナドットが声を掛ける。

「あとは頼んだ。」

女性の部屋に不特定多数の男性を入れるわけにはいかない。と言ったのは当のセラスだ。彼女は今から一人で大量のあれをインテグラの部屋に運び込まなければならない。

「了解です、あとは任せてください。」

傭兵たちよりもはるかに力持ちなセラスだが、物はデリケートだ。部屋と廊下を幾度も往復しなければならないだろう。
―――――インテグラ様、喜んでくれると良いな。
気難しい上司の喜ぶ顔を想像しながら、まるで自分がプレゼントするかのようにセラスはウキウキしながら3階へ と駆け上がった。



 目を通し終えた書類の束を綺麗に整えて、黒檀のデスクの端で煌々と灯っていたパソコンのキーを叩く。
打ち込んだデータのバックアップをして、メールチェックを終えると電源を落とした。
眼鏡をはずし目頭を押さえると、痛いような痺れがわずかに涙腺を弛めて瞳を潤す。
時刻は午前の2時を回ったところ。
今夜は緊急の出動要請も無く、とりあえず部屋に戻る事にして立ち上がろうと椅子を回すと、やっと静けさの戻ったヘルシング邸の執務室にかすかに椅子の軋む音が響く。扉へと歩きながら首を前後左右に折り、滞った血流を促しながらドアを開いた。

「お休みでございますか。」

丁度出くわした執事がインテグラに向かって慇懃に腰を折る。

「ああ、何かあったら呼んでくれ。」

「承知いたしております。」

腰を折ったまま応えた執事を背にして自室のある3階への階段を上がる途中で、インテグラはふと足を止めた。
セラスが時に作って持ってくる焼き菓子とは違う、甘い香りが漂っている。今日出入りした職人がよほど香水でも塗りたくっていたのだろうか。そんな事を考えながら足を進めるとさらに香りは濃くなっていく。
首を傾げながら自室に辿り着き、ドアを開けたインテグラはその瞬間に目を見開いた。
部屋に溢れんばかり色とりどりの花、花、花。
そしてその中に場違い極まりない赤い巨躯。

「なっ・・・」

絶句しているインテグラの鼻先まで男はやってくると、その美貌に相応しい流麗な声で訊ねた。

「どうした?気に入らんか?」

「・・・何だこれは。」

「見てのとおり、花だ。」

「そんな事は見れば分かる。何で私の部屋にこんな物が。」

「プレゼントだ。」

「誰から?」

「私から。」

「何で?」

「St. Valentine's Day.」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

「気に入らんのか?」

「いや、気に入るとか気に入らないとかそういう問題じゃなくてだな。」

「気に入らんのなら処分する。」

「ちょっ、ちょっと待て!!」

踵を返そうとした男の赤い外套を思わず掴んで引き止める。

「何だ?」

問い返されてインテグラは慌てて、子供がするように掴んでいた外套を放した。

「何だ、その、いや、う・・・嬉しい。・・・有難う。」

柄にも無く頬が火照るのを感じる。いったい何を考えているんだこの男は。
そこまで考えてはたと思いつく。そうだ絶対に何か思惑があるに違いない。

「そうか、プレゼントか。ではお返しをしなくてはならないな。何が欲しいんだ?」

先手必勝とばかりに気も表情も引き締めたインテグラが不敵に問い返す。しかし男の返答は予想に反したものだった。

「いらん。」

「え?」

「何もいらん。」

「それは困る。借りを作るのは嫌だ。」

特にこいつには。

「では何でも良い。」

「何でも良いなんて一番困るじゃないか!!」

「自分で考えるのも『お返し』のうちなのではないか?」

「うっ・・・」

自分ではプレゼントの内容を一切考えなかったくせに男はしれしれと言う。しかしそんな事は知らないインテグラはぐうの音も出ない。

「ではお休みインテグラ、良い夢を。」

「え?」

今夜何度目になるか分からない間抜けな声を発し、インテグラは呆然と壁に溶け込んでいく男を見送った。
インテグラに言わせれば万年発情期性欲大魔神のあの男が、一番元気の良い時間帯にインテグラを前にして指一本も触れずに居なくなった事実が現実だとは考えにくい。
気味が悪すぎる。借りは早めに返しておくに越した事は無いだろう。



 数日後、夜半に寝床である棺から起きだした吸血鬼は、毎夜変わりなくテーブルの上に執事が用意してくれている、ワインクーラーの中に入った輸血パックを手に取った。医療用のチューブを挿すはずのそこに躊躇することも無くストローを差し込んで吸い上げる。
いつもと同じその血液の、いつもとは違うえも言われぬ味と芳香に彼は唸った。
そして一気に飲みかけていたそれを、惜しむようにゆっくりと味わいながら飲み干すと口もとに笑みを刻む。

「全く、気の効いていると言うべきか。色気の無いお嬢さんだ。」

本当に礼などを期待しては居なかったのだが、思いがけずありつけたご馳走は金貨の十枚や二十枚の惜しくない、極上のアムリタに他ならなかった。







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