◆∫―円卓の魔女―


 探していた品が見つかったと執事から連絡があったのは、昼食を終えて執務室に戻った丁度その時だった。
目を輝かせながらインテグラは内線に向かって確認する。

「本当か!?」

「はい、近代において訳されたものでは無くかなり原書に近いと思われるものです。」

「どこだ!?」

「少々大きな品ですので直接書斎へと運ばせました。」

居ても立っても居られず受話器を置くとすぐに執務室を出た。粗方の書類仕事は午前中に済ませておいたので、あとは調べ物をしようと思っていたところだったが、あれが見つかったとなれば予定変更だ。
早足に書斎へと向かいドアを開けたインテグラの視線が、本棚に囲まれた机の上に鎮座する巨大な本へと釘付けになる。かつては美しい装飾が成されていただろう分厚い表紙は、見る影も無くひび割れて所々に金色の光を纏わせただけだったが、大きさにも勝るその存在感にインテグラは我知らず喉を鳴らした。誰に憚る事も無いはずの当主の書斎を、恐る恐るといったふうに本の載せられた机に歩み寄り手を触れる。その指先はわずかに震えていた。
用心深く厚い表紙を捲ったインテグラは、サファイア色の瞳をさらに輝かせる。装飾されたヘブライ語の文字とパターン化された幾何学模様に引き込まれて、すぐさまインテグラは本を読むことに没頭した。
夕刻、その日は何故か早起きしてきた彼女の従僕が、主の姿を探して書斎に現れてもインテグラは気付こうともしなかった。口の中で何事かを呟きながら本の上の幾何学模様をなぞる主の指先を暫く眺めていた男は、だがいっこうに気付く気配も無い主人に業を煮やして大きな手で本の表面を遮る。

「何だこれは。」

突然現れた大きな手に、インテグラは心底驚いたふうにびくりと跳ね上がりながら男の方を見た。

「な、何だお前か。」

いつもならアーカードの気配を敏感に察知するはずのインテグラの意識はたった今まで別の世界に行っていたようだ。
アーカードは再び問いかける。

「何だこれは。」

やれやれと言う風に溜め息を吐いたインテグラがアーカードの問いに応える。

「レメゲトン、その中の失われたアルス・ノヴァだ。」

「ユダヤの王の魔導書か。」

「そうだ、預言者としても名高いソロモン王の記した魔導書だ。」

預言者とはこの世の理に触れる事を許された者。定められた世界のシナリオに触れる事が出来れば時間や質量、空間の壁といったものの制約さえも越える事が出来ると言われている。魔導の理念から考えてもアーカードという時間も質量も無視した存在は全くの規格外ではあるが。

「レメゲトンとしても名高いゴエーティア、テウルーギアは以前からここの蔵書にあったが、あれは指輪が無いと半分は使えない。だがこれは違う、正確に術式と方陣を再現できれば指輪が無くても使うことが可能だ。」

ずっと探していたんだと付け加えて、インテグラは運命の恋人にでも出会ったかのように熱っぽく語る自分に気付いて気恥ずかしくなる。それで誤魔化すように横を向いて咳払いをした。

「問題は、これが原書にどれだけ忠実に書かれているかと言う事だがな。」

「ほう、それが原書に忠実ならばどれだけの事が出来ると?」

「それは分からん。」

「何?」

「それを紐解いている途中でお前が邪魔したんじゃないか。」

「成る程。」

「分かったら邪魔をするな。」

しっし、と本の上に置かれた手を払うように叩いて、インテグラは遊びたくて堪らない飼い犬を追い払う仕草をすると、また本の世界へと没頭し始めた。
試しに躰を殊更厭らしく弄ってみたが全く反応無し。本当にここには居ないらしい。渋面を刻んだアーカードは仕方なく書斎を後にした。



 「お嬢様!!」

ただならぬ執事の声にインテグラは反射的に振り向く。振り向きはしたが呆然としたままだった。
数秒後、やっと光を取り戻した瞳を瞬かせてインテグラは口を開く。

「あ、ああウォルター、何だ?」

「何だではございません、もう朝でございますぞ。」

眉間に皺を寄せた執事の言葉を聞いてインテグラは窓のある壁のほうへと目を向ける。初代からある貴重な書物が傷まないように窓には分の厚いカーテンが掛かっているが、それの裾から白い光が漏れているのが見えた。

「そうか、すっかり夢中になってしまった。」

アーカードを追い払ってすぐにウォルターにまた中断させられ、渋々夕食をとってまたここに来たのだが、どうやら昨夜は捕り物も無かったようだ。

「何度お呼びしても返事がございませんので心配しましたぞ。」

「すまん。」

そう言って、目と首や肩の痛みに気付いてインテグラは首をぐるりと傾ける。

「少しお休みになられては?」

「いや、もう朝食の時間だな。食事をして仕事に就く。眠くは無いから大丈夫だ。」

執事はインテグラの顔色を見て渋々頷いた。確かに疲労の色は見られない。

「承知いたしました。朝食の準備は出来ておりますのでダイニングへどうぞ。」

しかしその判断が甘かったことを執事はすぐに思い知る事になる。
翌朝、インテグラの私室のドアをノックした執事は主人の返答が無いのに眉を顰めた。やはり一昨日一睡もしていないのが響いたのかと、無礼を承知で静かにドアを開く。入ってすぐの部屋に主の気配が無かったので寝室も覗いて見たが蛻の空。
ウォルターは眉間の皺を深めて当主の書斎へと向かった。案の定そこへ居た主人に声を掛けること数回。やっと戻ってきた主は悪びれもせずに言った。

「ああ、もう朝か、おはようウォルター。」

「またお休みになられなかったのでございますか?」

「うん、さすがにちょっと疲れたかな。今朝の食後のお茶は濃い目のコーヒーにしてくれ、顔を洗ってくる。」

執事に二の句を告げさせないまま、インテグラはさっさと書斎を出て行ってしまった。
そしてまた翌朝、書斎でインテグラを見つけたウォルターは苦言を呈さずには居られなかったのである。

「お嬢様、幾ら何でも無茶が過ぎますぞ。」

苦虫を噛み潰したような表情の執事の顔をインテグラは驚いたように見詰め、ばつが悪そうに髪をかき上げた。

「悪かった、今夜はちゃんと部屋に戻る。」

「いいえ、今すぐ戻ってお休みになって頂ます。」

「いや、しかしだな、」

言いかけたインテグラは執事の強面を見て肩を落とす。自分の事を心配しての事だとは分かっているし、また自分の行動に当然にして比があるので反論するのをやめた。

「分かった。」

本に金の枝折りを挟みこんで閉じると、インテグラはしおしおと執事に従った。
食堂に行くというインテグラの言葉を頑として受け付けず、いつにも増して甲斐甲斐しく世話をする執事の給仕により部屋で食事を摂ったインテグラは、早々にベッドに押し込まれてしまった。執事が食後のお茶に数滴入れたブランデーのせいか、それともやはり体は疲れきっていたのか、すぐにインテグラは眠りに落ちた。



 どれくらい眠っただろう。薄闇に包まれた部屋の中は明け方のようでも宵の口のようでもある。アナログ式の時計を見てもどちらとも判別が付きにくい。

「まさか、一昼夜寝たわけじゃないよな。」

独りごちベッドの上に身を起こす。睡眠をとったおかげですっきりとした頭で一番に考えた事は、やはりあの本の事だった。こっそりと部屋を抜け出して書斎へと向かう。階下の喧騒の様子からすると早朝では無く夕刻のようだ。眠ったのは6時間といったところか。
首尾よく執事に見付からずに書斎へたどり着いたインテグラは魔導書を抱え上げる。なるほど大きさもさる事ながら半端ではない重さではあるが、1人でも運べなくは無さそうだ。ここに居てはまた執事に見付かってしまうので、召使たちにも見付からぬように気を配りながら、重い荷物を抱えて部屋に戻った。ベッドの上にやっとそれを下ろしたインテグラはほっと息を吐きにんまりと笑う。
憑り依かれていると言っても良いかもしれない。使う使わないは必要に差し迫った時の話で今どうこうと言うわけでは無いが、とにかくどうしても最後まで読みたい。
行儀が悪いとは思いつつも枕を台にして本を広げ、ベッドにうつ伏せに寝転がった。あまり煌々と点けていると執事に見付かりそうなので灯りはベッドサイドのライトだけ。熱中した時の癖なのか、インテグラはやはり口の中で噛み締めるように本の内容を呟きながら読み耽る。今夜中には読み終わりそうだと目星をつけた頃に、声を掛けられた。それに気付けたのは本の頁を丁度めくった時だったからだ。インテグラは今度は驚きもせずに声の方に顔を向ける。

「何だか久しぶりだなアーカード。」

とぼけた主人の言い草に従僕の眉尻がわずかに上がった。
昨日も一昨日も声を掛けたが居ない者のように完全に無視された事など、自尊心の高い化け物が白状するはずも無いのでインテグラには知り得ようも無い。

「執事に諌言されたのでは無いのか?」

夜半にベッドに居るという事はそうなのだろうとアーカードは予測した。そしてそれはそのとおりだった。

「・・・まあな。」

「それでこれか?」

「煩いな、もう少しなんだ。」

「今夜も徹夜する気か。」

「昼間寝たし、二日や三日寝なくてもどうという事は無いさ。」

「ほう。」

インテグラの面倒くさそうな返答に、アーカードの声は剣呑さを深める。
仕事は無い無視はされるといったこの三日の鬱屈で、彼は非常に機嫌が良くなかった。

「その言葉、忘れるな。」

「・・・どういう意味だ?」

「そんなに眠りたくないなら寝かさないでやろう。」

言いしなアーカードはインテグラの上に圧し掛かる。

「よせ馬鹿っ!!本が傷む!!」

この期に及んで本の心配などをしているインテグラとベッドの間に手を挿し込んで、ナイトドレスの上から胸の膨らみを掌中に収め、絹ごしの柔らかな弾力を楽しみながら、腿のあわいへともう片方の手を伸ばす。

「やめろって言ってるだろう!!どけ!!」

怒りからか羞恥からか顔を上気させたインテグラが背後から自由を奪う男に声を荒げたが、言われた方はどこ吹く風。胸の先端を弄られ、下着の上から窪みに沿って花弁を擦られるとインテグラは本の上に突っ伏した。

「やっ・・・」

「勃たせておいてよく言う。」

胸の小さな果実を摘み取るように指先で摘まみ、その指を擦り合わせるように転がし、懸命に閉じられた腿の間で硬くなった花芽を捏ね回す。

「・・・んっ・・・」

敏感になった部分への容赦の無い刺激から逃れようと足掻くインテグラの指がシーツを掴んで引き寄せる。感じる場所を知り尽くした男の手管に容易に性感が昂っていく。
幾度か気をやり、ぐったりと無抵抗になった頃に仰向けにされて下着を剥ぎ取られた。尖らせた舌先で花芽を突付かれ、花弁の狭間へ冷たい指を入り込んでくる。拒むがごとく押し返そうとする肉の動きに逆らって根元まで沈められた指が蠢めき、出し入れする度に濡れた音が響いた。

「あっ・・・くっ・・・」

全身を引き攣らせて達しても執拗な愛撫が続く。抵抗するどころかもう指一本すら動かしたくないのに、与えられる刺激に条件反射のように躰が震える。自分の心臓の鼓動が耳に煩い。

「・・・かった・・・寝る。寝るから・・・んっ」

やっと絞り出した声に従僕は無碍も無い。

「2〜3日寝なくても平気ではなかったのか?」

読書で徹夜と性行為で徹夜では随分違うと思うが、反論する気力さえも無い。

「あれは・・・私の誤りだった・・・」

途中から意識が朦朧としているのに、否応なく引き戻されては体力を消耗させられているのだ。
インテグラは今本当に心底眠りたかった。
唇の端を吊り上げたアーカードに、インテグラはげんなりとした表情をする。予想はしたが、そうはいかないらしい。
眠りたがっている頭と裏腹に、入り込んでくるアーカードの猛りに快楽の波が押し寄せる。冷たい肉杭に自分の熱が移っていくのが分かる。
ゴトンと鈍い音を立てて、ベッドの下に敷かれた段通の上に魔導書が落ちたが、突き上げられて揺すぶられているインテグラに気付く余裕も無かった。



 棺の中で目を覚ましたアーカードは、中から蓋を押し開けて体を起こした。
妙な違和感にふと石畳の床を見る。アーカードの棺を中心にぐるりを幾何学模様を含んだ円が取り囲んでいた。
眉を寄せ、棺から出ようとしたアーカードの足が床から弾かれでもしたかのように棺に戻る。

「何だこれは。」

「見て分からんか、魔方陣だ。」

見ると開いたドアの前に腕を組んだ主の姿。

「読書の成果だ、お前が出て来れないところを見ると成功のようだな。床に潜っても無駄だぞ。」

どうやら結界か何かの実験台にされたらしい。

「どうせなら暫く閉じ込めておきたいところなんだが、仕事だ。」

不服そうにインテグラは冷たい石畳の上の砂の山をひと蹴りする。一角が崩れた魔方陣はその時点で効力を失う。

「Search&Destroy.Over?」

「Yes.MyMaster.」

主の命に頭を垂れながら、余計なものを捜してきてくれた執事を忌々しく思うアーカードだった。




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